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奈落の足音

最近来客が増えた為にすっかり忘れるところだったが、基本的に私に与えられたこの研究室に入ることが出来るのは目付役のジンとその側近のウォッカのみである。他の構成員は事前に申請が必要とされており、但しジンかウォッカの同行があれば手続きを省略して入室が許可される。そのあたりを無視することも可能は可能だが、階の入り口に仕掛けられた監視カメラにより来訪を隠すことは出来ない。後日、早くてその日の内にジンにより尋問にかけられるだろう。
さて疑問が湧く。スコッチはどうやってここまで来ているのだろう。

「ん? ちゃんと申請通してだけど?」

あっけらかんとした答えに相槌を忘れる。てっきり言葉に困るだろうと思っていただけに、それがどうかしたかと言いたげな視線に私が困ってしまった。

「え、だって…こんなお茶飲みに来ましたみたいな感じでふらっと来るじゃん。 申請理由とかどんなこと書いてるの?」

研究室の片隅、実験器具を置かず休憩スペースとしている一角で並んで座って居る。スコッチの手には珈琲の入った紙コップがあり、私の手元にはミルクティーを淹れたマグカップがある。
最初に訪ねてきた時こそ割と真面目な連絡事項などを携えていたと言うのに、今となっては遊びに来たぞと気軽に現れる彼の訪問に誰が許可を出しているのか。

「任務の相談、で通るぞ? それに申請って言ってもメールをジンに飛ばして返信待つだけだし、お前が考えてる程手間なものじゃないって」

めちゃめちゃ泳がされてる。そう言いそうになった口を噤む。
ライやバーボンには目に見えて分かる程の嫌悪感を示すジンだが、スコッチにはそれが無い。その理由が無関心故と知っているが、流石にこの頻度で申請していればそうも言っていられないだろう。相談の中身を私に確認してこないところも不穏である。

「バーボンは知ってるの?」

あの切れ者なら怪しまれるから止めておけの忠告くらいしそうなものだ。まさかスコッチを切り捨てる気じゃないだろうなと疑心が首を擡げる。

「そりゃ勿論、コンビだからな」

衒いの無い笑顔が本当に眩しい。心からバーボンを信じきっている様子にちょっともやっとしたものを覚えるが、同じ組織から潜入してきた仲間なのだから当然だと割り切ることにする。

「何も言われてない? ジンに怪しまれるからやめろとか、何か探ってこいとか」
「いや、別に…なんだ? 心配してくれてるのか?」

釣り目がちのスコッチだが、笑うと眦が下がって印象が変わる。怜悧なイケメンから人懐こそうな大型犬になるのは個人的にかなりぐっとくるので、この距離で披露するのは本当止めて欲しい。変な空気になりたくない。

「共犯だからね。 一蓮托生でしょ」

私が二人に提供出来るのは主に例の研究データだが、ただ横流ししたところでどうしようもない。公安の方で信頼出来る研究者に協力を仰がなくてはならず、そちらが見つかるまでは待機ということになっている。
サブとして頼まれたのは、ジンの関わる任務の把握と、他の構成員の情報の横流しである。研究室に籠りきりの私は他の構成員と直接関わる機会に恵まれていないが、組織のデータベースへのアクセス権限を持っている。今までも暇潰しがてら無作為に眺めていたりしたから怪しまれることは無いだろう。人気アナウンサーの水無怜奈が工作員キールだと知った時、思わず会わせてとジンにせがんだ前科を踏まえれば接触を持つことも可能かも知れない。出来ればやりたくないが。

「…はは、うん、共犯だな」

それは今迄の快活さが嘘の様な、下手くそな笑顔だった。

*

相棒に嘘を吐くことは心苦しかったが、必要なことだった。
バーボンにはシェリーの下を訪れる頻度を誤魔化して伝えている。最初こそ気恥ずかしかった為に吐いていただけの嘘が、気付いた時には後戻り出来なくなっていた。
最初から正確に伝えていたならもっと早い段階で止められていただろう。策謀に疎く腹芸の出来ない自分でさえ泳がされていると気付いたのだ、メールを寄越しゃそれでいいなどと告げられるより前に感付いていたことは間違いない。
泳がされるということはつまり疑われているということである。シェリーに近付いたことがまずかったとは後に知った。何の事前調査も準備も無しにジンの警戒網に飛び込んだ迂闊を悔やむも、相手がジンである以上、最早取り繕うことは不可能である。腹を括るのは早かった。
その甲斐もあり、シェリーを味方に引き入れることが出来た。この組織に似つかわしくない女性という印象は当たっていた様で、彼女は望んで所属している訳では無かったことが幸いした。ジンの懐にいる彼女の助力が得られるのは大きい。
だが果たして、ジンがそれを想定していなかったなど有り得るのだろうか。

「妙なこと考えないでね」

最近、シェリーによくかけられる言葉だ。じっとこちらを見つめる大きな瞳に映る自分を見たくなくて目を逸らす。
潜入捜査を命じられた時から覚悟は決まっている。捜査の為だとしながら人を殺した時に諦めたものがある。彼女が懸念する妙なこととは、恐らく近い内に自分が選ばねばならない未来だろう。彼女と相棒の為ならば、きっと自分はその末路に至ることを躊躇しない。