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愛情という遠慮

他の面々が手放しでかなみとの再会を喜んでいた為か、キロランケの如何にも後ろめたいと言った態度はどうしたって目に付いた。何か事情があるのかと尾形の向こうのアシリパに目をやるも、大きな掌一枚で両目を覆われてしまう。

「気にするな。 あれは元々根暗なだけだ」
「…でも」

折角覚えていないのにと、キロランケは言った。覚えていてもらっては困ることがあるのではと勘繰ってしまうのは下衆の何とやらに値するだろうか。尾形の目隠しが頬を撫でつつ滑り落ちていく。
と。

「キロランケと言ったか。 他の奴らもちらほら俺のことを知っているらしいが…アンタはその中でもよく知っていそうだな?」

月島が眉間に深い皺を刻み、眼を眇めて居合わせた全員の顔を一瞥した。殆ど睨んでいると言っても良い視線の冷徹さとは裏腹に、かなみの左手を覆う手はふわりと暖かい。
そうして睨まれたキロランケと言えば可哀想な程に蒼褪めていた。いつの間にか彼のアイアンクローから逃れていた白石でさえ、顔に指の跡をつけられながら心配げにその顔を覗き込んでいる。

「色々と不安があったが、今日は来て良かった。 この子の話を聞いた後で俺についても聞かせてもらいたい。 アンタ達の言う“月島軍曹”についてだ」
「鯉登少尉殿に聞いた方がお早いのでは」

月島の凄みにするりと返答したのは尾形だった。鯉登を「あの坊ちゃん」と称したことから既知だとは察していたが、そうか彼は少尉だったのかと納得する。
それを受けて月島は少しの沈黙の後、重々しく口を開いた。

「…鶴見という名に心当たりはあるか」

すっと、それまでとは質の違う静寂が場を占める。全員が息を呑んで凍りついたのが分かる。
かなみも鶴見と言う名は聞いたことがある。月島がこんな会社には絶対に来るなと口を酸っぱくして繰り返す中で、幾度か耳にした名だ。北鎮運送の支部長で、前世がどうのという社員達を嫌がって辞めようとした月島を繋ぎとめたと聞いている。
とは言っても鶴見自身がどうこうした訳では無く、ただ彼を見た月島が鮮烈な既視感を覚えて留まらなければと決めただけらしいが。

「全員知っているらしいな、なら話は早い。 恐らくだが…あの人が箝口令を敷いている。 鯉登さんも、二階堂も、前山も宇佐美も、俺を「月島軍曹」と見做しておきながらいざ事情を聞こうとすると話せないの一点張りだ。 自力で思い出さなければならない様な何かがあるのか、或いは余程の問題児だったから思い出させたくないのか。 
 どちらにせよ今まではどうでもいいと割り切って流していたが、かなみが巻き込まれるのなら話は別だ。 どうにも穏便な事情でないとも分かった以上、是が非でも話してもらう」

鯉登、二階堂、前山、宇佐美。かなみにとってはどれも月島の口から聞いたことのある名ばかりである。
前山に関しては月島がプライベートで飲みに誘ったり出かけたりする仲だと知っていただけに、彼まで前世とやらに絡んでいるとは思いもしなかった。月島は前世だのなんだの散々胡散臭いとなじっていたから、それを口にする者らとは会社外での付き合いをしていないと思い込んでいた。事実、鯉登が自宅を訪ねて来ても三回に二回は居留守を使って追い返している。

「…月島はどうして、そんなにかなみを守ろうとするんだ?」

誰が口火を切るかと顔を見合わせる中、アシリパの静かな声が月島に向けられた。まだ幼いながら端正な顔立ちは確かな将来を予感させるもので、真っ直ぐな瞳には嘘が無い。ただ純粋な疑問を述べる彼女に、月島は眉間の皺を漸く緩めた。

「…そう問われるという事は、俺とかなみは前世とやらではほぼ無関係だったんだな」

ぴりぴりと張り詰めていた月島の声が、この日初めて落胆に近い静けさを見せた。覆い被さっていただけの手がぎゅうと丸まり、内側のかなみの手が握り込まれる。こんな時でも力加減に抜かりの無いところが彼らしくておかしかった。

「何てことは無い。 俺は実の両親に捨てられ、かなみの両親に育てて貰った。 家族を守ろうとするのは何もおかしなことじゃないだろう」

首を吊った母親の死亡届をきちんと出す様な、或いはその死を周囲に連絡出来る様な父親ではなかったことを失念していた幼き日の月島は、父親がそれまでとは段違いの刑期を課せられたことでひとり取り残された。公的には両親が揃ったままの子供を保護しようという動きがあるはずもない。
家中をひっくり返して見つけた小銭で食い繋ぐにも限界は早くに訪れ、電気も水道も止められた家から這い出す様にして近所の公園へ通った。公園には水道があり、比較的小奇麗な公衆便所があった。トイレットペーパーを買い足す金があったら菓子パンを買っていただろう。とかく月島は腹を空かせながら家と公園とを彷徨い、いつしか家よりも公園の方に居心地の良さを見出して居付く様になった。
そんなある日、とうとう木陰で行き倒れた月島の腹の上に乗り上げる者が居た。ずっしりとした重みと熱に苛まれ、今際の力を振り絞って瞼を持ち上げた月島の眼前にあったのは、歩ける様になったばかりの赤ん坊の爛々とした瞳だった。

