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呪われた男

昔から昼寝は嫌いだった。夜に眠る時に見るものとは違う、連なりを持った夢を見てしまうから。
何日かかけて見るその夢はある終わりを迎えると最初に立ち返る。長く甚振ってくる悪夢は、いくら成長しようとも───否、成長したからこそ自分を脅かしてくる。夢の意味を悟ることは禁忌であると、いつしか気付いていた。
夢の中で自身は兵士である。今は無い、日本軍の兵士として昼夜を走り回る叩き上げの兵士。一つ星の軍帽を被り、見知らぬ雪景色の中を歩いているのが大抵だった。
何かを、誰かを恋しがりながら引き返そうとしない自分の前にはやがて小さな背中が現れる。白い箱を抱え、項垂れて歩くしょぼくれた喪服の背中は少女のものだ。頼りない腰を支える様に巻かれた白い帯が少し黄ばんでいる様に見えて、あの名家の養子である彼女に限ってそんな訳は無いと思い直して目を凝らす。
しかし少女は角を曲がってしまい、その姿を一瞬見失う。
尾行に気付かれない様保っていた距離を小走りで詰めるが、覗いた先には誰の姿も無い。何処に行ったのだと慌てる己の中に在るのは、任務失敗による焦燥感では無く、あの頼りなげな少女はどうしてしまったのだという心配だけだった。
探す。走る。探す。撃つ。探す。戦う。探す。
脳裏を過る最悪の末路を幾度も振り払う。本来なら貧しくとも市井で平穏に生きられたであろう彼女が痛ましい目に遭うなど理不尽だと、あの薄幸の佇まいを思い出しては憤る。戦後の動乱の最中にあってはどんな惨事も珍しくないと分かっていても、受け容れられないものがあった。

「俺は、どうしたら」

探索の果て、遂に自分は彼女に辿り着いた。腹を撃ち抜かれ、うち棄てられた死体を抱き起す。誰がやったという怒りに、間に合わなかった空しさが勝る。
今彼女の死を一番悼んでやれるだろう者の元へ送り出してやろうと言う餞は、しかし叶わない。この世で唯一人、裏切る訳にはいかない男が言うのだ。彼女の死体には使い道があると。

「許さないで下さい。 どうか、俺なんぞ」

彼女の唯一の肉親である姉は気が触れて久しく、義母である女性は実家に保護されている。かつて栄華を誇った名家は今や見る影もなく、その中でひとり健常であるが故に珍重されていた少女の死体がどう扱われるかなど想像したくもなかった。ただただ申し訳なくて、可哀想で、その死に顔を見ることが出来ない。
せめて腐敗していく身体を晒す恥はかかせまいと、独断で荼毘に伏した時は我ながら不思議なくらいに安堵した。
焼けた骨をひとつひとつ拾い上げる。彼女の義父が納められた骨壺と同じ意匠の物を選んだのは、せめてもの縁だった。一度くらい「とうさま」と呼べば良かったと口にした彼女の為の。何故か家族というものと縁遠かった少女の憂い顔に、ひとつでも報いてやりたかった。

「俺が本当に貴女の兄だったなら、まだ良かったんだ」

それに応える様に骨壺の中から声がする。すっかり忘れたと思い込んでいた少女の声で、いつか聞いた言葉を繰り返す。

「月島さんがお兄さんだったら、私、きっとすごく甘えてました」

それは唯一彼女からいつか聞けた軽口だった。亡き少尉殿を差し置いて俺ですかなどと、センスも気遣いも無い答えを返したことをずっと後悔していた。
…こんな夢を昼に限って見せられるのは誰かの復讐なのかも知れないと、ずっと考えていた。その犯人はきっと今日引合されたあの男なのだろうと、半ば確信に至っている。きっとあの男は俺の所為にするなよと、人を喰った様な笑みでいなすのだろうけれど。
───もう直ぐ目が覚める。こんな夢のことなど忘れて、いつも通りの自分に戻らなければいけない。

「…かなみ。 何処だ」

ひとりきり、見知らぬ部屋で身を起こす。妹の姿が傍らに無い理由は分かっているのに、今し方見ていた夢の所為で───はて。自分はどんな夢を見ていたのだったか。

「かなみ! 何処だ!」

とんと夢の内容は思い出せないのに、かつてない程の焦燥感に急き立てられている。ここで見つけられなければ彼女はどうなるか、お前は知っているはずだと囁きかけてくる声がある。
…言われなくても分かっている。二度と見喪わない為に自分は彼女の傍を選んだのだから。
覚束無い足取りで立ち上がる。眩む頭を抱えて踏み出した先、襖を開けた向こうの板張りの廊下に白い箱を抱えた誰かの姿を幻視した。

「…違う。 それは、かなみじゃない」

軍服姿の己が居る。白い絹地に包まれた箱を抱えて立ち塞がる己が。
差し出されるそれを振り切って今一度声を張り上げた。あの子が目の前に戻ってきてくれたならこの幻覚は消えるだろう。三歩後ろについてきていることを知覚しながら声の方へ走る。階段を駆け上がっても、杉元やアシリパらが合流してもそれは自分の後ろを離れない。だからここに居るだろうとばかりに箱を差し出していると、見ずとも分かった。

「基ちゃん、大丈夫!」

扉の向こうからかなみの声が響き、それに祓われる様に背後の気配が軽くなる。
…けれどまたあの夢を昼に視たのなら現れるのだろう。こうして覚醒してしまえば朧気になる夢の内容は、幾度繰り返しても判然としない。誰かが死んで、自分はそれを悼んでいた様な気がするがそれだけだ。その誰かがあの子だなんて、絶対に認めはしない。