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額へ親愛

「そうか…ならば次はスコッチの身の振り方を話し合うべきか」
「…俺の?」

そう、問題は次に移っている。
スコッチの疑いは九分九厘払拭されたと見て良いが、ジンが誰の外堀を埋めたがっているかによってはこれからも付け狙われることになる。それなら嘘から出た真として、NOCとして離脱しFBIに保護してもらう手がある。
後者はライに泥を被って貰うことになるが、彼からそんな話を持ちかけて来たのなら覚悟の上だろう。
スコッチに会えなくなるのはかなり嫌だが、死なれては元も子もない。お姉ちゃんや志保の様にどこかで生きていてくれるのならその方が余程良かった。

「待ってくれ、俺の疑いはとりあえず晴れたんだよな? 戻る以外の選択肢は無いだろ?」

が、スコッチは戻るつもりでいたらしい。何故そんな話題になるのかとばかりに狼狽えている。
正直、この問題に関して私が口出し出来ることは無い。
戻って欲しいと縋るのは簡単だが、行動を著しく制限されている私が彼の為に働きかけられることは本当に少ない。せめてコーヒーを切らさない様にするのが関の山だ。今回だってベルモットが居なければ成す術無くスコッチを見送りに来るだけに終わっていただろうことを思えば、口を閉ざすしか無かった。
しかしバーボンが黙っているのは意外だった。硬い表情でスコッチを見つめる横顔を盗み見る。

「…戻るからな。 ゼロやシェリーを置いて行けるワケ無いだろ」

バーボンの沈黙を離脱の催促と受け取ったらしいスコッチが目を眇めて言う。その気持ちは嬉しいが、ここで諸手を挙げて迎え入れられる程の安全は保証出来ない。
少なくとも「スコッチは公安のNOCである」などという情報が何故ウォッカの安い情報網に引っかかったのか、それが分かるまではスコッチの立ち位置は薄氷の上にある。

「命あっての物種と言うだろう」

聞き分けろと言いたげなライの一言に、等々スコッチの眦が吊り上がった。ひとり座って居る私を中心に密集しつつあった為、スコッチが一歩踏み出しただけでライと胸先を突き合わせる距離になる。
やばい。普段物静かだから騙されそうになるが、これでライも中々好戦的だ。受けて立って仕舞われたら折角納めた場に血が降ることになる。

「ちょっとスコッチ、落ち着いッ!?」
「どうしても離脱しろってことなら、大人しくFBIの保護下に入るさ」

仲裁の為割り込ませようとした腕はスコッチに握られてしまった。痛くは無いが、振り解ける力では無い。そのままぐいと引き上げられ、ぽすりと収まった先はスコッチの腕の中だった。

「でもシェリーは連れて行く。 これは譲らないぞ」

―――それは、どうして。

「それは…認められん。 いずれ保護するにしろまだ時期尚早だ、ジンが派手に動き出す。 シェリーを奪還する為に形振り構わず追ってくるぞ」

珍しく焦りを見せたライが矢継ぎ早に言葉を重ねる。が、その危惧は杞憂というものだ。
ライはどうにもジンが私に並々ならぬ執着を懐いていると信じて疑わないが、例えそうだとしても組織が私の追跡に労力を費やすとは思えない。何せ私の研究者としての能力はどんなに良く見積もっても並より少し上程度でしかなく、唯一の価値であった組織を裏切らないという利点も消えたならターゲットリストの筆頭に名を連ねるしかない。ただ、それだけの話。
それよりも私には恐れるべき事態がある。そうなることだけは避けなければならず、スコッチと共に行く訳にはいかなかった。

「私は行けないよ、スコッチ」

拘束されていない方の腕でスコッチの背をあやす様に叩く。ライを睨んでいた目がつられる様にこちらを向いて、途端力を失う。いつものスコッチの顔だった。

「…知ってる。 だから俺も戻るんだ」

その顔で変わらないことを口にするから、揺るがないのだと知る。どうしたものかとスコッチの腕の中で僅かに身を捩り、ライを窺い見るが、彼は目頭を押さえて俯いてしまっていた。
眉間に刻まれた皺の数と深さがすごい。こんなにライが弱り果てているところを見るのは初めてかもしれない。
と、突然くぐもったバイヴ音が響いた。ブイブイ、狭そうなところで振動を繰り返している音が。

