小説2 | ナノ


「プール監視員のバイト?」
「そーなんだ、頼む左近!一生のお願いだ!」

突然三郎次から着信があったのは昨日の夕方のこと。不審に思いながら電話に出てみれば、明日のバイトを代わって欲しいと頼まれた。

「明日って、また突然だな。急な用事でも入ったのか。」
「ああ。大事な予定が入っちまったんだ。どうしても外せないんだよ、久しぶりの合コンだから。」
「…じゃあな。」
「待てって!切るな!なあ一日だけ頼む!俺の楽しい夏のために!」


どうして僕が三郎次の楽しい夏のためにわざわざ炎天下のコンクリ上で何もせずぼんやりプールを眺めて汗を流さなきゃいけないんだ。そうは思ったがなんだかんだで僕は引き受けて、今その市民プールで働いている。三郎次のために座って汗を流している。

「…まあ予定があったわけじゃないからいいんだけど。」

だが、予想以上に暑い。監視用椅子の上空からギラギラ太陽が照りつけてきて、自身の肌が徐々に焼かれていくのがよくわかる。目の前のプールに視線を向ければ、カラフルな水着に、水しぶきとはしゃぐ声。全部が全部まごうことなき夏の光景だ。
しかし目前の光景に何か変化があるわけではないし、既にこの仕事にうんざりしはじめてきた。
腕時計を見やれば時刻はそろそろ11時。やっとこれで監視係は交代だ。やれやれ、確か次の仕事は掃除だったな。
高めの椅子から地面に降り立つと熱いコンクリとプールの匂いが微かに強くなった。その熱気に思わず顔をしかめてしまう。もともと暑いのはそんなに得意な方ではない。

三郎次は「絶対この埋め合わせはする!命かける!」とか言っていたけど信用ならないな。つーかあいつ簡単に自分の命かけすぎだろ。
そんなくだらないことを考えつつ、僕は事務的に水面に浮かぶゴミを網で掬った。ゆらゆら光を反射して水面が揺れているのを見ると自分も水に浸かりたくなってくる。

そんなことを思っていたからだろうか、突然僕は人ごみに押されて足を滑らせた。踏み止まろうとするもどうやら無理のようで、体が水面に一直線に向かっていく。まずい、こんな時にまでいつもの不運が発揮されるなんて。しかも倒れこむプールの先には人の姿がある。嘘だろ、ぶつかる!

「きゃあ!」
「うああ!」

けたたましい水しぶきの音がくぐもったように聞こえて視界は白い泡に包まれる。やっとのことで水から顔を出せば、僕の隣では当然見知らぬ人、それも女の子が苦しそうに咳をしていた。さあっと顔が蒼くなる。やってしまった。僕の不運がまた他人を巻き込んでしまったのだ。

「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫です。」
「…すみませんでした。僕のせいで。」

僕と歳はだいたい同じくらいだろうか。ようやく息を整えたらしいその女の子は、まとめ上げた髪の毛から水を滴らせ僕を見上げて微笑んだ。

「濡れちゃいましたね。監視員さん。」
「あ…」
「でもずっとこんな炎天下で仕事してたら倒れちゃうから濡れて良かったかもしれませんよ、…なんちゃって。それじゃ。」

おどけたように笑って、彼女は去っていく。僕はしばらくその後ろ姿をぼんやりと見つめていた。水色ドットのセパレート水着が遠ざかる。
あの子…かわいい、かも。水の冷たい感触と一緒に、なんだか小さな幸せをもらった気分だ。びしょ濡れだし周りからは不審な目で見られているけど、考えようによっては意外とさっきの事故も不運じゃないのかもしれない。


*


単純な出来事に気を良くした僕の午後の仕事は、売店での接客だった。午前中に比べたら屋根の下にいるだけで天国だ。にこやかに挨拶しながらソフトクリーム巻くくらいいくらでもやってやる。

