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月島基という男

月島基にとって、家族と呼べるのは幼馴染の少女とその両親だった。実の父親は刑務所に出たり入ったりを繰り返している内に自然と縁遠くなり、母親に至っては月島が物心着く前に自ら命を絶っている。父親の家庭内暴力に耐えきれず、さりとて外へ逃げ出すことも出来なかった結果だった。
父親は自分の世話に一切関わらなかったそうなので、今平穏に暮らしていられるのは、あのロクデナシが息子が居たという事実をすっかり忘れているお蔭かも知れない。それでもいつか金をせびりに来るのではないかと思うとぞっとする。
そんな父親の存在を知っていて尚自分を受け入れてくれる幼馴染の一家は、月島にとって何に代えてでも守るべき存在だった。

「基ちゃん、明日着いて来て欲しいところがあるんだけど、空いてる?」

リスを思わせる大きな黒い瞳を湛えた顔は、月島にとって誰よりも可愛くて堪らない『妹』の顔である。やっと二十歳になって一人前になったかと思えば、中高生の頃と変わらず、月島に付き添いを頼みに来るのだからつい苦笑が漏れる。いつまでもこのままでいて欲しい。

「構わないが、何処へ行くんだ?」

大学へ入ってからはどこそこへ友人と出かけるのだとばかり言っていたから、もう自分はお役御免なのだと思っていた。友人と連れ立って出かけるのが楽しい高校生の時分でさえ自分に誘いをかけてくるような子だったから、とうとう巣立ちの時が来たのだなと、幾許か懐いていた寂寥感が消えていく。

「…怒らない?」

言い淀み、口を開いたかと思えばそんなことを聞いてくる様子から大体を察した。高校生の時、ガールズバーに行った事あるかと訊いてきた時と同じ顔だ。

「場所に寄るが、そうか、おじさんやおばさんに言えないところなんだな?」

それは摘発されたというニュースの多いガールズバーでバイトをしている友人からの誘いを受け、自身もそこでバイトをしてみようかと悩んだ末のインタビューだった。
月島は甘い酒を好まないこともあり、そういった酒場へは行ったことが無かった。悪いイメージに影響されていなかったと言えば嘘になる。そしてそんなところへ可愛い妹分が働きに行くなど、どうして許容出来ようか。言ってみればキャバクラの一歩手前だろう。
故に月島はかなみにガールズバーへ近寄らぬ様、きつくきつく言って聞かせた。今回も少し脅かさねばならないだろうか。

「言えないところっていうか、用事っていうか…基ちゃん、鯉登さんと初めて会った時のこと、覚えてる?」
「何故今あの人が出てくるんだ」
「いいから」

月島は既に社会人として働きに出ているが、現在の会社に入社する際に一騒動あった。北鎮運送という、ある地域に根付いた運送会社の営業として入ったのだが、そこの重役の子息である鯉登音之進という青年にいきなり掴みかかられたのである。当時、彼はまだバイトの配送員だった。
月島、貴様今まで何処にいたと怒鳴られ、ただ呆気にとられた時のことは今でもよく覚えている。

「まあ、忘れられるものじゃないからな」

月島にとって鯉登とはまるで見覚えの無い青年だった。かなみとそう歳が変わらないくらいの青年が出荷場で誰よりもよく動いているのを見て、素直に感心していた。その視線に気付いたらしい彼が振り返り、見つめ合って数秒。猛然と駆け寄ってくる彼の瞳は必死過ぎた。

「私にもそういう人が出来ました」
「やめておけ、しつこいぞ」

鯉登音之進と名乗ったその青年曰く、自分には日露戦争時代を生き抜いた前世の記憶があり、そこで月島とは同じ隊に所属していた間柄だと言う。共に樺太を駆け抜けたという熱弁は、興奮冷めやらぬ彼を取り押さえてくれた宇佐美や前山と言う、後の同僚達が訳しつつ教えてくれた。
正直月島は、ここに就職するのは辞めようと思った。当然である、社員の大部分が前世だのとのたまうなど真っ当な会社では無い。
それを思い留まった、否、思い留まらせられたのは、鶴見と名乗る支部長と会ってしまったからだった。
非の打ち所のない、紳士然とした佇まいに息を呑む。久しいな月島と声をかけられ、勝手に伸びた背筋と、額の前にかざしてしまった右手は所謂敬礼の形だ。自分は何故こんな格好をと戸惑う月島を余所に、やはりお前は月島だと鯉登の声が辺りに響く。
結局月島は、前世なぞ知りませんと言いつつ今も北鎮運送に勤めている。
かなみには以上の顛末を社会経験として話し、お前はこんなところ来るんじゃないぞと懇々と言って聞かせた。

「この前、友達と飲み会するって言ってたでしょ? 行ったお店で隣の席になった人達が、私のこと当たり前みたいに知ってたの。 その中でアシリパさんと佐一さんって人のこと、私も知ってる様な感覚があって…というかそこにいた人達の顔、ぜんぶ見覚えがあった」

憶えていないはずの人間の顔と名前を知っているという感覚は、月島も鶴見に出会った際に覚えたものだ。嘘だろう、気のせいだろうと流すには鮮烈過ぎるそれを、彼女も経験したと言うのか。

「…分かった。 で、明日、何時に何処と約束してるんだ?」

かなみは世間擦れせず、純朴に育っている。そこに一枚噛んでいないとは言い切れない月島は、彼女が変な輩に引っかかって来ない様努めるのは義務だと自負していた。
故に、本来なら今回のことだって行くんじゃないと止めるべきだった。それが出来ないのは、既に似たようなことが我が身に起こっていたからである。

「もしかして私と基ちゃんも前世とやらで会ってたのかな」
「どうだろうな。 だとしたら、本当に兄妹だったかも知れないな」

柔らかい黒髪に指先を潜らせ、そのまま頭部を丸く一撫でする。猫の様に目を細め、心地よさそうな顔をする少女の顔をじっと見つめた。前世とやらでどんな関係であったにせよ、今生で築いたこの愛情は決して揺るがない。

「お前は俺の、可愛い『妹』だよ、かなみ」