小説2 | ナノ


焦っていた。それは今までにないほどの恐怖感で、何処かに置いて行かれてしまったみたいに心許なく、自分が酷く頼りなく感じた。幼馴染みの存在は自身の中でこんなにも大きなものなのかと驚愕したほどだ。いや、しかし能勢久作は、幼馴染みの枠に入れていいものか悩む存在であるから正確に言えばその表現には語弊があるのかもしれない。彼は幼い頃から物静かで、煩い私をどこか冷静に見ているような子どもだった。仲良く騒いで遊んだ記憶はほとんどなく、喧嘩もほぼしなかった。ただ隣にずっといただけだ。それがうっとおしいとか思う前に、それはごく自然で。例えるなら空気に近かったのだと思う。

「能勢くんを慕う女の子って結構いそうだよね。」

だから友人の言葉には、へえ、と平然と流したつもりだ。久作は顔は整ってなくもないし、色々そつもないし。中にはそんな子もいるだろうと思ったからだ。

「でも、久作はあんま喋らないし真面目でツマンナイから幻滅するかもよ。」
「その知的で寡黙な感じがまた、いいんじゃんか。」
「…!え、そうなの?」
「むしろあんたが能勢くんを悪く言う理由がわからないよ。頭もいいし欠点もないし。趣味が読書とか、落ち着いてて素敵。」

私は能勢久作人気を完全に舐めていたことに、その時はじめて気がついた。世間の女の子達は少女から女性になるにつれ、男に求めるものが変わってくること。明るくて面白い人と同じように真面目で堅実派の人気があがることにやっと気がついたのだ。

そう、私は焦っている。


*


今日は一段とひどい顔をしているな、と本を片手に久作は言った。私はいつもの久作の姿に、安心したようで不安が押し寄せるようで。そんな気がする、と力なく返した。
久作との会合は大抵お互いの気が向いた夜に開く。長屋から漏れた光で薄暗く照らされた幼馴染の姿を見ながら、わたしはどこかぼんやりしていて。そんなわたしを珍しそうに久作が見つめてきた。

「お前、なんかあった?」
「え?なんで?」
「いつもと違うから。」
「なにも、ない。」
「ほらやっぱり変だろ。いつもなら聞いて聞いてと言わんばかりにお前がやれ好きな男がやれ逢引がって喋り倒すのに何もないなんて。」
「…そんなこと、」

…あるかも、しれない。
否定しようとしてしきれずに黙りこんでしまった。
なんせ記憶をたどれば思い当たることばかりだったのだ。わたしが久作に喋ることは、失恋の痛みとか新しい片想いの悩みとか、良くて散々に終わったテストの話とか。そんなことばかり。うんうん頷いて聞いてくれるのを良いことにただ久作を鬱憤や悩みの捌け口にしていたような気がする。

「…ごめん。今までわたし、久作にお世話になりっぱなしだったね。」

そうしてやっとその事実に気がついたわたしは、久作が遠くなることが途端に怖くなって、どうすることもできずに焦っている。あまりにも自分に都合のいい話だ。謝るから、どうかわたしから離れていかないで。そんな利己主義にまみれた汚い独占欲。
ぱらりと紙がめくれる音と、風の音がした。相変わらず薄暗い景色のなか、久作はおかしそうに小さく笑って息を吐きだす。

「ほんと、どうしたんだよ。今更すぎ。」
「そ、そうなんだけど!でも、気がついたから…言いたくなったの。怖くて。甘んじてることも、甘えが許されてることも、怖くて。結局何を優先したいのか、自分のこともよくわかんないんだもん。」
「答えが出るまで甘えてくれていい。」

ほらまた、
こうやって久作は、さ迷っているわたしを導くんだ。

わたしが光の中にいるときは周りに気をとられてばかりで、空気のような久作の存在の大きさに気がつかなかったけど。
そういえばいつだって、わたしが暗闇に迷いこんでしまったとき、道を照らして光のほうに導いてくれたのは久作だったじゃないか。どうしてそんな大事なことに気がつかなかったんだろう。

「俺はお前のこと、見てるから。」

昔とあまり変わらない真面目なまなざしで、そんな風に優しく見つめられたら。泣きそうになるよ。

久作はいつだってそうやって、わたしを見守っていてくれたの?何度もぶつかって倒れこむわたしを引き上げて待っていてくれたの?
ねえまだ間に合うかな。まったくもってワガママなハナシだけど。ぐずなわたしの手をとって遅いよって笑ってほしいの。


おさななじみ

TOP


×