小説2 | ナノ

はじめは目を疑った。
でも確かにあの後ろ姿は喜三太に違いなかった。意識すると突然呼吸の仕方が下手になって、躊躇う暇もなく足が動いた。

「きさんた、」
「はにゃ?あっ!花子ちゃん!」
「おかえり。」
「ただいまあ。」

私を見てあからさまに目を輝かせた喜三太に、特に変わったようすは見られなくてどこかほっとしていた。風魔の学校に行ったと思ったら、忍術学園に転校していたりなんかしていて。私の知らないところで、いつの間にか喜三太は私の知らない暮らしをしていた。手を伸ばせばさわれるくらいに近かった距離が変わりつつあると気づいた時、不覚にも泣きそうになった。
その喜三太が、今この瞬間、目の前に居るのだ。

「帰ってきてたんだね。」
「花子ちゃんに会いに来たんだよ。」
「…そっか、長期休みに入ったのか。」
「あー流した。ほんとなのにい。」

のぞきこむようにこちらを見つめる喜三太が、嬉しそうに私の両手を握る。あたたかな体温が私の指の間に滑り込む。ゆっくりまるでナメクジがはい回るみたいに、こそばゆく私の手を拘束する。優しく絞めあげる。

「べつに私を理由になんかしなくていいから。」
「だって、ほんとのことだよ?花子ちゃんは僕が帰ってきて嬉しくないの?」

上目遣いで首をかしげる喜三太は素直で正直で、そして甘え上手だ。ずるくて、賢い人。

「嬉しいよ。」
「ほんと〜?」

喜三太の体のわりに大きな手がするすると移動して、今度は私の頬を撫でる。そのまま前髪を少しかきあげ、こめかみに、額に、唇が触れる。粟立つ肌には、見ないふり。

―嬉しい。その感情は本当の本物。
本物だから困るのだ。風化を待ったってちっとも変化しない気持ちにはうんざりしすぎて挫けそうだし。こうやって喜三太は、思い出したように私に会いに来るし。あたかもずっと私を想っていたかのように。
普段は私のことなんかすっかり頭から抜け落ちて、新しい生活を送っているくせに。

ずるいひと、ずるいひと、ずるいひと

首を横に振れない私は、都合のいい女、都合のいい女、都合のいい女

喜三太にとってのこの遊びが本物になったら、喜三太に本気で好きな人ができたら、喜三太が私に飽きたら、たら。れば。…のに。

ひたすら三回唱えてみる。私の現実に目を向けさせる。転がっているそれがあまりにもありふれていて、少しだけ笑えた。握られた手が切なく熱を帯びる。もうこれから、涙はきっと出ない。

TOP


×