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不安は誰かの姿をしているらしい

「で、次は…キロちゃんか尾形ちゃんか? 谷垣でもいいと思うけど」

一体を何を以てして順番を判断しているかかなみにも月島にも分からないが、彼らなりに白石の提案には納得しているらしい。そうだなと尾形が呟いて、茶を啜る。

「谷垣の次にキロランケ、その次に俺で良いだろう。 つうかそこの女狐も頭数入ってんのか?」

ドラマやら小説やらでならともかく、現実に他人を女狐と呼ばわる場面に居合わせることになろうとはとかなみは謎の感動を覚える。以前から尾形はインカラマッのことをそう呼んでいたが、まさか通常運転でそうなのだろうか。

「あら、尾形さんは御存知ありませんでした? 私とかなみさん、女同士でしか出来ない話でしばしば盛り上がったりしていたんですよ? 特に男所帯の中で旅をしていたのですから、どうしたって不自由はありました。 そんな時はお互いに気持ち良く助け合っていたものです」

その意趣返しと言わんばかりに笑みを深くしたインカラマッがどこか自慢げに語る。思い当たる節があるのか、小さく舌を打つだけで沈黙した尾形の視線が顔ごと隣の谷垣に移された。無言の催促と受け取ったのはかなみだけではなく、谷垣当人もだったらしい。直ぐに口を開いた。

「自分、あ、いや、俺は谷垣源次郎と言います。 前は月島ぐんそ…月島さんと同じ上司の下に一等卒として身を置いていましたが、色々ありまして出奔し、アシリパの住むアイヌの村で世話になる様になりました。 かなみさんとは軍にいる時に面識があり、その…自分がある粗相をした為に顔を覚えられていた様で…アイヌの村で再会した時に名を呼ばれ、とても驚きました」
「汚ったねえ泣き顔だったもんな、お前」

そりゃ覚えるだろうよと悪態を吐く尾形を、谷垣は弱り果てた様に見やる。
どうやら尾形はいじめっ子気質で、その標的は谷垣と白石らしかった。

「俺は金塊には興味が無かった。 だから旅には参加せず、本業であるマタギに戻りたいと思っていましたが、俺の世話をしてくれた人の為、アシリパに無事に旅を遂げさせる為に後から合流しました。 先程アシリパが説明した通り、かなみさんは旭川で別れているはずでしたからまだ居たことに驚きましたが…当初とは違い、自分の意志で旅を続けていると聞いてほっとしました。 それに、随分明るくなっていた」

それまで己の手元に落とされるだけだった谷垣の視線が、そこで初めてかなみに向けられた。慈しむ様なそれは昨日今日出会っただけの他人に向けるには暖かく、恐らく、本当に彼は自分のことを仲間と思ってくれていたのだろうと知る。
と。

「割り込んですまんが、ちょっといいか」

誘拐だの泣かせただのと言う発言を受けて昂っていた気を漸く落ち着けたらしい月島が声を上げた。確かに喧嘩っ早いが、こうして己の感情のコントロールが巧いのもまた月島という男だった。

「なんでしょうか、月島ぐ…さん」
「そう畏まらなくていい。 前の俺はアンタの上司だったらしいが、今は無関係の他人だ」
「基ちゃん、そんな言い方無いでしょう」

突き放す様な幼馴染の物言いを思わず咎める。やはり彼は前世だのという話に関してどこか敵意にも似た反抗心を懐いている様で、受け容れてなるものかという気概を感じる。
かなみはと言えば、そのあたり抵抗が無いと言えば嘘になる。前世だのと言う話が自分の人生に絡んでくる想像など全くしていなかったので、あの鮮烈な既視感が無ければ今日ここに来ることだって無かっただろう。反面、それがあっても半信半疑の自分が居る。
彼らは自分に「また」会えて嬉しいと口を揃えて言ってくれるが、前世の記憶を失っていても、それでも自分は彼らが再会を望んだ「日鳥かなみ」なのだろうか。
特に夫を名乗る尾形の思うところが気になって仕方無い。再会の喜びに目が眩み盲目的に寄せられる情なのだとしたら、それはいつか醒めるものだ。

