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尚スチルは出ない

咳き込む度に胸の内側が痛む。嗄れた喉から発せられる声は酷いもので、まるで隙間風の様な音しか出ない。
引き篭もりではあるが身体の丈夫さには自信があったのに。こんな風に寝込む程の風邪をこじらせるなんて何年振りだろうか。
枕元に置いたペットボトルに手を伸ばす。随分軽くなってしまったそれが尽きる前に補給に来て欲しい。リビングの冷蔵庫に辿り着く前に倒れる気がして、ベッドから出られないで大分経ってしまった。
瞬きが重くて、一度毎に気絶する様に眠りに落ちているのではないかと思う。この寝室にある唯一の時計である目覚まし時計は先程落としたまま、今も床でうつ伏せているから確信が得られない。

「ひ、ふ…」

死ぬと発音したつもりなのに、乾ききった唇の間から漏れたのはかすかすとした呼吸音だった。喉が乾きすぎて張り付いた感覚に気持ちが悪くなる。ペットボトルに残ったなけなしの中身を飲み干して尚、身体はもっとと水分を求めている。
ジンはまだだろうか。
スマホに手が届いても、メールをやりとりした時間を確認する作業が億劫で仕方ない。無いとは思うが、これで五分しか経ってなかったりしたら絶望する自信があった。と。

「おい、生きてるか」

寝室の扉が大きく開け放たれて、唐突に現れた黒がジンの声を発した。生理的に浮かぶ涙で滲んだ視界では大まかな輪郭しか分からないが、うん、ジンだろう。
がさがさとビニール袋の擦れる音が近付いてくる。ベッド脇、頭のすぐ横で立ち止まった黒がこちらに伸びてきて、そのまま首裏に侵入する。ぐいと力任せに抱き起こされた。くらくらして定まらない頭を肩口に預けさせてもらうと、極自然に背を支えられる。
なんだ、こういうこと出来るのか、この男。

「そら飲め」

口元に宛てがわれた何かは、近すぎて視認出来ない。唇に触れる感触からしてペットボトルの飲み口、だろうか。飲めと言っているしそうなのだろう。自分で角度を調整すれば安定したと見たのか、ペットボトルが僅かに傾けられた。咥内を満たす水分に喉が鳴る。

「ん、く、んぐ」
「おい落ち着け、そんながっつくと零すぞ」

離されようとするペットボトルに手を添えて追い縋る。ジンもここで離した方が零すと判断したのか、仕方ねえなとぼやきながら口元へ戻してくれた。美味しい。もっと欲しい。

「…一気飲みとはまた…買い込んできて正解だったな」

ペットボトル一本を飲み干して一息つく。身体の真ん中から末端へ潤いが沁み渡る様な心地は今日初めての清々しさだ。ジンの呟きを遠くに聞きながら改めて体重を預ける。水分補給だけで多少マシになったが、まだ自力で身を起こしているのは辛い。

「ありがと、ちょっと、らくになった」
「そのザマでか」

変わらず酷い声だが、聞き取れる音を出せる様になっただけ回復している。
それにしてもこうして全体重をかけているというのに、ジンは振り払うでもなくじっと受け止めてくれている。昔からこうだ。風邪を引いたり、本当に私が抵抗出来ない時にだけ、この男の攻撃性は鳴りを潜める。有り体に言えば優しくなるというのかも知れないが、その言葉がこれ程似合わない人間も早々いないだろう。
…でも、いつもこういう態度なら私もジンと組織のイメージを混同させることは無かったのに。何故だか悔しい様な、惜しい様な。不思議な心地に陥る。

「ウォッカが粥を作ってる。 それ喰ったら寝ろ」
「…なに粥?」
「知らねえ。 卵か鶏だろ」

ウォッカが我が家に来るのは何時振りか。家の前まで来ることは多々あるが、中に上がるのは数年来だから何がどこにあるか分からないかも知れない。主に調味料とか。まあ熱の所為であまり味が分からないだろうから、ある程度失敗していてもいいか。

「…横になるか」

背に回されたジンの腕は左肩から右の脇腹へ抜けている。腕一本だというのに安定感は抜群で、この状態でいられるのなら起き上がったままでも支障は無い。
が、流石にそれはジンも嫌がるだろう。放り出される前に離れることにする。
肩口に預けていた頭を起こせば察したらしく、脇腹に触れていた掌が右肩に移動する。まさか横たわる手伝いまでしてくれるとは、本当にどうした。私の顔色は土気色なのか。

「一本ここに置いとくが、後は冷蔵庫にしまっとくぞ」
「ん、ぜんぶここでいい」
「十本買ってきた。 悪くなるぞ 」

結局ペットボトルを二本を枕元に転がして、まだ大分重そうなビニール袋を持ってジンは出ていった。
頼んだのは三本だったのに、三倍買ってきたのは用心深いジンらしい。自分でもここまで飢えるとは思っていなかったので助かるが、余らせたらどう処分しようか。普段甘い飲み物はあまり好まないだけに、気が早いと分かっていても頭を悩ませてしまう。

「ふあ…ん」

熱に浮かされながらとは言え、かなり寝ていたはずなのに再び睡魔が押し寄せてくる。水分を摂って安心した影響かも知れない。
欠伸を噛み殺しながらスマホを手に取る。同じ家の中にいる人間にメールするというのは妙な気分だが、多分、ジンが戻って来る前に私は寝落ちる。折角のお粥のことを思えばここでへこたれる訳にはいかなかった。
…が、フリック入力が上手くいかない。解読はジンに任せよう。