小説2 | ナノ

「かっこいい先輩ばかりじゃない。ねえ、」

ユキは話し続ける。六年生、五年生、四年生、三年生、
挙げられる、よく耳にする先輩たち。

「ね。試しに逢引してみれば結構うまくいくと思うんだけどなあ。私ツテはあるよ。」

耳から頭に、するりと入っては抜けていく忍たまの名前たち。
かっこいいってつまりなんなんだろうな。かっこいいの言葉と先輩たちの朧気な顔を思い浮かべても私には全くピンと来ない。
かっこいいのはいつだって、私にとってはやさしい彼だったから。


「わたしは…やっぱりやめとく。」
「花子、乱太郎のこと…まだ踏ん切りついてないの?」
「そんなこと…!」

ない、と
嘘でもはっきり言ってしまえばいいのに。一瞬微妙な間を作ったせいで否定できなくなってしまった。まるで図星だと言ってるようなものだ。
こんなときこそ私はうまく嘘をつけばいいのに。彼の前で上手く嘘なんてつかないで。

「ごめん。」

すまなそうな顔をするユキは 何も悪くない。悪いのは、きっと冷徹なくらい優しい乱太郎と、馬鹿みたいに諦められないこのわたしだ。


距離を置いても、乱太郎が私に何か言ってくることはなかった。ただ、上っ面の笑みを貼りつけてくるだけだ。
やっぱりな、というのが正直な感想だった。それでも涙が毎夜止まらないなんてどうかしてる。優しさだけで作られた笑顔に気がつくんじゃなかったと後悔さえしそうになるんだから、私はきっと頭がおかしいのだ。


「それはいいからユキ、今度の休日出掛けない?」


不自然で唐突な私のお誘いに、ユキが瞼をしぱたかせた。


私の休日の日課は、乱太郎に会うことだった。
お団子屋さんにも行ったし、一緒にお使いだって行った。乱太郎は私を決して拒まなかった。その代わり、こちらを追うこともしなかった。
今となっては何もなくなってしまった私の休暇は、もはや苦痛でしかない。何かしていないと、何か予定を入れないと、だめなのだ。乱太郎のいない休暇に意味を与えないと壊れてしまいそうだ。


ユキが驚いた顔をしたのはほんの一瞬で、すぐに見慣れた笑顔に変わった。何の追及もせずすぐに頷いてくれた。

「お団子屋さん行こうか。」

優しくユキが提案する。じわりと目が潤んできて、慌てて下を向いた。
友達には支えられてばっかりだ。感謝してもしきれない。



*



やってきた休日。
ユキと約束した時間と場所は今のこの場所のはずなんだけど。
そこには誰もいない。

「おかしいなあ…」

ぐるりと近くを回ってみても誰もいない。あるのは、落とし穴と、そこから伸びる手くらいで。…ん?手?

「っだ、大丈夫ですか!?」

反射的に走りよって穴から出ている手を掴んだ。同時に視界に入ったのはふわふわした髪の毛。あ、三年生の、

「いてて…ああ花子ちゃんごめんね。ありがとう。」

私の手に掴まって穴を這い出た先輩は困ったように笑っていた。
三年生の、―乱太郎と同じ保健委員の、三反田先輩。

「毎度毎度、不運で呆れちゃうな。」
「怪我はないですか?」
「うん。大丈夫だよ。最初から不甲斐ない感じでごめんね。」

自嘲気味にそう語る先輩の言葉の意味がよく汲み取れず、ぽかんとしていると先輩は私の手をとって「じゃあ行こう。」と歩き出した。

「え?え?三反田先輩?」
「花子、三反田先輩〜行ってらっしゃい。」

ひらひらと手を振るユキがいつの間にか門の前で手を振っている。え、なにそれ。

「ちょ、ちょっとユキ!どういうこと!?」
「ごめんね、私ちょっと用事で行けなくなっちゃって。で三反田先輩に代わりをお願いしてみたら良いって言うからさ。」

ごめんね、なんて言うけど、行けなくなったなんて絶対嘘。
はめられた!ああもう、ユキってば…

「僕になっちゃってごめんね、花子ちゃん。」
「い、いえ私こそ、付き合わせてしまってごめんなさい!無理しなくていいですよ、先輩。」
「いいんだよ。僕もお団子食べたかったんだ。」