「…すまん。 金塊だの旅だの、そこから説明して欲しかっただけだ」

ばつが悪そうに月島が言った瞬間、殆どの者の口から「あ」と声が上がった。

「そっかー…そこから無いよな、そうだよな。 うっかりしてた」

杉元が己の頭を音が鳴る程強かに叩く。
恐らく旅だの金塊だのは彼らにとって当たり前の共通認識だったのだろう。かなみも何がしかの宝を求めての旅だったと言う、漠然とした認識を再会したその日に思い出している。成程月島は置いてきぼりだったなと、かなみは内心舌を出した。

「ならそのあたりも俺から説明します」
「え〜ゲンジロちゃんに出来るかな〜?」

谷垣が小さく手を挙げる。キロランケを挟んで白石が揶揄するが、慣れているのだろう、谷垣はそちらに見向きもしなかった。

「アイヌが独立運動の為に隠した莫大な量の金塊が、ある思惑から宙に浮いた状態となりました。 隠し場所を知る者はアイヌを殺した咎により脱出不可能とされた網走監獄に幽閉されましたが、外に居る仲間へ金塊の隠し場所を知らせる為、二十四人の囚人の身体に暗号を彫り込むという前代未聞の方法を取りました。 囚人達は護送中に脱走することに成功し、方々へ散り散りとなって逃げ…金塊を巡る旅というのは、奴らの身体に彫り込まれた刺青の暗号の回収と解読に挑む旅でした。
 …相手は凶悪な脱獄囚です。 況して回収というのはつまり、奴らの身体の皮を剥ぐと言うこと。 俺はかなみさんにはそんな旅、して欲しくなかった」

谷垣がぐっと唇を噛み締めるのを見て、かなみは傍らの尾形を盗み見た。相変わらずの能面は無感情に谷垣を眺めていて、手持無沙汰に食べ終わった菓子の包み紙を弄っている。

「あらあら妬けますね、谷垣ニシパ」

谷垣の横に座って居たインカラマッがころころと笑う。谷垣はその揶揄を受けて漸く自分が睦言じみたことを口にしたと気付き、かなみと尾形に視線を往復させながら弁解を始めた。

「ち、違います変な意味はありません! 俺にとってかなみさんはか弱い女性の象徴というか、初めて会った時の印象が強いというか…俺は一等卒でしたから花沢少尉殿の忘れ形見を護らなければと、それだけで…!」
「花沢だと?」

月島が低い声で反芻するのを聞き、かなみは首ごと彼を振り返る。訝しげに眉を潜める月島は少し口籠る様子を見せたが、声に出してしまった以上は誤魔化せないと観念したのか、ややあって口を開いた。

「…花沢という知り合いがいる。 彼自身は至って普通の青年だが…そう言えば鶴見支部長や鯉登さんを始めとした皆は、彼を見知った風に扱っていた様に思う」

元々気さくな好青年であった花沢青年はそんな対応を怪しむことも無く、親切な対応をしてくれる会社だとしてしばしば営業がてら訪れることも多いと月島は語った。

「その…もしや下の名前は勇作さんでは…」

谷垣の恐る恐ると言った体に月島が渋面を作れば、それは無言の肯定だった。一同の視線が自然と尾形に集まるのに倣い、かなみも今一度彼を振り仰ぐ。

「お知り合いなんですか?」

はっと息を呑んだのは誰だったか。かなみの無邪気な問いを受けて、尾形は重く答える。その内心では自分に水を向けたかなみ以外への一同の苛立ちが確かに積もっていた。

「弟だ。 腹違いの」
「なに?」

かなみのえっと言う声を打ち消して、月島の驚嘆の声が響く。

「俺は謂わば愛人の子だ。 認知もされてねえ。 そう言うのをナシにする代わりに言い値で手切れ金を受け取ったんだと。 手切れ金以外は前のまんまだから今更どうとも思わねえがな」

ずずと茶を啜り、何てことの無い話題の様に言ってのける尾形とは正反対に一同は神妙な顔をしている。かなみも予想外の事情に押し黙るが、その思考の半分は今し方聞いた名前に持って行かれていた。
花沢勇作。
聞き覚えのある名だが、今まで感じた様な懐かしさを伴う既視感は無い。寧ろ何か、思い出してはいけないものに触れようとしている感じさえしていた。

