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俗界で再会する

「かなみ、もうグラスが空じゃないか! 次は何を飲む?」
「俺カルピスチューハイお代わりするけど、かなみちゃんも同じのでいい?」
「あ、俺もそれにする〜! お姉さん、カルピスチューハイ三つとウーロン茶一つね!」
「お前らかなみの返答待てよな…おい白石、米焼酎も頼め。 ロックで」
「そろそろつまみも無くなってきたが追加するか?」
「かなみさん、先にご飯もの食べておくと悪酔いせずに済みますよ」

わいわいがやがや。居酒屋の喧噪の中、つい最近法的にも大手を振って酒を飲んで良いと認められる歳になったはずのかなみは、何故か見知らぬ五人組の只中で身を縮こまらせていた。隣のテーブルにはそんなかなみを心配そうに見やる二人の女子と、訝しげな視線を寄越して止まない三人の男子が居る。
元々かなみは今日、友人らに騙し討ちされる形で合コンに連れて来られていた。気楽な女子会だと言っていたからラフな格好でやってきたというのにと恨みもしたが、誘いをかけてきた女子二人も、やってきた男子三人も気負った服装でなかったことで胸を撫で下ろした。聞けば合コンをやってみたかったが見知らぬ面子といきなり飲み会をするのはハードルが高いからと、高校時代の同級生を呼び集めてデモンストレーションをしようという試みらしかった。
その気持ちは合コン未経験のかなみにもよく分かったし、何時だったか、そういう愚痴を漏らしたこともある。それを覚えていた女子らが完全なる善意でかなみを誘ってくれたと言われれば、例え一時とは言え恨み言を懐いた自分が恥ずかしくて堪らなかった。
そうして店に着き、案内されたのは座敷席だった。
衝立を挟んで隣にももう一つ、大人数用のテーブルが並べられている畳敷きの広い部屋。今まで飲酒こそしてこなかったかなみだが、大学の先輩に連れられて居酒屋に来たことは何度もある。半個室とでも言うべき空間は今更気にならなかった。それは同席する彼女らも同様らしく、誰も衝立の向こう側には目をやることすら無い。最初の一杯を決めてしまおうとメニュー表に寄り集まる中に頭を突っ込んだ。
そうして最初の一杯がやってきて、乾杯を唱和した時だった。

「お、中々良い席じゃないか! これで囲炉裏だったならコタンを思い出し…ん?」

襖が開く。隙間からひょいと顔を覗かせた黒髪の少女の、深い深い藍色の瞳と視線がかち合う。絡め取られた様に目が離せなくなり、まじまじとその整った顔と見つめ合うこととなった。
何故だろう、彼女を知っている気がした。初めて会うはずの彼女のことを、どうしてか懐かしいと思ってしまった自分に気付く。それはあちらも同じなのか、あんぐりと口を開けたまま立ち尽くしてしまっている。

「アシリパさん、どうしたの?」

その後ろから現れた、顔の中央を横断する傷を刻んだ男のことも知っていると脳の奥で誰かが訴えている。アシリパと呼ばれた少女がぽかんとした表情のままこちらを指差す。男の訝しむ様な、少し険しい視線がこちらに向けられる。

「…かなみちゃん?」

自身を振り返ったままの体勢で硬直している男子三人の顔を眺めては通り過ぎていたその視線は、自分でぴたりと止められた。ぱかりと開いた口から零れたのは紛れも無く自分の名前で、同席していた五人の視線までもがざっとこちらに向けられる。

「え? 杉元、今かなみちゃんって言った?」

アシリパと呼ばれた少女の開けた狭い隙間が、そんな声と共にがっと広げられた。地肌が見える坊主頭と、五分刈りの坊主頭、ツーブロックでオールバックという中々珍しい髪型の男三人が並んでいる。その誰もが自分に視線を向けては驚愕の表情を見せるのだから、怯えるのは仕方ないことだろう。
そして同席する五人が、無言で問いかけてくる。知り合いなのかと。慌てて首を横に振るが、五人の表情は硬くなるだけだった。
と。

