小説2 | ナノ

わたしは知っています。ちゃんとわかっています。才能の煌めきを。凡庸さへの諦観を。あのときわたしたちは確かに知っていたはずです。わたしはもう一度つめたい息を飲み込みました。
ホームの反対側で、ずいぶん伸びた癖のある髪の毛を触りながら友人と笑うその人は、まさに手嶋純太でした。わたしが時折眺めるアルバムの中の数枚の写真の手嶋を予想以上に格好よく成長させた、手嶋純太がそこに確かにいました。わたしは突然の再会に動揺し、震える胸を抑えました。視線をうろうろさせ、どうしようかと思っているうちに手嶋がこちらを向きました。目が合いました。大きく見開かれたその目と、認識された事実にくらりと目眩がするようでした。汗と熱が沸き上がり、たまらなくなってきたところで車輪の駆ける音が聞こえました。絶妙なタイミングで間に入ってくる電車に気がついたわたしは、再会の終わりをすぐに予感し、もの寂しい、けれど穏やかな不思議な気持ちになりました。綺麗な終わりを演出するようにわたしは愛想笑いをしました。それは昔、周囲の一部として生きることを受け入れた、凡人のわたしと手嶋が得意としていた便利な技でした。

間を隔てた無機質な箱に隠れて、逃げるようにわたしは柱の後ろにまわりこみました。汗と熱はまだ収まりませんでした。足は震えが止まりませんでした。そこにあったのは歓喜の混じった、消失感でした。

「っ花子、」

その時叫ぶように呼ばれた名前に、す、と熱かった頭から胸にかけてが急速に冷えていきました。階段を忙しく駆け降りる音が頭のなかで響きました。わたしの胸は畏怖を刻んで音を鳴らし、すぐ傍で手嶋の呼吸の音がしました。わたしは愛想笑いなど忘れて、手嶋を見ました。
目の前までやってきた手嶋は目を開いて呼吸を整え、表情を緩めました。それでもわたしは笑い返すことなどできそうもありませんでした。

「てしま」
「よ、久しぶりだな。元気だったか?」
「なにやってるの、向こう、電車行っちゃうよ、」
「すぐ戻るよ、心配すんな。」

恐怖からかじくじく胸が痛みだしました。中学時代からの余計な陰鬱が剥がれ落ちた手嶋は、きらきらと輝いてみえました。目の前にいるのは見知らぬすてきな青年で、わたしの知っていた凡人の手嶋純太は姿を消していました。手嶋純太は凡人の枠をはみ出して、卑屈になる暇もないほどに輝いて生きているようでした。
わたしはもう手嶋純太と愛想笑いもできないのだと考えると、悲しみで気がおかしくなりそうでした。
本来なら、奥深くに沈んでいたわたしの恋はとっくに色褪せているべきだったのです。それでも心配そうにこちらを覗きこんでくる手嶋に、悲しいくらい正直な体をどうすることもできず、わたしは泣いてしまいました。

ベルの音が鳴り響きました。頭に乗る手の感触に、また涙があふれました。お願いだから凡人らしく、適当な慰めを置いて向こう側の電車に滑り込んで乗って欲しいとただ願いました。それでも頭上の優しさが離れる気配はなく、ただわたしはその残酷さに泣き続けるほかなかったのです。

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