小説2 | ナノ


肌寒い、と思って腕を抱いた。
そんなわたしを見て、「寒いのか?」と問いかけるのは向かい合わせの左近。

「ちょっと。」
「席移動するか。」
「ううん、だいじょぶ。」

我慢はできる寒さだ。そう割り切って腕を解いた。それにしてもこのファミレスは冷房が効きすぎている。外はまだ本格的な暑さまで感じないのに気が早い。左近が細い腰を上げて、自分のグラスを持った。

「温かいの持ってきてやるよ。何がいい。」
「…ココアがいいな。」
「わかった。」
「ごめんね、ありがとう。」

こちらのことなど何にも気にしていないような仏頂面でいるくせに、左近は気をまわすことに敏感だ。そして繊細で。不運だ。まさに損な星の下に生まれたと言っていい。
元気のないわたしを見かねてわかり辛く誘ってくれたり、うまくいかない恋愛相談に頷いてくれたり。まったくもって優しくて。不運だなあと思う。
考えないようにはしてる。今わたしがいちばん欲しいのは、温かいココアじゃないこと。左近の後ろ姿にどうしても重ならない、影のこと。左近の優しさに素直に喜べずに泣きそうになる、その理由のこと。ここに三郎次がいないこと。ぜんぶぜんぶ石に縛り付けて深い深い記憶の底に沈めて二度と浮かび上がらなければいい。そう思うほどに記憶は浮かび上がり鮮明になる矛盾。

「ほら。」
「ありがとう。」

渡されたカップで指先がゆっくり温まっていく。何が正解で何が間違いか、ゆれる天秤はいつまでもふれ続け、結局ないものねだりは止まらない。そうしてわたしは宙をひたすら掴み続けるのだ。ないものはどうしたってないままで。ゼロからはどう頑張ってもイチは生まれないのに。

貰ったカップに口をつけてみたけど、思ったよりも熱くてすぐに戻してしまった。このまま飲んだら確実に舌を火傷してしまう。熱すぎる。どういうわけかわたしの周りは何もかも極端で、わたしに優しくない。
わたしには温いくらいがちょうどいいんだけどな。
左近は何も喋らない。ただジンジャエールの入ったコップをくるくる回して、涼しげな音を響かせている。わたしは熱いカップのふちをなぞりながら、ぼんやりとまた同じことを考えてしまう。今わたしの頭を支配する、このまとまらない感情をひっくるめて悩みとするとしたら。わたしが知ってるその莫大な悩みを消化する方法は、ひとつだけだ。それしか知らない。

「左近、」

虫酸が走るようなわたしの甘ったるい声と、かち合う視線。左近が、眉間にしわを寄せ、頬を染めてすこし下を向く。聡い左近がどう思っているかは考えず、都合のいい記憶のすり替えをする。いちばん欲しいものが「ない」なら、次に欲しいのは、甘くて温くて、刺激を感じない場所。
だって、―悩みに勝つのは大抵、思いこみなんだ。例えそれが解決手段でなくても、悩みは消える。

こうやってずっとぬるい空気に包まれたままでいたい。でもそう願う限り、きっといつまでたってもわたしたちに夏は来ないんだろうな。
カラン、と氷が溶ける音がした。


夏がない

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