「…俺だな」

マナーモードにしていない私は言うまでも無く違う。己の懐を探り出す三人の中、そう声を上げたのはライだった。
画面に表示された名前を検めた緑の瞳が瞠目した。次いで全員に目配せして黙って居ろと指示するのに従い、息を潜める。

「ライだ。 どうした、ジン」
『ネズミの始末は終わったか』

いくら小さくとも聞き間違え様の無い声に息を呑む。ジンが、スコッチを指してまだネズミと言っている。

「取り押さえたところだ。 これから持ち物を検めるところだが…なんだ、まさか進捗伺いでかけてきたのか?」

小馬鹿にした問いかけには舌打ちが返された。ジンを相手にこうも嘘を吐いてのける胆力はFBI捜査官なら誰でも持ち合わせているものなのだろうか。正直、ライ個人の持ち味の気がする。

『ノロマが…処刑は中止だ。 中座した任務に戻れ』

中止。その一言に全員の顔が上がる。

「…なに? 中止とはなんだ、コイツはNOCなんだろう?」
『ガセネタだ。 その間抜けがどこぞで恨みでも買ったんだろうよ、ネタ元の始末はこっちでつけてやるから貸し借りなしだと言っとけ』

ライが爪先で床を二回小突く。取り押さえたと言った手前の小芝居だろう。それに合わせる様にバーボンがスコッチの服を引っ張って衣擦れの音を起こし、仕上げとばかりに笑顔で背を叩いた。やったなと言いたげなそれに私もつられて笑ってしまう。

「おいおい…おっかない話だな。 アンタが真偽を見誤るとは、余程巧妙な工作だったと見える」
『…うるせえ。 使いっ走りが一人前のクチ利くんじゃねえよ』

心底忌々しそうに吐き捨てるジンの声が一度途切れ、深い深い溜め息が聞こえてくる。苛立ちを抑える為に一服しているのだろう。ライが今どんな顔をしているか知ったら一発ぶっ放すレベルに跳ね上がると思うと声が漏れそうだった。早く通話を切って欲しい、声を上げてハイタッチしたい気分だ。
と。

『シェリーはいるか』

名を出され、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。それまでの高揚感が嘘の様に竦み上がる私の背をスコッチの手が撫で、動揺のあまり行き場なく彷徨った手をライが握る。
泳がされたと分かっていた。一太刀浴びせて満足している。
が、すんなりスコッチの下に辿り着いたことを知られていいものなのか、あまり考えていなかった。全部後で考えれば良いと突っ走ってしまったから。

「ああ、いたな。 心配せずとも怪我はさせていない、大事な恋人だからな」
『てめえまだ言ってんのかそれ…まあいい。 そのままそこで待たせとけ』
「…態々、来るのか?」
『てめえの知ったこっちゃねえだろ、言ったはずだ。 任務に戻れ』

こちらまで聞こえてきたブツリという終話音に、知らず止めていた息を吐く。一難去ってまた一難とはよく言ったもので、どうやら今度は私が乗り切らなければならない局面が来た様だ。

「どうしよう…」

スコッチに腰を、ライに手を取られたままの体勢で項垂れる。妙に安定しているのがおかしかった。

「何がどうしよう、なんですか?」

屈んでまで人の顔を覗き込んできたバーボンは心底不思議だという顔をしていた。スコッチの危機が去るなりすっきりとしたその顔が憎たらしい。

「…組織の追跡システムへのアクセス権限無いのに、何でここまで来れたのかって追及されたら言い逃れ出来ない」

本当のことを言おうか逡巡し、結局嘘を吐くのが面倒になった。
彼らには暴露したが、ベルモットからある程度協力を得られることは未だジンには伏せておきたい。気紛れに、且つ一方的に私が構われるだけの関係だと思わせておいた方が今後もやり得やすいのは勿論だが、私が組織のあらゆるシステムにアクセス出来る裏技を持っていると知られた日には指の一本も落とされるかも知れないから。

「あれは幹部なら誰でも使えるシステムでは無かったんですか?」
「さあ? 少なくとも私は必要無いだろってことでログインするのに必要なIDとか貰えてない」
「では今回はどうやって?」
「ベルモットの使った」