優しいその言葉にほっとする。
そうだ、深く考えずに割り切って行くことにしよう。実際にユキに用事が入って、予定がなくなるよりはずっといいし、先輩と出かけるなんて滅多にない機会だ。新鮮で気が紛れるかもしれない。
ユキには後で色々と言いたいことはあるけど。



「元気だった?」
「はい。」

ゆるゆる歩く道のり、三反田先輩が懐かしい声の調子で私に問いかける。
私はいいえ、と答えるわけにもいかずに肯定する。
乱太郎にくっ付いて保健室によく出入りしていた私は保健委員の方々とは仲が良かった。突然私が保健室に行かなくなった理由はもうみんなわかっているのだろう。三反田先輩の言葉は私を気遣う調子だ。
確かに全く知らない先輩も嫌だけど、乱太郎と同じ委員会の先輩に頼むなんて。それはまた微妙じゃないのユキ。

「保健委員は、相変わらずですか。」
「うん。相変わらず不運だよ。今日だって穴に落ちたしね。」
「ふふ、そうでしたね。」
「この間は左近がまた夜食をひっくり返して、」
「それもお決まりですね。安心しました。」

懐かしい保健委員の顔ぶれが浮かぶ。もちろん彼も例外なく。
乱太郎も、元気だろうか。



*



「混んでそうだね。」

目的のお団子屋が見えてくると人だかりが確認できた。評判のいい店ということでくのいちの皆も話題にしていた程だから、多少の混雑は仕方ないだろう。

「本当に。直前で売り切れたりしそうです。」
「ちょっとやめてよ花子ちゃん。実際なりそうで怖いから。」
「ふふ、すみません。」

そんな風に緩んだ雰囲気のなかで歩みを進めていた私は、そのとき見えた色素の薄い髪の毛に見覚えがありすぎて、足の動きを止めた。

それを知ってか知らずか三反田先輩は、「行こう。」と言って私を引っ張って歩き出す。三反田先輩、止まってください。
気がつかれちゃうから、乱太郎に。おねがい、せんぱい。

「あれ、三反田先輩?」

そんな私の必死な心の抵抗も虚しく、聞き覚えのある声が私たちに向けられた。なにしてるんすか、きり丸の言葉で私の体はすうっと冷えていく。団子を頬張ったまま顔を上げただろう乱太郎も私を認識したはずだ。

「先輩もお団子食べにきたんですかあ。」
「うん。せっかくのお休みだしね。」

しんべヱの声と三反田先輩の声が耳をすり抜ける。乱太郎の声は聞こえない。私は下を向いたままで、なにもわからない。
彼は―呆れているだろうか。いや、呆れているならまだいい。またあの笑顔を貼り付けてはいないだろうか。そんなものを見てしまったら私は確実に

崩れる。

私は、本格的に、頭がおかしい。


「だいじょうぶ?」

隣に先輩の気配、そして優しい手の感触を髪越しに感じて、思わず泣きそうになった。
でも泣いてもおんなじだって知ってる。いくら泣いても、泣いても泣いても私は乱太郎を憎めないで。気持ちを捨てられないで。大事に大事に私のなかで温めたままで。変わらないままなんだ。

「花子ちゃん、無理しないで。」
「っ、」
「泣いていいよ。」

ふるふる、首をふってみせると先輩は私の頭をぐいっと自分の着物に押し付けた。

「!せ、せんぱい!」
「よーしよしよし。」
「わたし、子供じゃない、です!」
「可哀想にね。」

人の存在はわたしの感情を緩ませる。別に同情して欲しいわけじゃない。わけじゃないのに、色々なものが勝手に流れ出してくる。
これ以上優しくされたら、きっと全部あふれる。それはだめだ。

