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決壊寸前

月島は妹と可愛がる少女に頼まれるまま臨んだ場に置いて、一つだけ、嘘とも言えぬ隠し事をしていた。
誰の顔を見ても知らぬ存ぜぬと言った鉄面皮を貫けたのは、業腹だが経験値のお蔭だろう。勤め先の彼らの押しつけがましさ、無遠慮さによって鍛えられた表情筋は意識して仮死状態に追い込むことが出来る。故にあの男の顔を見ても動揺を顔に現す事無く、場に紛れ込むことが出来た。
キロランケ。
大きな身体を縮めて隠れたがる様な素振りを見せる彼の男の顔を見た瞬間、怒りで理性が喰われてしまいそうだった。
折角忘れているのにと、あの男は言う。
そう、折角忘れていられたのにのこのこ目の前に出てきたりするから、だから自分はただ一つの事実のみを思い出してしまった。
「前の」かなみを殺したのは、キロランケだと。

「…俺の番ってことでいいのか、谷垣」

白石が引っ掻き回してしまった為、話が半ば有耶無耶に終わってしまった谷垣にキロランケが今一度確認を取る。谷垣は少し考えてから、まあいいと歯切れの悪い返事をする。話の腰を折られ今更どこから話したものか分からなくなってしまったということもあるが、ここで洗いざらいを話さなくともいいと思い至った為だった。これから幾度でもあるだろう機会に、彼女が望むだけの思い出を話せばいいと。
キロランケが大きく息を吐く。

「あー…最初にぶちまけちまうが、「前の」俺は…所謂テロリストだった。 少数民族のレジスタンスとして勢力を広げようとするロシアに自分達の文化を、存在を喰い潰されまいとして活動していた。 …だってのに、今じゃロシアと日本のハーフなんだから因果ってのは恐ろしい」

テロリストという物騒な言葉の登場に驚くかなみの傍ら、月島は努めて冷静を装ってキロランケの話を聞いていた。奴がどこまで話す腹積もりかは分からないが、流れによっては阻まなければならない。よりにもよって殺されたなどという前世の末路を「今の」かなみに知らせる必要など、誰が何と言おうと、絶対に無い。

「俺が一緒に旅をしていたのは軍資金に充てる為の金塊目当てだ。 元々その為にアイヌとして長く北海道に住みついた様なもんで、アシリパ達にくっついて手掛かりである刺青人皮を追っていた。 
 …必死だったな。 祖国で待ち続ける仲間達の為に、何としても金塊を持ち帰らないといけないと。
 で、「前の」かなみとは…何て言うんだろうな、あれは。 流石に俺でもああも大きい娘が居る歳じゃあ無かったが、どうにも守ってやりたくなる感じがあった。 ああ、女房が居なかったら危なかったかもな」
「キロランケニシパ、アウトだ!」

月島が立ち上がるより早く、アシリパが手にした大福をキロランケの口に突っ込んだ。勢い余ってその丸い指先まで口腔内へ入り、喉元の手前まで固形物を突っ込まれたキロランケは目を白黒させ、徐々にその顔色を蒼白へ変えて行った。

「かなみにセクハラは私が許さん!」
「ぐッ、んんぐうぐぐくっ」
「アシリパさん…」

呻いて倒れるキロランケを気遣うどころか、凛と見下ろしてアシリパは高らかに宣言する。同様に、頬を染めつつアシリパにうっとりとした視線を送るかなみもまたキロランケの方を気にかける様子は無かった。

「キロちゃん顔色ヤバ!?!?! え、なにこれどうする!?」
「吐かせよう! いや、飲ませた方が良いのか…!? インカラマッ、掃除機だ!」
「お茶ですどうぞ」

しかし折角のアシリパの宣言も当のキロランケには呼吸困難により全く聞こえておらず、傍らにいた白石と谷垣がお茶で流し込ませるべきか取り出すべきかで右往左往している。インカラマッからすいと差し出された湯呑は並々とお茶を湛えており、谷垣は掃除機を要求した身にも関わらず迷う事無くそれをキロランケの口の中に流し込んだ。

