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天命

いやにすんなり彼女を帰したものだと、杉元は不気味に大人しい尾形を眺める。
生まれてこの方ずっと探していた彼女を自分の縄張りに招き入れることが出来たのだから、てっきり取り込んで帰さないものと思い込んでいたが。

「わざわざ来てもらったのに悪かったな」

その為に多少手荒になる覚悟でこの場に臨んだし、手勢の一員としてこの男を招いた。
元、土方歳三。今も同じ名ではあるものの、違う漢字が宛がわれているということでトシゾウと名乗ることが多いという。やはり前の記憶が有る以上、前の名に愛着を覚えてしまうのだと吐露した顔は自嘲気味であった。

「いや、何も無かったのならそれが一番だろう」

金塊を探し求めていた頃よりも幾分か若い姿にももうすっかり慣れて、それでも再会した頃より歳を重ねていく姿に既視感を見出していく。恐らくあちらもそうなのだろう、最近こちらを見る瞳が懐かしげに細められていることが多い。

「それに俺もあのお嬢さんにはもう一度会いたかった。 結局網走監獄の混乱の中で別れたのが最後になってしまったからな」

そうか、土方はその時が最後になるのかと改めて知る。
過酷な旅の中、同行している間は何くれとなくかなみのことを気にかけていたこの男の耳に何時その死亡の一報が届いたかは定かでは無いが、再び見えた時には既に知っていた様に思う。その頃の自分達はまだ疑い、第七師団の何処かに監禁されているのではないか探っていたというのに。

「鶴見の腹心であった月島が彼女の番犬をしているのには驚いたが…中々良い組み合わせだったな。 はじめちゃん、か」

くつくつと喉で笑い、視線を遠くに投げる横顔に警戒心は見られない。彼女に続いて月島がこの場に現れた時は腰を浮かせ臨戦態勢に入っていたが、記憶が無いと分かると構えを解いていたことを思い出す。羽織の下、腰帯の挟む形で脇差を佩いていることは杉元と尾形しか知らない。

「月島、記憶が無いってのは本当だと思うか」

話の間中、月島はじっとキロランケを睨んでいた。記憶が無いとはその言動からして嘘では無いと確信していたが、見覚えのある顔触れを見て触発された可能性は否めない。その後、尾形によって二階へ拐されていたかなみを探す剣幕も只事ではなかったから。

「本当だろう。 欠片でも覚えていたらあの様にキロランケを睨むより、俺に注意を払っていたはずだ」
「ああ…それもそうか」

そう、月島がもし記憶が無い振りをしていたのであれば、土方が脇差を備えていたことに気付かぬはずが無い。谷垣は気付いていなかったけれど。

「しかし鶴見に出会っていて尚思い出さんとは。 意識的に記憶に鍵をかけているのかも知れんな」

かなみがアシリパを見て、自分を見て呼び起こされるものがあった様に、月島も脳とは違うところに記憶を眠らせているのなら鶴見が切っ掛けになる可能性は極めて高かった。しかし当に出会っていてあれならば、月島に限っては「前の」記憶はさっぱり無いのではないかという疑いが首を擡げる。

「思い出したくないことがあるってことか?」

例えば、この平和な世において出兵した記憶など無い方が良いに決まっている。杉元とて未だに人を容易く殺す己の夢を見て苦悩する時があり、その時ばかりはどうしてこんな記憶があるのかと信じてもいない神を呪う。

「それにしても月島軍曹とかなみちゃんが懇意だったなんて話は聞かなかったけど…ああ、でもそういや…」

彼女は義兄と義父の死に伴い、遺品整理などの用件もあって何度か第七師団に出入りしている。その際に何人か顔見知りが出来ていてもおかしくないが、旅をしている間に彼女の口から早々月島の名は出て来なかった。
…いや、しかし逆はあった。月島の口からかなみの名を聞いたことが一度だけ。

「樺太に行く直前くらいだったかな? かなみちゃんが無事でいる保証はあるのかってえらい剣幕で訊かれたことがあった気がする」
「ほう?」

網走監獄襲撃後、彼女はアシリパと共に尾形とキロランケに連れ浚われる様にして樺太へ渡った。養子であれど花沢中将の遺児と見做されていた彼女が第七師団にとっては保護対象であるとは分かったが、月島のあの剣幕は普段の様子から大きく逸脱したものだった。しかし私情があるのかと勘繰ったのはその直後だけで、それ以降は月島の口からかなみの名が出てくることは無かったのでそのまま疑いを忘れてしまった───のだと思う。
恐らく自分に限った話だが、「前の」記憶に当時の感慨は伴っていない。例えば「前の」尾形がかなみを浚い出したことに対する憤慨は「今の」自分が記憶を覗いた際に抱いたものであり、当時の自分が何を思ったのかはよく分からないのだ。よくもこんな危険な旅にあの子を巻き込んだなとその胸倉を掴み上げた記憶はあるので、やはり快く思ってはいなかったのだろうが。

