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また会いましょう

尾形と壁にぴったり挟まれた状態で、かなみは身動きも出来ずただ立ち竦む。父親と月島以外の異性に抱きしめられるのは初めてで、剰え額に口付けられるなど。

「お、おが、たさん、近い、近いです」

咄嗟に月島を呼ぼうとして、止める。彼は今一階で寝込んでいる。呼べば飛んできてくれるだろうが、あの幼馴染が真っ青になって倒れるなど普通の事態では無い。そっとしておいてやりたかった。
掌を当てた胸板は表面こそふわりとしているが、少し押せば鉄板の如き硬度がある。力を入れていない時の筋肉は軟らかいのだとは月島で知っており、その隆起した腕から分かっていたことだが、尾形もそれなりに鍛えているらしかった。

「慣れろ。 これからずっとこの距離間だぞ」

離れて堪るかと言わんばかりに更に力を籠めて抱き込まれ、まるで感触の違う胸同士の間で手が潰される。万が一、彼が自称する通りの夫婦関係になったとしてもこの距離間は無いだろうと身を捩るが、含み笑いと共に腰を撫で上げられて再び身が竦む。

「かなみ」

噛み締める様に呼ばわれる度、くらりと思い出しそうになる何かがある。
死装束じみた白を纏う女性と、彼女が後生大事そうに抱える桐の箱。女性は深く項垂れたまま微動だにしないのに、何故かからからという音が勝手に脳内で再生される。
…そう言えば尾形は先程、自分に姉の有無を訊ねてきた。「前の」自分には居たのだろうとそれくらいで流していたが、この生気の薄い女性がそうなのだろうか。
こんな───薄気味悪い人が。

「かなみ。 その女のことだけは思い出さなくていい」

かなみの視界を支配していた幻覚がばりんと割れる。後頭部をゆっくりと撫で付ける掌は頭髪越しにも分かる程に暖かく、ついほっと息を吐いた。

「色々気に食わないことは多いがお前を見つけるのが遅くなったツケだ、仕方ねえ」

色々とは何のことだろう。月島のことだけではなくてまだあるのだと含みを持たせた言葉に思考を巡らせるが、思い当たるものは無い。
まだ尾形と会うのは二度目で、一度目は訳も分からぬままにお酒を飲み交わしたとあって覚えていることは少ない。二度目の今日は、今は、月島と会わせただけだというのに彼は何に勘付いたのか。
妙に騒ぐ胸を抑え、見上げてもその顔が見えない程の至近距離のまま、かなみは尾形の声にじっと耳を傾ける。

「問題はこれからどうするかだよな」

漸く身を離されたが、空いた距離は拳一つ分にも満たない。まだその腕の中に居ると言っても過言ではない場所で、かなみはにやりと笑う尾形からさっと目を逸らした。
と。

「かなみ!!! 何処だ!!!」

家ごと揺るがす様な怒鳴り声に思わず飛び上がる。目の前の尾形はと言えばやはりその声量に度胆を抜かれたのか、猫だましを喰らった猫の様に硬直していた。

「かなみ!!! 返事しろ!!!」

階下からこの奥詰まりの部屋まで響いてくる桁違いの声量は、あの鍛え抜かれた腹筋から繰り出されている。二度名を呼ばわれてやっと我に返ったかなみは尾形の腕の中から身を乗り出し、扉に向けて声を張り上げた。

「基ちゃん!!」

ガガガガガ、ドドドドド。
かなみの声から一拍の間も置かず、階段を駆け上がり廊下を疾走するけたたましい足音が近づいてくる。多分、転倒防止策として既に靴下を脱いで準備していたのだろう。一切の迷いも怖れも無い。

「かなみ!!」

ガンと扉が内側に大きくしなる。けれど表面に罅の入った様子も無い扉は、窓硝子同様に何がしかの細工が為されているらしいことが窺えた。
しかし諦めずに更に二度三度、扉はしなる。

