小説2 | ナノ

わたしの夢は、染物屋さんのお嫁さんになることです。これは小さい頃からずっと、変わっていません。
伊助くんは素敵な男の子でした。優しくさらさらとわたしを撫でては、温かさをたくさん落としてくれました。
伊助くんの家の庭で伊助くんと駆け回りながら、わたしたちは干された布を揺らして、あたたかい太陽を浴びて。幸せでした。伊助くんの爽やかな温かさに染められたわたしは、時間を漂い、幸福の日々を駆けました。幸せにそまりゆく未来を疑うどころか、意識することもないほど当たり前に見据えて。わたしは幸せでした。
そんな伊助くんは忍者に憧れていました。忍者の学校に入りたい、ことあるごとに嬉しそうにわたしに言うのでした。わたしは忍者のことを楽しそうに話す伊助くんが好きでした。つまりはそういうことだったのです。



内緒のお話をしましょう。
帰郷したという噂を聞き付けて駆けつけた伊助くんの家には、いつも通りの染物屋さんの匂いがしました。それは変わらずわたしの大好きな、幸せの匂いでした。わたしの大好きな伊助くんは、染料の桶に手を浸し、水面を見つめていました。久方ぶりに見る伊助くんの表情を見て、わたしは、浮かべていた微笑と期待をその場に落としました。

「…花子、ただいま」

放心したわたしに気がついた伊助くんは、さっきまで浮かべていた表情を笑顔に変えて藍色に染まった手を挙げました。藍色が小さく揺れて波をたてました。わたしの染まりゆく未来は、その瞬間霞みました。 先ほどの伊助くんの表情には、染物屋さんに似つかわしくなく、大きな覚悟が滲んでいました。伊助くんは、忍者になることを決めてしまったのだとわたしは悟りました。

決してわたしは、忍者が嫌いではありません。それは、染物屋さんの伊助くんが目指したものだからです。わたしは、染物屋さんの伊助くんが好きです。ずっと前から、お慕いしています。
そんなわたしの好きな伊助くんは、もう少しで消えてなくなります。わたしの夢はただの夢になり、一生叶うことなく、期待に染められた夢としての役割を終えるのです。

伊助くんは、忍者の学校に帰る前にわたしに藍色の手拭いをくれました。僕が染めたものをもらってほしいと言いました。きれいな藍色はわたしの大好きな色でした。わたしは泣きました。伊助くんは、困ったように眉を下げました。わたしの夢は、藍色に染まり、形骸化して、綺麗な色の抜け殻になりました。伊助くんの覚悟をもて余して、わたしは未来を黒く塗りつぶしました。わたしにはもう忘れることすらできません。

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