「それにお前は何と答えた?」
「…尾形が惚れ込んでるのは間違いないから、何があっても守るだろうよって」

何故尾形がかなみを花沢の家から浚い出したのか、その動機は長らく判然としなかった。けれど何時しか何かとかなみを構う様になった尾形の態度から察するところとなり、その悍ましい程の執着を知った時には手遅れだった。あの昏い瞳は常にかなみを見ている。

「月島は何と言った」

頭の中で扉を一枚開いた向こうにある「前の」記憶を辿る。
…樺太へ向かう船の上、厳めしい顔付の月島軍曹と胸先三寸で向き合っている。尾形の名を聞いて眉間の皺を深くした彼の口が、怒りで戦慄く様に開かれた。

「月島軍曹は…」

鼓膜の奥で声が蘇る。怒りに満ちた、獣の威嚇音に似た唸り声。あれを言葉として拾えたのは偶然だったのだろう。

「『彼女まで憑り殺す気か』」
「そう言っていたのか?」
「たぶん、確か? 船の上で風が強かったし、独り言拾った様なもんだからな。 でも殺す気かって部分だけははっきり聞こえた」

その前に呟かれた数文字に確証は無い。憑り殺すとは生きた人間に使う表現では無いから、実は当時から懐いていた、聞き違えたかという不安が胸の内で息を吹き返す。

「…恐らく、月島は尾形があのお嬢さんを本気で好く訳が無いと考えていたのだろう。 己の目的の為に道具と使い捨てる気だと確信していた…いや、思い込んでいたか」

そう。実際、尾形は彼女を使い捨てる様なことはしなかった。樺太に渡ってからも甲斐甲斐しく庇護していたとはアシリパや白石から聞き取って確認済みであるし、キロランケと手を組むにあたって出した条件の一つが彼女の身柄の確保だったと言う。第七師団に囚われる様な窮地にあっても、彼女だけは命が奪われる危険が無かったにも関わらず。

「ま、実際違ってたからって俺は誤解だとは思わねえけど」

尾形といういけ好かない男の酷薄さを思えば、「前の」月島のそれは見当違いの思い違いでは無い。むしろ尾形という男を知る者であれば大凡の人間が同じ危惧を抱くに至っただろう。
土方を見る。まだ黒が大部分を占める頭髪の中、見え隠れする白と皺にこそ面影はあった。

「アンタ、前に言ってたよな」
「なんのことだ?」

やや歪んだ一文字を描いていた唇が、ゆったりと弧を描く。初めて会った、否、今生において再会した頃よりも皺の深くなった口元を睨むのは何だか寂しかった。

「俺達が記憶を持って生まれ直したのには何かしらの意味があるはずだってよ」
「…ああ、言ったな」

全ての命には役目があると、その理屈を杉元はいつしか信仰していた。全ての出来事には理由があると言った男の言葉も、成程と受け入れている。
だから土方が口にした、根拠など何も無い戯言も一種の道理と認めていた。自分であって自分でない、ある人間の一生分の記憶を携えて生きる重圧と苦悩と、少しの喜び。それらには全て意味があり、何らかの成果を求められているのだと。

「その意味って、誰かの為になるもんか?」

例えばあの子の為になれるのかと言外に問いかける。
あの旅から無理にでも引き離すべきだったという慟哭と後悔を雪ぐことが出来るなら、今生をかけたって構わないと本気で思っている。きっとあの子はそんな勿体無いことは止めてと訴えるだろうけれど。
しかし土方は問いには答えず、杉元に背を向けた。凛と伸びた背筋に老いが見当たらないのは相変わらずである。

「今度会う時は永倉や牛山も連れて来よう。 あと門倉もだな。 家永は…あれは、うん、追々だ」

言いながら玄関へ向かう背に続いて歩く。空ける距離はかつて男が手にしていた打刀の間合いだ。その刀身の分だけ空けていてもまだ安全でないことはよく知っている。

「そう警戒するな、杉元。 「今の」俺の手に在るのは堀川だけだぞ」
「…脇差の方が室内じゃ振りやすいだろ」

確かにと、くつくつ喉で笑う男の求めるところを杉元は知っている。
和泉守兼定。「前の」男を象徴すると言っても過言では無いその刀は、現在、この日本において行方知れずとなっていた。