「ぶほッ!?!」
「飲め! 頑張れキロちゃん! ごっくん!!」
「あと一息だキロランケ! 死にたくなければ死ぬ気で呑み込め!!」

キロランケの胸板を、背をそれぞれ殴打の勢いで叩く二人は曇りなき善意で動いているのだろう。けれどそれに反比例するが如く、現実の眺めは悲惨を極めている。
いっそこのまま死なせてしまえばかなみへの憂いがなくなるとばかりに月島は静かに茶を啜り、傍観を決め込んだ。
が、そんな月島の期待も空しく、キロランケの喉仏が一際せり出したかと思えばその膨らみは重力に従うが如く、下へ蠢いた。どうやら山場を越したらしい。

「はーっ…はーっ…アシリパおまえ…ころすきか…」
「キロランケニシパが悪い。 大体、私が動かなければ尾形がガス銃を持ち出していたぞ」

息も絶え絶えに恨み言を吐くキロランケに、この程度で済んで良かったなと言いたげにアシリパが言い放つ。
月島は室内の壁に絵画の如くかけられている銃に目をやった。本物であるはずが無いが、恐らくあれがアシリパの言うガス銃なのだろう。どうにも偽物臭いと一瞥した月島は、次の瞬間己の思考に愕然とした。
本物など見たことは無いはずなのに、何故偽物臭いなどと断じることが出来たのか。
湯呑みに並々と残るお茶の水面に映る己の顔を呆然と見る。一つ星のついた軍帽を被った誰かが───よく見知った顔がこちらを見ている。

「ッ、かなみ、帰るぞ!」
「えっ」

ぞわりと背筋を駆け抜ける怖気が消えるより早く、月島はかなみを抱え上げて玄関へ走った。

「ちょっと、基ちゃん!?」
「おい、待て!」

かなみの静止の声が、尾形の怒号が追いかけてくるが待ってはいられない。これ以上この場に居てはならない、でなければ彼女よりも先に自分が思い出してしまう。
思い出したらもう、この子の傍には居られない。

「基ちゃん、なに!? どうしたの!?」
「じっとしろ、舌噛むぞ」

万が一の為に靴紐を結び直さなければならない靴を履いて来なくて良かった。下りようと暴れるかなみを抱え直し、彼女の靴を手に提げて引き戸の玄関に手をかける。
と。

「ッ!?」

引き戸に手をかけた月島の手を狙い澄まして何かが飛来してきた。ガツンと震える引き戸は割れてこそいないが、年季が入っている為かぎしぎしと不安な音を立てている。振り返った先にいたのは、無論尾形だった。

「アンタがどうしようが知ったこっちゃねえが、かなみは置いてけ」

引き戸に当たり跳ね返ってきた黒い何かを拾い上げる尾形の気迫に気圧されながらも、月島は引き下がらなかった。尾形の手にある何かを見極めるべく目を凝らす。

「物騒な物を持ち出して来たな」
「ゴム製のおもちゃだ、こんなもん」

形状こそナイフだが、刀身も柄も真っ黒なそれは尾形の手でぐにゃりと柔軟に曲がって見せる。まさか持ち歩いていたのかと勘繰りながら、月島は後ろ手でもう一度引き戸を開けようと試みる。

「…けどな、こんなもんでもまともに当たれば痛いじゃすまねえぞ」

が、それを尾形が見逃すはずもない。
月島に抱えられたままのかなみをちらと見て、また月島を睨む。淡々と間合いを詰めてくるその足取りは、蛇が躙り寄る様に似ていた。じわりと嫌な汗が首を伝う。

「かなみを返せ」
「、」

この男に同じ言葉で詰め寄られるのは初めてではない。
そう確信すると同時に、月島はとうとう膝を折った。