「はなざわ、ゆうさく…」

そっと声に出して反芻してみる。明らかに男の名前であるのに、脳裏に蘇ってくるのは女性の顔だ。まるで死装束の様に真っ白な寝間着の、不健康に痩せたその人はこちらを「見てはくれない」。何故かそれが酷く悲しくて、かなみも女性の顔から目を逸らした。それなのにその輪郭が解けていくのはありありと分かって、つられる様にかなみの意識も遠退いていく。ふわりと身体が揺らいだ。

「かなみ?」
「、」

呼ばれて我に返る。眩暈の為に傾いだ感覚のあった身体は座ったままで、視界にはあるのは天井ではなく自分の足だった。後方に倒れようとしたのではなく、前傾してテーブルに頭を打ち付けるところだったのだろう。額に添えられた硬い掌が守ってくれていた。

「ありがとう、基ちゃん」

左に向けて苦笑いを溢しつつ礼を述べるが、助けてくれたはずの当人は複雑な顔をしていた。いつもならどうしたと気遣わしげに声をかけてくれるのにと内心首を傾げて、そこで初めて月島の右手が不自然な格好で宙を泳いでいることに気が付いた。ならばと右を向く。

「大丈夫か?」

かなみの額が離れた左手を手元に戻す前に、視界を妨げていた前髪にちょいと触れて避けてやる尾形の指先は硬くかさついている。

「ありがとうございます…」
「別に」

驚きの余りぎこちなくなってしまった礼にも関わらず、尾形は然して気にした様子も無く返すとかなみの湯呑に茶のお替りを注いだ。飲んで落ち着けということだろう。

「かなみ。 お前、姉さんはいないのか」

無言の勧めに甘えて茶を啜るかなみに、尾形が静かに問いかける。何故姉に限定されているのかは分からないが、前の、前世とやらの自分には居たのかも知れないと思い直して素直に答える。

「基ちゃんだけです」

血縁的にはひとりっ子であるが、今更物心着いた時から共に育ってきた月島の存在を無視する様な言い方は出来ない。戸籍上の問題があるだけで実質家族であると、月島自身もそう思ってくれていると信じているから尚更に。

「…そうか」

気の無さそうな返事をする尾形の瞳が一瞬余所を見る。誰も居る筈の無い天井の隅を窺い見た様なその仕草に、猫は誰も居ない空間をじっと見つめることがあるという話を思い出す。そして納得した。何かに似ていると、ずっと思っていたのだ。

「尾形さん、猫に似てるって言われたことありませんか」
「…無い、ことは無い」

不服だと言わんばかりに唇をへの字口に曲げる尾形の鼻先に掌を近付ける。途端すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ出す仕草に、かなみだけでなく、幾人かが噴き出した。

「ぷーっ! 可愛くねえ猫ちゃん! お前本当無意識なのそれ?」
「尾形ちゃ〜んほら俺のも嗅いでみて〜? って痛った! なに? なに投げたの?」
「菓子の包みか? まあよくここまで小さく折り込んで…かった!? 硬いなこれ!?!」
「気を付けろよ白石。 尾形はそれで人の眼を潰したことがあるからな」
「嘘でしょちょう怖いんだけどぉ!?」

白石に無事着弾した後、手元に転がって来た小さな粒を手に取ったキロランケが驚愕の声を上げる。それを受けて土方がどこか懐かしそうに目を細めてした暴露に、かなみは思わず尾形の鼻先に翳したままだった手を引っ込めていた。尾形の眼が不機嫌そうに眇められ、ついと土方を睨む。

「前の話だろ、かなみの前で余計なこと言うなよジジィ」
「はは、そう睨むな。 大丈夫だよお嬢さん、その男は君にはよく懐いているだろう?」
「ええと…」

今の流れで再び彼を猫扱いするのには度胸が要る。答えあぐねていると、土方を睨んでいた尾形の視線がこちらに帰ってきた。瞬時に険を引っ込めるあたり、確かに大事に扱われているのだろうことは分かる。ただそれをどこまで受け取っていいのかが分からなかった。
視界の片隅でインカラマッが含み笑う。

「ふふ。 御夕飯前にはお話、終わるといいですねえ」