実はあるのにジンの独断で手元に無いだけかも知れないが、確認の仕様が無い。実際、今日の今日まで必要とせずに来たのだから強ち間違いでも無いのが悲しい。
バーボンがふむと顎に手を当て、考え込む素振りを見せる。

「あなたがここへ辿り着けた理由はどうとでも誤魔化せるでしょう。 ライから聞き出したとか、スコッチからSOSを受けたとか。 ベルモットのIDでシステムにログインした形跡も彼女に口裏を合わせてもらえばいい、そうすればどの端末からのアクセスかまでは調べないはずです。 ベルモットを疑い、不興を買うのは避けたいはずですから。
例えジンがあなたに協力する何者かの影に気付いていたとしても、今回の件で炙り出せることはありません」

…ぞっとした。
ジンの標的は私だったかも知れないのか。
盟友がベルモットでなければ、スコッチを追跡したのがFBIのNOCであるライでなければ。
私は協力者と友人、この二つを喪うところだった。

「…安心して下さい、大丈夫です」

ライとスコッチの手をさり気なく振り払ったバーボンの手に、直立する様促される。足元が崩れそうな、そんな心許無い心地だが、寄る辺が無いなら無いでひとりで立たなければならない気持ちに正される。頬をひと撫でして離れたバーボンの瞳は力強かった。

「…うん、大丈夫。 分かった」

取り急ぎ私がやるべきはベルモットへのメールと着信履歴の消去、それにジンを階下で待つこと。あとはいつも通りに、何事も無かったかの様に戻ればいい。
ジンに怯えていることを気取られてはならない。と。

「…もう少し怯える様を見ていたかったんだがな」
「は?」
「お前のそういう顔は中々見られない」

ライの不意の一言に、謎の微笑みに大きく後退る。スコッチも同様にライから大きく距離をとっており、唯一傍に残ったバーボンの右腕が唸った。

「ぐっ…!?」
「先に下へどうぞ、シェリー。 この変質者の始末は任せて下さい」
「バーボン…頼もしい…」

動きからしてボクシングだろうか。下っ腹を狙いすました一撃は見ていて実に爽快だった。鋭い眼差しをライに向けたまま言い切るバーボンは本当に、心の底から頼もしい。スコッチが頼りにするのも分かる気がした。

「じゃあお先に。 なんかあったら連絡してね」
「ええ、あなたも」

意地でも膝を着こうとしないライを前にファイティングポーズをとるバーボンと手を振り交わし、何故か自分の腹部を押さえているスコッチの脇をすり抜ける。もしかしてスコッチもあの拳を喰らったことがあるのだろうか。
入室した時とはまるで違う心持ちで扉を潜る。薄暗い廊下ももう怖くはなかった。

「シェリー」

と、呼び止める声に振り向く。バタンと扉が閉まった為に貴重な光が遮られ、顔の視認さえ難しい暗さだが、それが誰かは声で分かった。

「どうしたの、スコッチ」
「いや、まだ言ってなかったからな」

何をと問いかける言葉は、何かが額に触れたことで遮られてしまった。前髪を避ける動きで指先だと知る。それからスコッチの息遣いが間近に近付いて、露にされた額を柔らかいものが撫でていった。
……まさか。まさか?

「来てくれてありがとう。 すげえ嬉しかった」

嘘の気配など微塵も見えない弾んだ声をどこか遠くに聞く。その背中が再び扉の向こうに戻るのを呆然と見送ってーーーどうやって階下に移動したか、覚えていない。向こう脛が何ヶ所か痛むから、もしかしたら転ぶなり落ちるなりしたのかも知れない。

「…どんな顔で出迎えてくれてんだ、てめえは」

そうして漸く迎えに現れたジンの苦い顔に、ただ早く帰りたいと力無く泣きつく。二十歳を過ぎて少し経つ今日、そう言えばキスもまだしたこと無いなと気付いてしまったことが非常に辛かった。何故そんなことに気付いてしまったのかと言えば、思い出すだけで心臓を取り出したくて堪らなくなるので一生口外することは無いだろう。
やばい。ハニトラ仕掛けてくるのがスコッチでなくて、本当に良かった。