小説2 | ナノ

部屋で出迎えてくれた三郎次の顔を見て、直ぐに違和感を感じた。

「おかえり花子。」
「…ただいま。」

わざわざ改めて問いかけるほどのことじゃない、けど。ただいつもと違ってこの空間の居心地が悪いというか、正直、目の前の三郎次が怖い。それほどに三郎次は不自然なほど満面の笑みを浮かべていた。

「どうした?早く入れよ。」
「…うん。」

何を考えているのかさっぱり読めないけど、色々考えるのは性に合わない。スッキリしない思いはドアの外にこっそり置いていきたくて、できるだけ音を立てずに扉を閉めてみる。小さな金属音が玄関に響いた。
灯りのついたリビングにそろそろと入ると、視界の端に見えた三郎次がやっぱりこちらを見て笑っていた。そのまま近づいてくる彼がやはりどうしてか今日は恐ろしい。無意識に右足が後ろに出た。左足も出た。二歩下がったところでふくらはぎがソファに触れる。もう下がれない。そしてついに三郎次との距離はなくなった。
唇が、震える。

「…どう、したの?」
「何が?」 
「何か変、えがお、で、」

とぎれとぎれに吐き出した言葉の合間には、自分でもわかるほど恐怖が滲んでいて息苦しい。恋人が怖いなんておかしな話なのに、冗談にして笑い飛ばせる気がしない。
三郎次が嬉しそうにわたしの顔を覗き込んで、そのままソファに体を押し付けてきた。きゃ、と反射的に出たわたしの声を聞いて、彼の口角が上がる。

「この笑顔、怖い?」
「…っ、」
「おかしいな、やさしい笑顔の練習までしたのに。なあ今日の昼過ぎ休憩室で何してた?」

ヒルスギ、キュウケイシツ。断片的な言葉の意味するところを理解して、体が急速に冷えていく。答える台詞を考えるべき頭は、混乱しっ放しで役に立たない。

「不安にさせるようなことはしないでくれって俺なりに優しく言ったつもりだったから、お前がそれを理解していないわけないしって思って。色々考えてさ。」

嫌な汗が、背中を流れていく。
今日のお昼過ぎ休憩室前。思い当たることはひとつしかない。先輩に呼び出されて抱きしめられたことだ。
仲は良い先輩だったから何も警戒せず休憩室まで着いていってしまって、突然そんなことをされて、おまけに好きだなんて言われて慌ててしまって。
もちろんわたしにそういう気持ちはなかったし三郎次もいるし、拒んだけれど。もしかして三郎次はあの現場を見ていたのだろうか。そして今、怒っている、のだろうか。
三郎次は言葉を切って、また優しげな笑顔でわたしを見た。

「やっとわかったんだよ。花子も、俺に苛めて欲しかったんだろ。そういうことは早く言ってくれれば良かったのに。」

酷く明るい調子のその声がわたしの体を侵していく。押さえつけられた腕が、痛い。
最近ようやく真面目で優しい三郎次との距離感が掴めてきたと思った。理解できてきたと思ってた。思ってしか、なかった。こんな彼を、わたしは知らない。
怖くて、痛くて、つめたい。
でも、ぞくぞくする。
うん、と頷いたわたしを、わたしも彼もきっと知らない。

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