「どんな馬鹿力だよ…」

何枚重ねだと思ってるんだとぼやく尾形の腕に知らずしがみついていたかなみは、扉を蹴破ろうとする轟音の向こう、杉元やアシリパの声が聞こえることに気が付いた。月島を止めようとしているのだろう。白石の悲鳴と谷垣の呻き声に混じり、土方のよく通る低音が落ち着けと宥めているのが聞こえる。

「かなみ、無事か!?」

蹴破ることをとうとう諦めたのか、扉の直ぐ向こうから月島の呼びかける声がする。
それにしても無事とは何のことなのか。月島は何故そんなにも動転しているのだろう。

「落ち着け月島! 大丈夫だ、尾形はかなみに限っては手荒なことはしない! …はずだ!」
「そこは言い切ってよアシリパさん!? いやまあ、俺もちょっと不安だけど…」
「かなみ!!! 返事してくれかなみ!!!」

アシリパの制止と杉元の自信無さげな呟きを聞いて、かなみはそこで初めて自身が監禁されているという疑いを掛けられていることに気付いた。
時計すら無いこの部屋に入ってどれ程時間が経ったかは定かではないが、十分は経っているだろう。回復した月島が居間へ戻り、そこでかなみと尾形の姿が無いことに気が付いて騒ぎ出しのだと思われる。

「ちょ、尾形さん、離して下さい」
「断る」

扉に駆け寄ろうと、尾形の腕を抱き込んでいた己の腕を解く。が、袈裟懸けに絡んできた尾形の腕が退かない。体重をかけたところでびくともしないのは分かっていたことだが、このままでは月島は再び扉を蹴り出すだろう。己の足がどうなろうと構わずに。

「基ちゃん、大丈夫! 何ともないから落ち着いて!!」

倒れたばかりの身でなくともそんなことはさせられないと、再び尾形の腕の中から声を張り上げる。途端扉の向こうの物々しかった雰囲気が鎮まるのを感じ取るが、このまま尾形に拘束されていてはまた月島が暴れ出すかも知れない。話もまだ途中だったのだから戻るべきだろう。

「防音にもしとくべきだったな」

が、そんな物騒な呟きを漏らす尾形を説得することが出来るのかと逡巡する。しかし力では到底叶わないと分かっているのだから、取るべき手段はそれしかない。

「尾形さん、そろそろ戻らないと」
「…時間も時間だ。 ここから出たらお前、月島に連れて帰られるぞ」
「えっ…今何時ですか?」

尾形のスマートフォンが眼前に突き付けられる。ここに来るまでにかかった時間を考えれば、確かにもう帰路に着かなければいけない時刻になっていた。月島と出掛けると伝えてあるので多少遅くなっても許されるだろうが、明日が平日であることを考えればあまり遅くなりたくないのがかなみの本音だった。

「すみません、もう帰らないと」

キロランケの話の途中で中座することになってしまった為に、まだ白石と土方、インカラマッから話を聞けていない。白石とインカラマッとは既に居酒屋で連絡先を交換しているので後日個別に会うことも出来るだろうが、土方は気安く会ってくれるのか不安がある。終始気さくに接してもらっていたのに何故こんなにも呑まれてしまっているのか、かなみは自分でもよく分からなかった。

「…帰るって何処に」

ぽつりと落とされた呟きが旋毛に当たり、思考を引き戻される。そのまま頭頂部を何か柔らかいもので押さえられてしまった為に見ることは叶わないが、この家へ初めて踏み入った先程と同じ、あのつくりものじみた瞳をしているのだろう。

「私の家ですけど…」

両親が居て、かつては月島も居たあの家が自分の帰るべき場所だ。大学進学に伴い一人暮らしを考えたこともあるが、就職してからでいいだろうという月島の一声で御破算になった。