「養子…じゃないよな? 苗字が違うし…」

ナイーブな問題だと思ったのか、杉元が恐る恐ると言った様子で声を上げる。

「実の父親にあたる男が子供をやる代わりに金を寄越せと言いかねない程度には人として最低の屑だった。 だから養子縁組はしなかった…どう足掻いても戸籍上はあれが俺の実の親だからな、その同意無しに手続きするには無理がある」

赤ん坊を追って現れた若い母親の小さな悲鳴を、月島は今もよく覚えている。妻の悲鳴を聞きつけてやって来た赤ん坊の父親に抱えられ、病院の世話までしてもらった恩も忘れることは無い。
そこで月島は漸く両親の庇護無く暮らす子供だと公的に認知され、母方の親戚にその死を知らせることも出来た。生憎母親の両親、つまり月島にとっての祖父母は既に老齢であった為に孫を育てることに難色を示したが、生前贈与として多額の金を譲ってくれた。しかしゼロの多く並んだ通帳だけを持たされたところで、ランドセルを背負う歳になったばかりの月島にはどうしようもない。育ててくれる大人の手はどうしたって必要だったのだ。
自分はこれからどうなるのだろうという変わらぬ絶望をぼんやり抱えて病室の天井を見るばかりだった月島の腹に、またあの重みと熱が乗る。迎えに来たわよと笑うかなみの両親と、腹の上できゃらきゃら笑う赤ん坊だったかなみが、あの日から月島の愛する家族である。

「二十歳を超えたら親の同意無しで養子縁組出来るんじゃないっけ?」

白石が惚けた顔で首を傾げる。言っていることは合っているし、月島が二十歳を迎えた時にそういう話が持ち上がったのは確かだ。けれどそれを、他らなぬ月島自身が断った。

「言っただろう。 血縁である以上、戸籍をどう弄ったところで俺にはあの屑がついて回る。 今まで接触が無かったのは、多分息子が居たと言う事実をアレが忘れているからだ。 何かの拍子に思い出して舞い戻って来た時、迷惑をかける訳にはいかない」

そう、あの時も同じことを言って断った。故にかなみの感慨も同一である。

「基ちゃん…まだそれ言うの…」

普段年上の幼馴染の言うことは全て正しいとばかりに従うかなみも、この問題に関する彼の姿勢にだけは賛同しない。全幅の信頼を寄せて娘を任せることの多い両親も同意見だろう確信がある。

「…まだとはなんだ、まだとは」

月島がじとりとした視線を寄越してくるが怖くも何ともない。家族同然に好くしてくれるかなみやその両親に対し、自分でも水臭いことを言っているという後ろめたさが滲んで見えていた。
かなみが月島の父親に関して知っている情報はたった一つだ。刑務所に出たり入ったりを繰り返しながら、妻をも暴力で追い詰めて首を吊らせたと言うろくでもない人間だということ。
今更我が子を愛おしむ様な男だと思えないのは当然で、仮に月島を迎えに現れたとしても絶対に渡さないと息巻いていた時期がある。無論、今もその気概は変わらない。

「基ちゃんて前世からこうだったんですか?」
「…こうってなんだ」

月島に顔ごと向けていた視線を、逆隣の尾形へぱっと移した。思ったよりもその端正な顔が近くあったことに驚いたが、首を傾げる姿には不思議と愛嬌があった。その奥で同じ様に首を傾けているアシリパと白石の影響もあったかも知れない。

「変なとこで頑固って言うか、真面目馬鹿って言うか、進んで損をしたがるって言うか」
「おい二つ目は普通に悪口だぞ」
「大体こんな感じだったぞ。 記憶は無えはずなのに不思議なもんだ」
「アンタも適当なことを言うな」

月島の野次を背中で聞き流し、尾形の肯定に大きく溜め息を吐く。前世からとなると筋金入りの性根なのだろう。損得勘定をして生きる月島など想像出来ないが、かと言って彼を思えばこそもっと器用に生きて欲しいと望んでしまう。なまじちょっとやそっとではびくともしない頑強さを兼ね備えているのがまた厄介だった。今更一言二言物申したところで変わるものではなく、それが堪らなく憎らしくなる時がある。

「基ちゃん将来絶対ハゲるから」
「分かる」
「絶対ハゲる」
「今は違うのか?」
「これは剃ってるんだ、坊主であってハゲじゃない。 かなみ、こっち見なさい話がある」

杉元と白石が深く頷き、アシリパが純粋な瞳で追いうちをかける。何時にない必死さで訂正を入れる月島の手をひょいと屈んで避けた時、不意にキロランケの顔が目に入った。

「…はは。 本当、元気で良かった」

笑顔に似たその泣き顔を、同じ様に見上げたことがあった気がした。