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きみだけへ思うこと

尾形の家は数年前まで祖父母と同居していた生家であり、二人が亡くなった今も一人で住んでいる。母は幼い尾形と手切れ金の半分を残して居なくなった。金を持って行ったのなら死ぬ気では無いのだろうと、尾形は母を探したことは一度も無い。それよりも探すべき存在は他に居た。

「基ちゃん、大丈夫?」

日鳥かなみ。前世と変わらず少女然としているのに、今世では既に二十歳だというから驚いた。同時に二十年も傍に居られなかったのだと悔しさが込み上げてくる。
代わりに傍に居たのは、何の因果かこの男だった。

「ああ…大丈夫だ」

月島基。下の名前など今世で初めて知ったなと、尾形は水を張った洗面器を用意してやりながら思う。
突如としてかなみを抱えて逃げ去ろうとした月島を、尾形は意識的に追い詰めた。記憶が無いと宣言した割にキロランケをじっと睨んでいた姿からして、かなみ同様、残滓はあるのだろうと確信していた為容易かった。
結果、危うくかなみを抱えたまま倒れ込もうとした月島を助けなければならない羽目になったけれど。

「この部屋は今誰も使ってないから少し埃っぽいが、まあ勘弁しろ」

座布団を丸めただけの枕に、アシリパが持ち込んだ昼寝用の長座布団を敷いた上に横たわる月島の顔色は青い。尾形が用意した洗面器に、貸した手拭いを浸して搾り、月島の額の上に乗せて甲斐甲斐しく看病をするかなみの姿に腹の底がちりと灼ける。
前世、この二人はほぼ無関係だった。共通点である花沢勇作を介して互いを認知していたはずではあるが、個人的な交流が無かったことを確認している。寧ろ接触が多かったのは「前の」かなみの死後だろう。

「かなみ、戻るぞ。 話の途中だ」

「前の」かなみを殺したのはキロランケだが、その遺体を持ち去ったのは月島だった。鶴見の指示の下、花沢家へある交渉を持ちかける為の取引材料として第七師団は彼女の遺体へ目を付けたのだ。
尾形はそれを追ったが、やっとの想いで取り戻した時には既に荼毘に伏された後で、彼女は骨だけになっていた。元々腕の中にすっぽりと収まる体躯だったかなみが、愛用の小銃よりも抱えやすい箱入りになってしまったと受け入れざるを得なかった時のあの心境が誰に分かろうか。
看取ることはおろか死に顔さえ拝めず、周囲の証言と状況だけで愛妻の死を思い知らされるあの苛立ちと不安が。
尾形は後の己の死を以て漸く彼女との死別を受け入れたのだ。それまではもしかして何処かで生きているのではないかと言う、藁にも縋る微かな希望を抱いて息をしていた。

「でも基ちゃんの傍にいないと…」

だと言うのに、「今の」かなみは自分達を引き離した下手人のひとりである奴の傍に居たがる。基ちゃんなどと親しげな呼び方が耳障りで仕方ない。

「…死にやしねえ」

死んでしまえばいいという本心を籠めて呟く。無論、ただの貧血だか眩暈だかで命を落とすことなど有り得ないと分かっている。

「かなみ、行きなさい。 何かあれば直ぐに呼べばいい」

額の手拭いをずり下ろして瞼の上に宛がいつつ、月島が思いの外しっかりとした口調で言う。
ここで何様だと噛み付くことは簡単だが、そうすればかなみが割って入ってくるだろう。月島を庇う姿など見たくないと、尾形はかなみの手を取って立ち上がる。
月島に提供した部屋は玄関から入って右手の、かつて祖父が寝室に使っていた部屋だった。廊下を挟んで対面にある居間には数歩で戻れるが、尾形はかなみの手を引いたまま右手へ行く。

「尾形さん?」
「見せたいものがある」

居間では杉元達が神妙に話し合いを続けているだろう。月島を寝かせてから一度顔を出したところ、月島の過剰反応を受けてかなみもこれ以上刺激しない方が良いのではないかと議論が始まっていた。今暫く戻らなくとも怪しまれることは無い。
かなみを連れて二階へ上がる。足腰を悪くした祖父母は晩年になると二階へ上がらなくなり、用事のある時は孫の尾形へ頼みごとをしていた。それでも自分が不在の時もあるからと、手すりは全体重をかけたところでびくともしないよう尾形が手ずから補強した。その手すりにかなみが手を置いているのを見ると、何とも言えない心地に襲われる。
「今の」自分が生まれ育ったこの家に、待ちに待ったかなみが居る。
薄暗い為に足元が怖いのか、一方的に握られていたはずの手をしかと握り返し、不安気に視線を落とす姿につい笑みが零れた。