「じゃあここだろ」

昏い声は断言しているのに、どこか懇願する様な色を含ませていた。そうだと言ってくれと乞う様なそれに答えあぐね、しかし頷いてしまえば扉を開けさせてはもらえないだろうことは火を見るより明らかだった。先の見えた勝負であるとしても籠城戦は困る。明日の朝には決着が着くとしても、そうなれば恐らく、二度と尾形に会うことは叶わなくなるだろう。ひいては杉元やアシリパ達とも。
かなみにとってそれは望ましくない。まだ何も答えが出ていない、何も思い出せていないのに。

「尾形さん、来週の日曜日、空いてますか?」

手探りで探り当てた尾形の頬を、かなみは先程された様に指先で撫でる。触れられて気恥しいけれど落ち着く心地を、彼も味わってくれたらいいと。

「…空いてる」

掌にすりと頬擦りされる。猫の様な仕草に似つかわしくない髭の手触りが擽ったかった。

「映画、見に行きませんか? 」
「行く」

月島を誘って観に行こうと画策していた映画がある。月島の嫌う煩い映画だが、誘えば先ず断られないのを良いことに公開される度に誘ってきたパニックホラー物。尾形がそう言った系統が苦手な訳が無いと思うのは偏見だろうか。
即答されて零したかなみの笑みの吐息が、剥き出しの尾形の腕にかかる。

「じゃあ行きましょう。 その、まだ、と言うか…今は一緒に住めませんけど、一緒の時間は作れますから」

だから今はそれで勘弁して貰えないかと言葉を区切る。それから頭をやんわりと押さえ付けられたまま視線を今一度部屋に巡らせて、本当に何も無い部屋であることを確かめた。
…これをお前の部屋だと、揚々として見せてきた尾形のことが怖くないと言ったら嘘になる。
前世妻であったという存在に固執するだけの男だったなら直ぐに逃げ出してもいただろう。
しかしそれだけでは無いものを感じる。しかと「前の」かなみと「今の」かなみを分けて捉え、なにか───見極めようとしている様な、それでいて逃すまいとしている様な、そんな迷いを。
その迷いは、前世の記憶らしいものを朧気ながら蘇らせてしまった自分の不安定とよく似ている気がした。

「それで手を打てってことか」

ふうと長い溜め息がかなみの首筋を撫でていく。嘆息と言うよりガス抜きの様なそれを黙って受け止めて、やがて唐突に歩き出した尾形に抱え込まれたまま扉が近づき始める。

「お、尾形さん、離してもらった方が」
「一秒だって勿体ねえだろ」

それは離れることがという意味かと問い返す前にドアノブが回される。右に二回り、回し過ぎではないかと思う程に捻って初めて開いた扉の向こうでは、どこから持ってきたのか月島が椅子を振りかぶっていた。それを止めようとして絡み付く杉元と白石と谷垣をぶら下げて尚倒れない身体は、果たしてどれ程鍛えたらそうなるのか。

「かなみ!! …から離れろ野良猫が!!!」
「おお怖い。 かなみに当たったらどうするんですか月島さん。 とっととそれ持って降りてください、こんな狭っ苦しいところで暴れられちゃ叶わない」
「貴様がかなみを監禁したからだろうが!!」
「ハハッ、人聞きが悪い。 ちょっと二人きりになりたかっただけですよ」

椅子を下ろしたものの、いつ尾形に投げ付けるか分からない剣幕で怒鳴り立てる月島の背後に下がっていた土方とかなみの目が合う。大変だなと言いたげな苦笑を向けられて、かなみは何と答えていいものか分からず似た様な苦笑を返した。
…こんなに優しい眼差しをしている人を、どうして自分は怖がるのか。
考えて、解決しなければならないことが沢山あると息を吐く。二十歳を超えて成人したはずなのに、まるで生まれたての人生を与えられてしまった様なこの心地は良いのか悪いのか、それすら覚束無くて。

「かなみ、帰るぞ!」
「またな、かなみ」

月島の顰めっ面と尾形の底意地の悪そうな笑みを一度に視界で捉えて、笑う。自分がどんな答えを出すにしろ、この二人だけはずっと傍にいてくれる気がした。