小説2 | ナノ

―あっけないもんだなあ。

無意識に溜めた息を、一気に吐かないように気をつけながらゆっくりと吐き出す。今、これ以上幸せが逃げてしまったら私は潰れてしまうかもしれない。
そんな子供じみた考えができるようになったということはさっきよりは幾分か回復したということかもしれないが。

目の前の公園で先程まで遊んでいた子供たちはすっかりいなくなってしまった。掘り返された黒い土でまだら模様になった砂場は誰も居ない分寂しく映る。


気がつけば太陽は傾いて、世界は暗色のフィルターにかかったように視界が悪くなっていた。
ほんとう、周りっていうのは常に見ていないとすぐに変化してしまうのものなのだと気づかされる。



その時ぼうっとベンチに座る私の目の前を、水色のマフラーが通り過ぎた。
鮮やかなその色は目に付きやすいためか、たやすくそのマフラーの記憶が私の脳内から引っ張り出された。確か、この人は今日だけで三回この場所を通った。近所の人だろうか。
そんなどうでもいい考えが浮かんで、またすぐに消え去る。そして浮かぶ映像は、今日の朝別れた彼氏との最後のやりとりだ。

私は、何度も思い出しては目をつむってしまう。つむらずにはいられないのだ。
きっとこれが辛いという感情なのだろうけれど、それを認めてしまったら悔しくてたまらず泣いてしまいそうだった。
だから私は決してそれを認めずにひたすら目を閉じて、溢れそうな感情が行過ぎるのを待つ。



「…あの、大丈夫ですか。」

声が聞えた。
それが私に向けられたものだと理解するのには少し時間がかかった。驚いて、私は閉じていた目を開き顔を上げる。
そこに居たのは、水色の鮮やかなマフラーの彼だ。
あ、これで四回目だ。さっき通り過ぎたのに、また戻ってきたのだろうか。

「大丈夫、です。あ、ほんとう、具合が悪いとかそういう訳では、ないんです。ありがとうございます。」
「だって…あなた昼間からずうっとここで俯いていましたよね。」
「…はい。」

全くその通りだったので私は素直に肯定した。

「もう冷えますから、暖かい場所に入ったほうがいいですよ。」

そう言ってすぐに立ち去るだろうと思っていた水色マフラーの彼は、しかしなかなか立ち去ってくれなかった。うろうろ私の前で行ったり来たりを繰り返している。まだ何かあるのだろうか。私、今誰かと話したい気分じゃないんですよね。
わかるでしょう、こういうときの女の人はそっとしておくべきだって。
もしや、新手のナンパだろうか。人が弱っている時に自分のことしか考えられない奴。ほんとう男ってどうしてこうなんだろう。目の前の彼に対する嫌悪感が徐々に膨れ上がる。


「ほっといてくれますか。迷惑なんで。」



あ、つい冷たい返しをしてしまった、
そう後悔する前に、「は?」という声が聞えた。
突き放すような声の調子で瞬時にしまった、と感じる。どうしよう、怖い人だったらどうしよう。
恐る恐る水色マフラーの彼の顔をうかがうと、眉間にシワを寄せてこちらを睨んでいた。ひい、と叫んでしまいそうになるが、
今にも突っかかってきそう、といった具合ではない。
彼は大げさにため息をついてみせた。

「落ち込むんだったら家に帰って落ち込んでくださいって言っているんです。ほっときますよ。ほっとくから早く帰ってください。
夜は冷えます。それに、今寂れた公園に女一人ってことちゃんと理解してください。」


相変わらずくっきり見える程のシワが刻まれたしかめっ面の彼が発した言葉は意外なものだった。
私の冷えた心にじわじわ暖かいものが沁みこんでくる。この人、私を心配してくれてるんだ。

自分の勘違いを詫びようととするが恥ずかしさから何を言ったらいいのかわからずにいると、ばさりと上から何かが落ちてきた。

「早くそれ着て帰ってください。」
「え…」

灰色の、上着。それは先程まで彼が着ていたものだ。

「それ、別にいらないんで。処分してもらって構いません。」

そう言って水色のマフラーを翻した彼はさっさと私から遠ざかっていく。
え、まって、私まだ何も、ごめんなさいもありがとうも言えていない。


思い立って彼に向かって駆けた私は彼の歩みを止めさせるべく、咄嗟に手を伸ばして水色のマフラーを引っ張った。…え?マフラー?


