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この手にある

「おや。 あなたもここを使うんですね、ジン」

わざとらしいバーボンのリアクションに、ジンは舌打ちを返した。
組織の施設内にある休憩室を、普段ジンはあまり使用しない。主に外で任務をこなしているか、シェリーに宛がわれた研究室で一服するかのどちらかだった。
しかし今日はシェリーが休暇を取っている。一年に一回程度誰でも引く風邪を少々こじらせた為、向こう二日まで含めて無理矢理休ませた。施錠された研究室の合鍵を持ってはいるものの、肝心の監視対象が居ないのならばと滅多に足を運ばないここで一服したのは間違いだったかも知れない。普段は自分を忌避する素振りさせ見せるバーボンが薄ら笑いで近付いてくるのを睨みながら、ジンは後悔していた。

「最近、妙に俺の周りを嗅ぎ回ってると思えば等々来たか。 目的は何だ?」

さあ尻尾を撒いて帰れとばかりにジャブを放つ。
しかし情報収集能力と人心掌握術を買われてネームドに取り立てられた目の前の男は、業腹なことに胆力を兼ね備えている。いくら凄んでみせたところで効果は薄いだろう。その癖引き際は弁えているのだから憎らしい。彼が相棒として見出したスコッチの始末が成功していれば揺さぶれるところもあったのか。

「なんのことでしょう? …と、惚けるのは、今回は止めておきましょうか」

賢明な判断だ。常に懐に忍ばせている銃を使うことに何ら躊躇いは無い。

「個人的にシェリーに興味があるんですよ。 で、彼女のことを調べようと思うとどうしたって貴男が出てくる。 妙な勘違いはさせたくなかったので黙っていたのが裏目に出たかと思い、こうしてお詫びに伺った次第です」
「…アイツに、興味だと?」

シェリーの抱える研究に興味があるというなら分からないでも無い。未だ試作品と呼ばれるあの稀代の毒薬の開発は、非工作員のネームドとして下に見られていたシェリーの評判を一躍押し上げた。今までは歯牙にもかけなかったどころか、組織に入るにあたりライに利用された馬鹿扱いしていた連中がこぞってシェリーのことを訊いてくる。鬱陶しくて仕方が無い。

「ええ。 こう言っては失礼ですが、彼女、お世辞にも優秀な研究員とは言えないでしょう? 噂に聞く検出されない毒薬の開発には驚かされましたが、長く突き詰め続けてきたのなら成果が出るのは当然と言えば当然です。
 …いえ、彼女自身、あの結果は不本意の様でした。 僕の様に好んでこの組織に籍を置く人間からすれば、彼女は不思議で仕方無いんですよ。 どうしてあんなにも嫌がっているクセに此処に居たがるのかが、ね」

中でもこのバーボンはやはり抜きん出て鬱陶しかった。
シェリーと接触を持ったことは知っていた。取り入る為だろうサンドイッチを手土産に、相棒のスコッチの手引きで彼女の研究室に入るところを監視カメラで確認している。それからも二、三度単独で彼女を訪ねるのを黙認してやったのは尻尾でも出さないかと期待したからだ。
如才なくなんでもこなすこの男が、この組織を選んで居付く理由が分からない。それこそ表の世界で何をしてでも食べていける器用さを持っているのに、わざわざ後ろ暗いことを生業としたがる気が知れない。スリルが欲しいということならもっと前線を飛び回りたがるはずだろうに、バーボンは無用なリスクは避けたいとばかりに手を尽くし、平らにした後で後始末でもしに行く体で悠々と出ていく。
何を考えているか分からない切れ者ーーージンが最も警戒する類の人間である。

「で、調べて分かったんですけど。 彼女、三姉妹なんですね」

毒の無い、手本の様な笑顔はきっとシェリーに嫌われたことだろう。彼女は腹芸が出来ない割に鼻が利く。

「当時、その中で一番優秀だった彼女に両親の研究を引き継がせる為、幼い内から組織で囲い英才教育を施してきたと…この日本でよくそんなことが出来たものだ。 両親を亡くして子供三人のみという境遇なら、末っ子の年齢からしても児相の探りなんかあったんじゃないですか? どうやって躱したんです?」
「さあな。 そのあたりはベルモットが手ぇ回してた案件だ、俺は知らねえ」

いくらベルモットでも当時のシェリーに変装することは叶わなかっただろうが、長女をシェリーに変装させ、自身が長女に成りすますくらいの芸当は出来たはず。シェリーを組織に縛り付けられた理由が姉妹二人である様に、姉妹らも次女の為ならと従順だったと聞いている。ーーーその姉妹も今となっては行方知れずだが。
ベルモットですかと、バーボンの笑顔が陰る。さしものこの男でもあの魔女には近付き難いと見えた。

「…もう一度訊いてやる、目的は何だ。 俺から何を聞き出したい?」

バーボンの冗長な喋りに最後まで付き合ってやる気など、ジンには元々無かった。たまたま煙草に火を点けたばかりだったので聞いてやっていただけであり、もう燃え尽きるとなれば二本目を銜える前に終えさせてしまいたかった。誤解なのにと肩を竦めるバーボンの言葉を真に受ける者は居まい。灰を落とす。

「そうですねえ、折角質問が許されているなら一つ…貴男がどうしてシェリーの目付役に戻ったのか、お聞きしたいですね」
「…フン」

成程本当によく調べていると、内心感嘆の声を漏らす。
ただ単に何故シェリーの目付役を務めるのかと訊かれたのであれば、それがあの方からの命令だからと返すことが出来た。しかし戻ったと表現するのなら、一度は目付役を外されたにも関わらず、その後ジン自身の意志で再びその役目に就くことを希望したところまで調べをつけたのだろう。味方にしておけば有用だが、敵に回すとなると厄介な男だ。

「てめえの物を手元に戻しただけのことだ」
「…貴男の、物?」

少しの逡巡の後、バーボンが再び口を開く。

「それは研究のことですか? それとも、」
「知ってどうする」

最後に一息吸い込み、吐き出した白煙の向こうから注がれる眼差しを睨み返す。それ位で怯む輩ではないと分かってはいるが、これは意思表示だ。そこから踏み込んでくるならばタダでは済まないと。
…火が尽きた。

「じゃあな」

灰皿の底に吸殻を押し付けながら立ち上がり、訝しげな、もしくはまだ何か問いたげなバーボンを尻目に休憩室を後にする。
と、まるで見計らったかの様にスマホが鳴動した。短いそれはメールの着信を示している。ベルモットからの、日本を発ったという報せであれば良いと指を滑らせる。

「…ハッ。 俺をパシリに使うなんざてめえくらいのもんだぜ、シェリー」

スポドリ五百ml三本、レトルトのお粥六パック、熱冷ましシート一箱ーーーまるで買い物メモの様な、簡潔で素っ気無いメールの差出人は今頃家で寝込んでいるであろうシェリーだった。不自然な改行や空白が見えるあたり、熱で朦朧とした頭で打ったのだろうことが伺える。
待ってろと、四文字だけの返事を返しながら思い出すのは昔のことだ。今よりも小さな手がこの指を握ったあの日のこと。
そう、この手を掴んだのはあちらが先だった。それを拾ってからこちら、捨てた覚えは一切無い。故に宮野かなみは己の物である。