「こっちだ」

階段を上り詰めた先の、奥詰まりの部屋へ連れて行く。廊下の灯りを点ければ良かったなと思うくらいに薄暗いのは、既に夕方近い所為もあるだろう。しかし勝手知ったる家の中だ。かなみの手を握るのとは逆の手を突き出せば、予想通りの位置にドアノブがある。

「ほら」

一度手を解き、すっかり彼女の体温が移った手を薄い背に添えて入室を促す。戸惑いと怯えを浮かべる表情に思わず懐かしいと零しそうになる。あの金塊を求める旅の中、彼女は心を開いてくれるまではこんな風に距離を取っていたことを思い出した。
と、と、と。軽い足音が前進する。

「…え?」

思わずと言った調子で上げられた声に満足を覚える。驚くだろうという目論見が当たったことが素直に嬉しかった。

「尾形さん、この部屋は…?」

部屋の中心まで進み、部屋をぐるり眺めて尚何も無いことを確認したかなみは心底不思議そうな顔をしている。
そう、この部屋は何も無い。
家具の一つも置かず、剥き出しのフローリングやクリーム色の壁紙は祖父母の死後に張り替えた物だ。針金入りの防弾防犯仕様の窓ガラスも同様に、この部屋の窓に合う様誂えた特注品である。

「お前の部屋だよ」

リスを思わせる大きな瞳が数度瞬き、もう一度首ごと部屋を見回す。何も無いのだからそんなに見る物も無いだろうにと思うが、広さを確認しているのかも知れない。この部屋はこれから彼女好みの家具で埋めて貰う。その為に空にしてあるのだと、気付いてくれただろう。

「あの…なんで、私の部屋を」

そろそろと戻って来た瞳は変わらず戸惑いに揺れていた。それにしても不思議なことを訊く。

「夫婦でも自分の部屋はあった方がいいだろう?」

この二階には今生で集めたモデルガンやガス銃など、尾形のコレクションを並べた部屋がある。そうしたプライベートを楽しむ空間、或いは夫婦であっても、夫婦であるからこそ見られたくない部分を隠す空間は必要だろう。
寝室は同じにするが、彼女が望むならこの部屋に一人寝用のベッドを置くことに反対するつもりは無かった。

「…わ、私のこと、別人だと思わないんですか?」

少しの沈黙の後、ようやっと口を開いたかと思えばそんなことを言い出すかなみの額に掌を宛がう。熱は無い。

「熱は無いです」
「みたいだな」

自分とは全く違う肌質は触っていて飽きない。ついでとばかりに頬も撫でさすると、じっとりと睨まれた。無視をした訳でもなければ誤魔化すつもりも無いのだが、誤解させてしまったらしい。

「どういう意味だ」

何となく、彼女の真意は分かる。
「前の」日鳥かなみと「今の」日鳥かなみ。記憶が有るならまだしも、失っていたままに成長したのならそれは全くの別人ではないかと問いたいのだろう。
が、尾形とてただ無暗に彼女を探していた訳では無い。あらゆる状況を想定する中で最悪の展開も予測し、覚悟を済ませている。

「以前の私と今の私って、同一人物じゃないですよね?」
「そりゃあな。 「前の」お前はもっと暗いところがあった」

金塊を巡る争奪戦に参加していた者は誰しもが一抹の闇を抱えていた。
あっさりと人を殺す己に衒いの無かった者も幾人か居たが、ああいう規格外は論外だ。
その点「前の」かなみは可哀想に、人としての良識に縛られるが故の闇があった。夫の死を受け入れられずに病んでしまった姉への愛情と憐憫と、恨み。さっさと見限ってしまえば良かったものを、物心着いた時から姉への奉仕に慣れてしまっていた彼女にそれは難しかった。
早く姉の下へ戻って支えてやらなければという責任感と、杉元やアシリパと共に自由に旅をしていたいという己の意志。それらに板挟みになって苦悩する姿は、今思い出しても痛ましい。

「自分を顧みない相手のことでぐずぐず悩んで、進むのも戻るのも躊躇ってた。 例え肉親だって一緒に生活してなけりゃ他人に成るもんだろうに、そう思っちまう自分は薄情なんだと自分で自分を追い詰めて…俺が連れ出さなけりゃ首でもくくってたんじゃねえか」