「おい、尾形!」

少女のものらしい鋭い非難の声が上がる。しかしテーブルを踏み越えてやってきた男は気に留めた風も無く、女子列の真ん中に座って居たかなみの膝を跨いで仁王立ちしている。感情の見えない黒々とした瞳に真っ直ぐ見下ろされ、視線を逸らすことも出来ずただ竦み上がった。嗚呼でも、この人も知っている気がする。男の大きな口が静かに開いた。

「こんなとこにいたのか、お前」

探したんだぞと伸びてくる両手に、逃げようと思う間もなく捕まった。犬猫を持ち上げるが如く両脇を持って立たされかと思えば、直ぐに子供を抱える様に抱き上げられる。そのまま衝立の向こうへ連れて行かれ、すとんと下ろされた。それまで着いていたテーブルよりもう一回り大きいそれは、対面が少し遠い。

「何飲んでた。 チューハイか、サワーか?」
「おいおいおいおい尾形お前ちょっと待てかなみちゃんの連れがビビり上がってんだろ聞けよコラ」

さも当たり前の様に隣に腰を据えた男───尾形と言うらしい彼は、メニュー表をかなみの眼前に広げ、それを覗き込む為とは言え頬が触れ合いそうな距離まで詰めてきた。かなみは思わず尾形とは逆方向へ身を捩ろうとしたが、ぬっと現れた分厚い掌に肩を押し戻されてしまう。言わずもがな尾形の手だ。頬に髭がちくりと刺さって、痛い。

「ごめんね〜俺達怪しくないよ? ホントだよ? 俺達みんなかなみちゃんの古〜い友達でさ、今日ここにいるって知らなかったからちょっとはしゃいじゃって〜」
「驚かせてすまない。 危害は加えないと約束するから、少しかなみを貸して貰えないだろうか」

地肌を見せる坊主頭の男と、真っ先に入ってきた少女とが友人達に丁寧に頭を下げている。それに加わろうかと迷っている五分刈りの男と目が合うと、男はぎこちないながらもどこかほっとした様な笑顔を見せた。やはりこの男にも見覚えがある。

「かなみ」
「ひっ」

低い声に耳元で名を呼ばわれ、肩がびくりと跳ねた。声の方を向かずとも分かる。尾形という男が、とんでもない至近距離で自分を見つめていることが。しかしこの、ほぼ密着した状態で尾形の方を向けばどうなるかなど想像に難くない。と。

「尾形百之助だ」
「…え?」
「尾形、百之助」

衝立の向こう、友人らとアシリパらが何らかのやりとりを続けているのが聞こえる。その幾重にも重なる声の中、男の声は距離が無いこともあってかすっと入ってきた。
尾形百之助。現代においては少し古めかしい、珍しい響きの名前である。

「…尾形さん」

かなみは正面を向いたまま、ちろりと視線を向ける。特徴的な眉がぴくりと跳ねて、しかしそれだけだった。

「まあ、それで良い」

今はなという副音声が聞こえた気がしたが、対面に座った誰かにあの、と声をかけられて意識がそちらに向く。先程ぎこちなく笑みを交わした五分刈りの男と、何時の間に来たのか、狐を彷彿とさせる目が印象的な細面の美女が並んでいた。やはり彼女も知らない顔ではない気がする。

「俺は谷垣源次郎と言います。 こっちは」
「インカラマッ、というのは芸名ですが、親しい人間にもそう呼ばれています。 どうかそう呼んで下さい、かなみさん」

暗に本名は明かさないという宣言には胡散臭さを感じるが、向けられる視線に込められた親しみは本物だと思われる。

「芸名…ですか?」
「占いで生計を立てています。 今も昔も、私の取り柄はそれだけですから」

どこか意味深な言葉と笑みに、思わず彼女の傍らの谷垣を見てしまう。何故か緊張しているらしい彼は背筋を正した堅苦しい姿勢のまま、少し視線を彷徨わせ、やがて口を開いた。

「…その、あなたの反応を見れば大体察しはつきますが…俺達のことを、或いは俺達の中の誰かのことを憶えてはいませんか?」
「おい」

至極真剣な目だった。かなみの当惑具合を見て憶えられていないことを確信しているだろうに、それでも一縷の望みを懐きたいと問いかけている。
が、それにかなみが答えるより早く、尾形が険のある声で制した。右肩に回されていた掌に更に力が加わり、左肩はすっかり彼の胸板に密着していた。