「なに、乱太郎。」

私が顔を上げたのと、その三反田先輩の声がしたのは同時で。
私の目の前には確かに乱太郎が立っていた。

乱太郎の顔を私はそこで久しぶりに見た。いつものやさしい笑顔、だけど。どこかぎこちない。そのまま乱太郎は困ったように口を開いた。

「…今日は、ふたりで来たんですか。」
「うんそうだよ。見ればわかるでしょう。」

含みのある三反田先輩の物言いに対して乱太郎はいつも通り笑ったまま。でもその表情には違和感がある。違和感?既視感か。
そこで私は思い出す。乱太郎のこの表情はあの時と一緒だ。私が乱太郎に距離を置こうと告げた、あの時の、笑顔。

「三反田先輩、花子ちゃんと…話させてください。」

喉から胸にかけてぶるりと震えた。乱太郎が私の名前を呼ぶその響きが懐かしくて、それだけで嬉しくなる。

「遅いよ乱太郎。」
「すみません、」
「花子ちゃん。」

三反田先輩はこちらを向いた。それはそれは優しい笑顔で。

「僕は行くから。」
「せんぱ、」
「じゃあね。がんばって。」

ぽんぽんと私の頭をやさしく叩いて先輩は行ってしまった。三反田先輩の後ろ姿が見えなくなる。きり丸が、しんべヱを連れて先輩を追うように店を出て行く。私はそれをぼんやりと見送った。乱太郎と残された。そっと振り返れば、どこか泣きそうな笑顔で笑う乱太郎が居て、私は馬鹿正直に体を熱くさせて。

「花子ちゃん。」

その声で私の名前を呼ぶのをずっとずっと待っていたというように。


「ひさしぶり。」
「うん。」


懐かしい、待ちわびたその声を聞いてしまったらずっと突っ張ていた感情は簡単にがたがたと崩れさった。
だめ、私はこの人が絶対にすきだ。

「ごめんね、僕の我侭で。」

ううん、と言った声まで震えた。乱太郎が我侭を言ったのだとしたら、それは私にとってとんでもない宝物で。私は乱太郎に我侭を言ってもらえる存在であったのだと認められた気がして。きっとこの涙はいつもの涙じゃなくて。それがまた嬉しくて止まらなくなって私の頬は水をかぶったかのようにびしょ濡れで。

「すき、」
「うん、」

私が吐く言葉はぜったいに変わらない。単純で、明快で、だけどもとっても想いがつまったこの気持ちだけ。


「僕もね、花子ちゃんがちゃんと好きだ。」


その言葉があまりにも都合が良すぎて、一瞬幻聴かと思った。
よく信じられないままじっと乱太郎をぐしゃぐしゃな顔で見つめたらすこしだけ滲んだ乱太郎が笑って、涙がまたあふれてだしてきた。
そうだ私は、この乱太郎の優しく笑う顔が大好きで。だから乱太郎がすきになったんだ。優しい彼が大好きだったはずなのに、いつの間にか欲張りになってしまっていたみたい。


「迎えにいくのが遅くなって、ごめんね。やっぱり僕はどうあっても、花子ちゃんといたいんだ。…だめかな。」


胸が膨らんで弾け飛びそう、そんな嬉しい恐怖が私を支配する。
勢いで飛び込んだ乱太郎の胸はあったかくて、私を抱きしめる腕はもっとあたたかかった。私の場所は、きっとここだ。







三反田先輩には前から心配されていたんだ、と乱太郎は照れ笑いで教えてくれた。

帰ったらユキと先輩に、ふたりでお礼を言いにいかないとね。そう決めて私たちはゆっくり歩みだす。


「次の休みはどこに行こうか。」
「どこでもいいよ。休みはまだまだ、沢山あるから。」


うん、と優しく笑う乱太郎の姿を確認して私の感情がまた緩んでいくのがわかった。

―ねえ二人が空けた距離はきっと無駄じゃなかったね。

久しぶりのふたりの帰り道に揺れる影が愛しくて。私はそっと彼の手を握った。

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