小説2 | ナノ

「久作のヤロー…」


三郎次はとてもイライラしているようだ。
今日はクリスマスイブ。ということで久作は彼女とイルミネーションを見に行くらしい。というのは先ほど本人から聞いた話だ。いいじゃない、と僕が言うと久作は「寒いから正直めんどくさい」と言った。三郎次はそれが癪に障ったみたいだ。


「あいつ…クリスマスを過ごすやつがいるくせにめんどくさい…だと?あああもう!なんだよ!本当は嬉しい癖にマジ腹立つ。俺への当て付けか!」


僕と左近はそろって苦笑いだ。久作は三郎次と一緒で素直じゃないからさ、なんてことは思っても言えないや。
僕はちらりと腕時計を確認する。そろそろ、かな。

「…じゃあ、僕も帰るね。」
「ちょ、四郎兵衛!僕と三郎次をふたりにするなよ!」
「ああ!もう帰れ帰れ!さっさとイチャコラしてくれ!俺は左近と独り者同士ラーメンでも食いに行くさ!」

しっしと手を払う三郎次と絶望的な顔の左近に手を振って、僕は花子さんの家を目指すべく歩き出す。

学校から歩いて20分くらいの、小さな花屋さんと喫茶店が並んだ向かいに花子さんのアパートはある。僕はアパートには珍しい螺旋階段をカンカン音を立てながらのぼった。このアパートを借りる決め手がこの階段だったのだと花子さんは嬉しそうに言っていたっけ。
もらった合鍵で部屋に入ると、花子さんの匂いがした。その香りに安心しながら僕は鞄を置いて軽く部屋を片付ける。といっても、花子さんはきれい好きだから机の上にあるコーヒーカップを片すのと雑誌をもとに戻すくらいしかすることはなかったけど。
冷蔵庫を確認し、ふと思い立って僕は買い物に出掛けることにした。花子さんは帰ってから作るよと言っていたけど 、どうせ僕は暇だし疲れて帰ってくる花子さんにすぐに温かいスープを飲ませてあげたい。こんな日くらい僕が作ろう。
花子さんの家からスーパーはすぐだ。さらに言うと駅もとても近い。暮らすのにとてもいい所だねと僕が言うと花子さんはじゃあ一緒に住む?と言ってきた。余りにも自然にその言葉が出てきたものだから僕は一瞬何を言われたのかよくわからなくて沈黙を作ってしまったんだ。そしたら花子さんは「なーんてね、冗談。」と言ってすぐにいつもの調子に戻ったけど僕は今でもそのときのことを後悔している。たとえ本当に冗談だったとしても僕はあの時ちょっとでも黙ってはいけなかったのに。


食材を買って、下ごしらえを一通り済ませてもまだ花子さんは帰って来なかった。後はスープを温めて、味付けしたお肉を焼いて、冷やしているサラダに卵をのせて、フルーツを切って…そうだ、ワイン。買おうと思って忘れていた。これじゃまず乾杯ができない。僕は慌てて財布を持って玄関へ向かう。
―カン、
すると小さく階段の音が聞こえた気がした。それはとても小さな音だったので、気のせいかと思い立ち止まって耳を澄ませる。カン。確かに、誰かがのぼってくる。きっと花子さんだ。
すぐに玄関でおかえり、と言ってあげよう。そう思って目の前の扉から花子さんが顔を出すのを今か今かと待っていたが扉は一向に開かない。音も何も聞こえない。
人違いだったのかな、そう思って僕は扉に手をかける。ゆっくりと開けた扉の隙間から、花子さんの驚いた顔が見えた。

「あ…花子さん。」
「しろ、べ。」
「おかえりなさい。やっぱり居たんだね。今音がしたから花子さんが帰ってきたと思ったんだ。寒いでしょ?早く入りなよ。あったかいスープ作ったんだ。でもね、クリスマスだっていうのにうっかり花子さんの好きなワインを買うの忘れちゃって……花子さん?」

寒がりだから、すぐに部屋に入ってくるだろうと思ったのに花子さんはそこから動かなかった。少し下を向いて、唇をぎゅっと噛んでいた。

「しろべえ…ごめんね。」
「え?花子さん?」

突然の謝罪の後にぽろぽろと涙をこぼす花子さんに僕はうろたえた。こんな風に泣かれたことなんて初めてで僕はどうしたらいいのかわからず、両手を胸の前で遊ばせるだけで何もできない。
花子さんと肩を並べるのにふさわしいような大人の男だったのなら、きっとスマートに花子さんを抱きしめて気の効いた言葉をかけてあげられるのだろう。僕は今どうして何もできないのだろう。どうして僕はこんなにも子供なのだろう。花子さんといるとどうしても僕はそのことを痛感してしまう。早くこの人を支えられるようにならなければならなければと思うのに。
左近も久作も僕を大人だとか言うけれどちっとも僕は大人になんてなれていない。僕はいつになったら自信を持って花子さんと肩を並べることができるのだろうか。

「私、しろべえが好きなの…」
「僕も、花子さんが好き、すきだよ。」
「こんないい年して、6歳も年下のあなたに夢中なのよ。ずっと一緒にいたいとか思っちゃうのよ。あなたを放してあげたいけど、放してあげられないの。」

泣く花子さんは、いつもよりも子供っぽく見えた。


「僕もいつも思っているよ。早く大人になりたい、花子さんに早く追いつきたいって。大人に成りきれていないのが不安で仕方ないんだ。でもずっと一緒にいたいって思っちゃうんだよ。僕も花子さんを放せないんだよ。駄目かな、この気持ちだけじゃ駄目かな。」


ひたすら首をふる花子さんを本当は抱き締めたかったけど、結局僕はできなくて頭をぽんぽんと優しく叩いた。そしてできるだけ明るい調子で「今日の料理は自信あるんだよ。早く食べよう?」と言った。無理して大人ぶっているように見えるだろうか。でもそれでいいと思った。僕は花子さんを手放したくなくて、花子さんは僕を手放したくない。それできっとほんとうは充分なのだ。







「ごめんね、しろ。」
「いいよ。一体どうしたの?」
「年下の彼氏には捨てられるのが関の山って言われちゃった。軽く流したかったんだけど、考えたら止まらなくて。」
「そんなの気にしたら駄目だよ。今日は特に、僻む人が一番増える日なんだから。」
「ふふ、ひどい言い草。」

笑いながら花子さんは僕の作ったスープを飲む。美味しい、の言葉と花子さんの笑みを見て僕は改めてこの人を手放したくないと感じる。

「ねえ花子さん。」
「んー。」

チキンを美味しそうに頬張る彼女は口をむぐむぐ動かしながらこちらを見た。あ、タイミングまずかったかなあ。

「この家に僕も住んでいいかなあ。」

花子さんはむぐむぐを一瞬止めて、慌ててまた口を動かし始めた。

「むっ!むー!??」
「ああ、ゆっくり呑み込んでからでいいよ!」

せわしく咀嚼する花子さんはちょっと混乱しているみたいだ。
クリスマスプレゼントのペア食器たちをあげたら彼女はどんな反応をするだろうか、そんなことを想像しながら僕は、彼女の次の言葉をにこにこしながら待つ。

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