「俺が憶えられてねえってのに、他の誰が忘れられずにいると思ってんだ? なあ? 谷垣よ」
「あ、いや、その」

成程、力関係は尾形の方が上にあるらしい。それまでの凛々しさは何処へ行ったのやら、すっかりしどろもどろで狼狽えだした谷垣を傍らのインカラマッが苦笑で見つめている。

「谷垣ニシパは杉元ニシパやアシリパちゃんなら或いは…と思ったのでは? 私の占いでは、かなみさんと再会するにはお二人の同席が不可欠と出ていましたし」

杉元。確かあの傷の男がそう呼ばれていたはずだ。

「てめえの霊感だか直感だかはどうでもいいんだよ、ハナから信じてねえ」
「あら酷い。 今日、この店が良いと当てたのも私の占いですよ?」
「胡散臭えオトモダチからのタレコミじゃねえのか」

嘲った調子の放言に鼻白んだのは谷垣だった。傍らのインカラマッに身体ごと向き直り、今にも掴みかからんばかりの勢いを見せる。

「インカラマッ、お前、まだあの連中と付き合いがあるのか?」
「この商売では顧客は大事な生命線ですよ、谷垣ニシパ。 あくまでビジネス、互いのプライベートには一切踏み込んでいません」

谷垣の詰問を涼しい顔で躱すインカラマッの視線に再び見据えられ、かなみは思わず尾形の腕の中でびくりと肩を跳ねさせた。怖いのではない、ただ純粋な驚きと、戸惑いがあった。

「ほら、尾形さんが変なことを仰るからかなみさんが怖がってしまったじゃありませんか」
「谷垣、その女狐連れて帰れ」

右肩をがっちりと包んでいた尾形の手が二の腕を滑る。宥める様な動きは彼なりの気遣いだろうが、そういう優しさがあるならおっかない話を暴露しないで欲しかった。

「そう言わないで下さい、尾形さん。 俺だって漸くかなみさんに会えたんです、話がしたい」
「俺を差し置いて何の話しようってんだ」
「…何でもいいです、どんな話でも。 尾形さんだってそうでしょう」

谷垣を睨み据えていた視線がこちらに転じる。途端に険は引っ込んだので怖くはなかったが、何故彼らはこんなにも自分に興味を示し、構うのだろう。
総じて面識のある口振りだが、かなみの人生の中で年上の友人が出来たことは無い。幼馴染の彼は別カウントだが。
かなみがそうして考え込んでいると、かなみの背と壁との間にあった狭い隙間を誰かが通り過ぎた。思わず振り仰いだ先には綺麗な深い藍色があり、アシリパというらしい少女が杉元という男に抱えられてそこに居た。
───知ってる。自分はこの眺めを、幾度と無く目にしてきた。
滑らかに広がる雪原の中、雪歩きに慣れず苦心しながら歩く自分を振り返る、二つの影。白い毛皮を羽織ったアイヌの少女。いつも生傷を絶やさず、けれど笑顔を絶やす事もなかった偉丈夫。
知っている。覚えていないが確かに知っている。

「アシリパさん」

年下であれどそんな敬称をつけずにはいられない程、アイヌの少女は大人びていた。父親から仕込まれたという卓越した技術でもって一行の山歩きを助け、先導する後ろ姿が脳裏に焼き付いている。旅の間、誰よりも頼もしかったのは彼女だった。そしてそんな少女の傍らにはいつも彼が居た。

「…佐一、さん」

傷が横断する前後の彼の顔を知っている。見るからに優しげだったはずの青年は幾重もの傷を負う内に屈強な兵士へ変わってしまったが、戦いから離れた場ではいつかの青年に戻った様に朗らかな顔を見せてくれた。
…楽しい旅をしていた。途方も無い宝を求める旅故の血腥さはあったけれど、それでも、孤独を忘れさせてくれる楽しい日々だった。

「かなみ…! 私のことが分かるんだな!?」

杉元の腕からぱっと飛び降りたアシリパがずいと顔を寄せてくる。丸い額は剥き出しのはずなのに、青地に白い紋様が染め抜かれた鉢巻の幻影がちらつく。少し厚めの耳朶に穴が空いていないか探してしまう。
目の前の現実が何かしらのイメージと被り、視界で捉えている光景を上手く認識出来ていないのだと冷静に判断する自分がいる。