「ぐぇっ…!」
「わああごめんなさい!」
「ちょ、…早く離せっ!」
「あ!そ、そっかすみません!」


ぱっとマフラーから手を離して彼の首を開放すると、彼はゲホゲホと咳をした後にこちらをまたにらみつけた。

「おい!さっさと家帰れって言っただろ!わざわざ上着までやったのに僕を殺す気か!」

丁寧な口調は一変、突然ぶっきらぼうになった彼の言葉に一瞬怯むが、気を取り直して彼を見据える。

「もうしわけ、ないです!あの、そのまだお礼も、謝罪も述べていなかったもので…」
「勝手にやったことだ。そんなん、いるか!それより僕は寒いんだ。早く帰らせてくれ。」
「いやあの、私あなたにほんとうに申し訳なくて!その、お恥ずかしいんですが、ナンパかと思って酷いことを言ってしまってすみません。その、」
「もうなんだっていい!僕は帰る!」
「待ってください!まだ色々と…」
「あー!!じゃあ寒いからどっか入らせてくれ!」
「あ、じゃ、じゃあこの上着着てください!あなたのですし!」
「それじゃ僕がカッコつかないだろ!」


そんなわけで何故か、
私と水色マフラーの彼はすぐ傍にあったコンビニエンスストアにやってきた。店内は予想通り、とても暖かい。


「暖かいですね。」
「あー。」

そのままなんとなくぐるぐると店内を歩きながら私は口を開く。

「ほんとう、ありがとうございました。これまた恥ずかしい話なんですが、少し男性不信になってまして…あんな失礼な振る舞いをしてしまいました。
でも私のことを考えて心配してくれるあなたみたいな優しい人がいることが分かって、なんというか、不信を克服できるような気がしてきました。あなたのお陰です。」
「その男性不信やらなんやらで、今日はずっとあそこに座ってたのか。」
「…あ、はい、まあ。」
「あんたさ、バカなの?そういうの僕に言っちゃ駄目だろ。」
「へ」
「ホント、コロッと騙されそうだな。」

あーあ、初対面の人に分かられちゃうほど、やっぱ私ってどんくさいんだなあ。

忘れてたのに、また思い出してしまった。



「へへ…やっぱりそうなんでしょうね。今日、彼氏にふられちゃったんですよ私。ずっと私が風邪で寝込んでいる間に浮気されてたみたいで。
しかも自分で気がつけなかったんです。今日こっそり彼に会いに行ってそれで、」

それで、の後はとても言えなかったが、思ったよりも辛さは消えていた。


「…だから、そういうことは初対面の僕に言うなよ。」
「…すみません。」
「そんなんだから…」
「でもきっと、あなたは私を騙しませんよ。」

水色マフラーの彼は顔を赤くさせて「はあ?」と言った。でももう彼の睨みも怖くない。


「…もうなんでもいい!要件は済んだか?済んだなら僕は帰るぞもう!」
「あ、待ってください!」
「なんだよ。」
「この上着、やっぱりお返しします。」
「だから!さっきカッコつかないって言っただろ。」
「その水色のマフラーがいいです。」
「図々しい奴だな…このマフラーは気に入ってるから駄目だ。」
「だから、明日お返しします。今度はコンビニじゃなくて、喫茶店でお話しませんか?」

彼は少し目を見開いた。

今日別れたばかりの女に誘われるなんて思わなかっただろうなあ。
きっと印象最悪だろうなわたし。でも駄目。この人とこのままサヨナラなんてできない。どうせすぐに変化する世界に置いてかれてしまうんだから、がむしゃらに走ってやる。


とっても優しくて口が悪い水色マフラーの彼。

さっきよりも顔を赤くしたその彼が水色のマフラーをこちらに投げてよこした。私はそれを受け取って、嬉しさで緩む口元を隠すように巻いた。

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