初めて会った時、喪服を纏った彼女は第七師団中の同情を集めるくらいに儚げな、正しく薄幸の少女だった。お蔭で尾形が彼女を浚ったと知れた時には会う顔会う顔にどれだけ睨まれたことか。
…月島だってその一人だったくせに、最終的には「上」からの命令で彼女の遺体を持ち去った。
覚えていたらどの面下げて彼女の隣を陣取っているとなじってやれたものを、剰え幼馴染として家族同然に育ってきたというのだから憎らしいことこの上無い。

「別人です。 今の私にそんな悩み、ありません」
「ああ、知ってる。 良かったな」

これは嫌味でもなんでもなく、紛れも無い本心だった。かなみを煩わせるだけの女を撃ち殺すのは何度しても手間と思わないが、流石に今の時代では少々問題になってしまう。

「何か誤解している様だから言っとくが、俺が「前の」お前に惚れてたからと言って「今の」お前に惚れない道理は無いし、別人であっても他人じゃない。 現にお前、わずかでも記憶が有るだろう。 その中に見える俺達と目の前にいる俺達と、くっきり区別が出来るか?」
「…それは…」
「出来ないだろ? 俺らも同じだよ」

前世の記憶を備えた者らには少々個人差がある。
例えば杉元は自分の中にある前世の記憶を「一本の映画」と評し、アシリパは「目を閉じればいつでも見られる白昼夢」と表した。白石は「映像付の日記帳」で、キロランケは「毎夜見る悪夢」だ。
思い思いの喩えの中、尾形は恐らく白石が最も鮮明に憶えているのだと考えている。逆に一番あやふやなのは杉元だろう。己の記憶を指して映画とは、随分他人事じみている。前世の記憶を細部まで擦り合わせたことは無いので憶測だが、個々の好き嫌いや癖を当たり前の様に把握している白石を見ていると間違っていないのだろう確信がある。
更に杉元がキロランケに一定の距離を置いてではあるが、殺意を向ける事無く接しているところからそう察した。もしかしたら尾形の知らぬところである程度の決着をつけているのかも知れないが、「今の」かなみを見つける前に落とし所を見つけることは難しいだろう。
つまり尾形は、杉元やアシリパを引き金としてかなみもある程度記憶を思い出した今となっては、前世と今生とを上手く線引き出来る訳が無いと確信している。何せ他人のものではない、己の目から見て刻まれた記憶を引き出してしまったのだ。
これから彼女は徐々に「前の」日鳥かなみに同化するだろう。その結果として前世と似た様な人格に変貌を遂げるのか、上手く消化して今の自我を保つかは分からない。どうなるにせよ、尾形はそれを見届けるつもりでいる。

「俺は「今の」俺自身を、前世の延長だと考えてる」

前世、かなみの骨だと渡された箱を埋めた時から尾形の記憶は虚ろになる。どれくらい生き永らえたかも定かでないが、もうこれで己は終わりなのだと目を閉じた直後にあったのが今生だ。故に尾形は今の自分を前世の延長と捉えている。

「じゃあ尚更今の私が違うって分かるんじゃないですか?」

何をそこまで食い下がってくるのか、尾形にはよく分からなかった。もしや不安なのだろうか。互いを知る内に自分が「前の」自分と違うと判断され、捨てられるのが。
ならばそれは杞憂だと教えてやらねばならない。

「そんな生温い態度で俺を袖にしてるつもりか?」

ぎしと、彼女のそれとはまるで違う己の足音は重い。怖じて後ずさられたところで歩幅が違う。彼女の二歩を一歩で詰めた。

「俺は「前の」お前が良い女だったから惚れたワケでも無けりゃ、所謂良妻だったから惜しんでるんでもない 」

そんな時間は無かったとはまだ伝えるまい。彼女がどこまで思い出すかはまだ分からないのだから。

「ろくでもねえ人生の中で俺が可愛いと思ったのはお前だけだった。 今も同じだ。 お前が可愛くて堪らない」

そう、今以て可哀想なくらい可愛いと思っている。
例えば自分に記憶があるが為にまた捕まってしまうところや、不気味がりながら振り切れないところ。或いは前世よりも擦れたところがない為に一層騙しやすそうなところと、尾形を知ろうと興味津々なところ。
こうして確かにある違いは尾形にとって差にならない。ただ愛で方が変わるだけの話だ。

「俺は一途な男だとたっぷり教えてやるから覚悟しろよ」

壁際に追い詰めた彼女の額にゆっくりと口付ける。驚きで竦む身体を抱き締めると、あまりの柔らかさと温かさにじわりと緩むものがあった。