「アシ、アシリパ、さん、」
「そう、そうだぞかなみ! 私はアシリパだ!」
「かなみちゃん、俺、俺!!」

興奮して詰め寄ってくるアシリパの両肩を掴んで押し留めながら、自身の顔を並べる彼の頭に軍帽が無いことに酷い違和感がある。どこかに忘れてきてしまったのだろうか。Tシャツ姿なのにマフラーの幻影が見え隠れしている。

「佐一さん、杉元佐一、さん」
「そうだよ杉元佐一だよ!! 覚えてくれてたんだね、かなみちゃっ」

精悍な顔立ちなのに、笑うと幼い。喜色満面の彼の顔をぼうっと見つめていると、顔の真横を突風が薙ぎ、杉元の顔に縦に構えられた灰皿が減り込んだ。

「杉元!!」
「佐一さん!?」

堪らず後方に倒れ込む杉元の鼻から吹き出した鮮血が、空中に見事な弧を描き、青地のTシャツにパタパタと降り注いだ。アシリパを巻き込むまいとしたらしく、咄嗟に離された両手は空を掻いている。アシリパがそんな彼を振り返り、駆け寄るのに続こうとしたがそれは叶わなかった。首に回った太い腕にがっちりと拘束されている。

「なにをする尾形!!」

杉元の意識があることを確認したアシリパが鼻におしぼりをあてがってやりながらかなみの後方を、尾形を睨みつける。
しかし尾形は何の声も発さず、灰皿を静かにテーブルの上に置き、空になった手を呆然とするかなみの胴に回した。そのままぎゅうと力を籠めればかなみの背は尾形の腹と胸にくっつき、上半身を完全に抱き込まれ身動きが取れなくなってしまった。

「他人の女房に無遠慮が過ぎるから躾けたまでだ。 前から思ってたんだよ、逐一近過ぎる」

首輪の如く回されていた腕が少し緩み、かなみの頬を硬い掌が撫でていく。ざらりと荒れた指先が引っかかって、少し痛かった。

「かなみが私達のことを憶えていたからと言って嫉妬は良くないぞ尾形! 亭主ならばどんと構えていろ!」
「やかましい」
「あの」

思わず声を上げたかなみに、全員の視線が集まる。赤く染まるおしぼりを鼻におしつけながら身を起こした杉元は若干涙ぐんでいるし、額に青筋も浮いていたが、殴りかかってくる様子は無い。かなみが仇の前に居る所為からかも知れないが。

「…女房とか亭主とかって、どういうことですか」

かなみはつい先日二十歳になったばかりである。それ以前は親の許諾無しに婚姻は結べぬ未成年であり、二十歳になったその日に婚姻届にサインをした記憶など勿論あるはずが無い。そういうことを考えていた相手も居ないのだから。
沈黙が下りる。
頬に添えられていた尾形の手が離れ、かなみの髪を一房手に取り、優しく梳いた。杉元とアシリパ、谷垣とインカラマッはそれぞれ視線を交わし、無言の相談をしている様だった。
と。

「…聞きたいんなら聞かせてやるが、憶えていないならただ不気味なだけの話だぞ。 それでもいいか」

独り言のような調子で問われ、かなみは少し考える。
今日初めて会ったはずの人らに知己として扱われ、尚且つ自分もその中の二人だけとは言え、確かに知っていると認識して名まで呼んだ。既に不気味と言えば不気味な話なのだ。
しかし実際、かなみは現状を不思議に思いはしても、何ら不穏なものを感じてはいなかった。特に杉元とアシリパに関しては安心感さえある。谷垣も嘘を吐いて騙す様な人柄では無いだろうし、いつの間にかインカラマッの隣に座って居た白石に至っては毒気を抜く顔をしている。彼の顔を見て気持ちが落ち着くのは初めてではない気がした。

「お願いします」

胴に回された尾形の手に触れる。緩く握り返された指の温度と、仕方ねえなと零される声。いつか焚火を前にして、同じ体勢で何事か話したことがあったような気がした。