小説 | ナノ

好きな人が許婚なんて、片思いの子達から見たら物凄く羨ましい話であることでしょう。実際、私はとても運がよいと思うのです。
許婚に決められた人を好きになったのだから。

だから、私は幸せなんです。幸せでない訳が、ないのです。




わたしの家は、父がそれなりに名前の知れた人でした。そのお陰で、今まで特にお金に困ったこともありませんでしたし、忍術学園に行儀見習いで入学することになんの弊害もありませんでした。
そうして入学して三年ほどたち、わたしのもとに一枚の文が届きました。
私をある家に嫁がせる、といった内容のものでした。酷く衝撃を受けたことを、覚えています。
とにかく、父は私をその方の家へ嫁に出したかったのでしょう。次の長期休みには許嫁の方と会うことになっていました。

私はと言えば、嫁ぐ張本人にもかかわらず一人だけおいてけぼりをくらっているような気分でした。
しかし、父は昔から何でも一人で決めてしまう方でしたし、逆らう気もさらさらありませんでしたので。私はその年の夏休み、ちゃっかりと許婚の方と向かい合っていたのです。



「浦風藤内と申します。」

顔を合わせたその方は、どこか見覚えのある方でした。もしかしたら、学園の方かもしれないと思いました。端正な顔立ちで、同い年とは思えないほどしっかりとした声で私に挨拶をしてくれました。

「あ、花岡花子です。宜しくお願いします。」

まさか、こんな素敵な方とは知らずにいたものですから。浦風くんと話をしていくうちに、私は初めてこの話を進めた父を恨めしく思いました。どうしてこんなに素敵な人を相手に選んでしまったのだと。

「花子、藤内くんも忍術学園に通っているそうだよ。今度、一緒に帰るといい。学園でも、仲良くしてもらいなさい。」

そんなことを呑気に言う父にわたしの気持ちが伝わるわけはない。

「そうですね、学園でも宜しくお願いします。」
幸いにも薄っぺらい言葉はすんなり口から出てくれました。







「…花子、さん?」

あれから一月ほどが経ちました。
見たことがあるとは思っていましたが、浦風くんが忍術学園に通っているという話は本当だったようでした。
作法室に行く綾部先輩にひょこひょこ付いていくと、浦風くんが中で勉強していたのです。

「うらかぜくん、」

そんな私たちをみて、綾部先輩はおやまぁ、といつものように飄々とした様子で呟いていたことを覚えています。

「藤内、花子ちゃんを知っているの。」
「ええ……ちょっと。」

その微妙な物言いに、私は少しだけショックを受けました。もちろん、浦風くんは私には勿体ない素敵な方だと思っていましたが、改めて浦風くんにそのことを突きつけられた気がしたのです。

「ふーん。」

それだけしか言わなかった綾部先輩にどれだけ私が感謝したことか。

そして、浦風くんは視線をまた、本に戻しました。
その時、私は浦風くんが私に興味がないことに気がついたのです。





それでも、勝手ながら私は浦風くんに好意を抱くようになってしまいました。
作法室で浦風くんと会ってからというもの、何故か頻繁に浦風くんに会うようになりました。それで私たちが仲を深めたわけではありませんが、
浦風くんの真面目さ
浦風くんの優しさ
浦風くんの逞しさ
そんなものばかり感じてしまっていたのです。そして私の感情は、浦風くんの素晴らしさに必要以上に触れるのはやめた方がいいと叫ぶ私の理性を突っぱねてしまいました。
気がついたときには、無意識に彼を目で追って探すようになっていました。



こうして冒頭のごとく、私は許婚を好きに、なってしまったのです。

しかし私は、
浦風くんと一緒になることが決まっている未来があることがなんだか辛くて辛くて、たまりません。
私と無理矢理一緒になることを余儀なくされてしまった浦風くんにどのように接したらいいのか全くわからないのです。
でも、きっと浦風くんとの未来がなくなるのは、今よりももっともっと辛いのです。
浦風くんごめんなさい。
あなたを縛りつけてごめんなさい。
私は、自分がかわいいのです。




「花子ちゃん、凄い顔だよ。」
「ほっといてください。」

そう拗ねると、綾部先輩は目をぱちぱち動かして首をかしげる。

「悩みがあるのでしょう?」

時々綾部先輩は鋭いことをいう。なにも考えていない風をして。

「あります、けど。私がいけないのです。」
「そうなの。」
「…綾部先輩、自分が一番大事な私は、どうしたら人に優しくできますか。」

それは相談というよりも私のぼやきに近かった。助けがほしかったのかもしれない。人にいうことで楽になりたかったのかもしれない。

「みんな、自分が一番大事だよ。そんなの当たり前じゃない。その上で、人に優しくすればいいのに。」

「…でも、」

「自分を犠牲にした優しさを押し付けられるなんて僕はいや。それを優しさだと言われるのも腹が立つ。」

きっぱりと綾部先輩はそういい放った。口調は厳しかったが、綾部先輩が、私を元気づけようとして言ってくれている気がした。

「確かに…そう、ですね。」

優しさも、言ってしまえばその人のエゴと紙一重だ。お礼を言おうと綾部先輩をもう一度見ると、先輩はもう庭に穴を掘り出していた。
「花子ちゃん。掘った土運ぶの手伝って。」
さっきの言葉なんてまるで忘れてしまったように、先輩はいつもの調子であった。
「…はい!」
「あ、藤内もね。」

え、と思わず口にして綾部先輩の視線を辿ると、木の影に立つ浦風くんがいた。
悩みの張本人がいきなり現れたことで、頭がうまく回らない。


「…綾部先輩が掘ったものなんですから、綾部先輩が片付けたらいいじゃないですか。」

浦風くんはどこか冷たく呟いた。

「どうせ暇でしょ。いいじゃない。」

徐々に回復した思考能力はすぐまた混乱する。一緒になんて、絶対に無理、

綾部先輩、

目で訴えてみたものの、綾部先輩は華麗にその視線をかわして、再び穴を堀
りはじめた。


「…」
「…」

呆然と立ち尽くす。おそらく、浦風くんも同じ気持ちだろう。
ごめんね、浦風くん。
私と関わってしまって。

「…浦風くん、わたし運ぶ道具、持ってくるね。」

私が普通に振る舞わなくちゃ
一線を引いた普通に。

それだけ言って駆け出そうとすると、体が後ろに引っ張られた。

見ると、浦風くんの手が私の服の裾を掴んでいた。私がそのことに驚く前に、ものすごい勢いで浦風くんが手を引っ込める。
途端に、また息苦しさが胸を襲う。

「…僕も行くよ。」

視線を少し下げた浦風くんの表情からは何も読み取れない。


ねぇ浦風くん。
私といるのが 気まずくて仕方ないですか。
付いてきてくれるのは、浦風くんの気持ちを犠牲にした優しさですか。


はなの奥がつんとした。
綾部先輩が言っていたことが、わかってしまった。優しさという名のエゴを受けるのは、辛いですね。

でも、エゴとエゴがぶつかり合うときに。自分のエゴを通せるほど、私は強くなれないみたいです。

涙が頬を流れるのを必死でこらえた。



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