「いらっしゃいま…!」
「あ、さっきのお兄さん。」

そう意気込んでいた僕は、売店の窓から覗く見覚えのある姿にわかりやすく動揺してしまった。さっきの女の子が目を丸くしてそこにいたのだ。不意討ちの顔もやっぱりかわいい、かもしれない。

「さっきは本当にすみませんでした。」
「もういいですよ!それに監視員さんのせいじゃないですよね?誰かに押されてたじゃないですか。」
「…え、」
「あ、ソフトクリームひとつください。 」

押されてたって、僕のこと見てたのか?…いや、たまたまだろ。何期待してんだバカ。邪念を払いながら僕はソフトクリームを巻くことに集中する。集中する。集中。

「…監視員さんって、」
「…ってうわ!巻きすぎた!」
「えっ?あ、すごい!」

集中して巻いて巻いて。気がつけばソフトクリームはタワーのように長くなってしまっていた。まさにどうしてこうなった。一体僕は何をやってるんだろう。動揺しすぎだ。
慌てる僕を見て、彼女はまた笑った。

「ふふ、やっぱり監視員さん、おもしろいですね。」
「…あんま笑わないでください。」
「すみません、実は朝から監視員さんのこと気になってたんです。ちょっとドジだけど真面目な人がいるなって。」
「それは…どうも。」

ああ、もっと優しい返しができないのかこの口は。照れが邪魔をして、言葉が思い通りに吐き出せないのがもどかしい。目線を下げながら、ソフトクリームを彼女に差し出した。

「…あの、このタワーソフト良かったらどうぞ。お詫びとついででさしあげます。」
「え、いいんですかっ?」

彼女の表情が花が咲いたように明るくなる。冗談半分に笑う顔も、今「ありがとうございます!」って笑う顔も、…認めよう。最高にかわいい。かわいすぎるんだ。そんな子に気になってるなんて言われたら、当然期待してしまう。だって僕だって彼女が気になってるんだから。

「ここにはよく来るんですか。」
「はい!最近は暑いから毎日来てますよ。監視員さんは、明日もバイトですか?」
「…いや、僕はもともと代わりのバイトなので今日だけなんです。」
「そうですかあ…」
「でも!…もしもあなたが来るなら!」

思ったよりも大きな声が出た。彼女だって突然の僕の声に驚いてる。でも今、今言わなきゃ確実に後悔するってわかるから。僕は重い口につっかえそうな言葉を必死に紡ぎだす。

「その…明日も来ます。今度は、泳ぎに。」

僕の言いたいことを理解したのだろう。彼女が嬉しそうに微笑んでくれた。照れたように呟かれた「待ってます。」の破壊力といったら。それはもう凄かった。顔の熱に溶かされてしまうくらいに凄かったのだ。


*


「もう…なんだよ…せっかく張り切って合コン行ったのによ…全員彼氏持ちとかなめてるよな…意味わかんねえよ…」
「それよりお前、命かけた約束忘れんなよ。」
「おま、ドイヒーだな。可哀想な俺にかける言葉がそれか?」
「…まあ、そうだな。僕も三郎次には若干悪いなと思ってる。」
「ホントだよお前、もっと優しい言葉を「左近くん!」

耳をくすぐる高い声を合図に振り向けば、向こう側で手を振る花子さんが見えた。僕は控えめにふりかえす。三郎次は予想通り、理解できない様子で何か言いたげに僕を見た。

「じゃ三郎次、僕は泳ぎに行くから。バイト頑張れよ。」
「待てお前、色々おかしいだろ…」
「ホント感謝してる。だから埋め合わせはしなくて大丈夫だ。命助かったな。」

それだけ言い残して僕は歩き出す。三郎次は予想以上に泣きそうな顔をしていた。まあ詳しくは今度、ゆっくり話してやるとして…
前を向いて足を進める。花子さんまでの足取りが、軽い。僕はスキップも踏めそうなステップで、笑顔の花子さんの横にならんだ。


軽やかに夏が

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