小説 | ナノ

笹山くんにおぶさった私を見て、虎ちゃんは目を真ん丸くした。そしてすぐに、眉を下げて悲しそうに笑った。

「兵太夫、大変な役させちゃったね。」
「まったくだよ。」

そう言いながら笹山くんはぐちゃぐちゃな顔の私を玄関のカーペットにゆっくり下ろしてくれた。

「じゃ、僕は帰るから。」
「ああ。」
「…さ、やまくん、」

帰ろうとする笹山くんに必死に声をかけると、笹山くんは少し眉をひそめてこちらを向いた。

「…り、がと。」
「いーよ。女ひとり置いてけないし。」
「言って、くれて。」
「…!」
「ありがと、」

私の言葉を聞いて、笹山くんはまた顔を歪めた。反射的にごめん、と謝ってしまいそうになる。
しかし私が次の言葉を発する前に笹山くんは扉から出て行ってしまった。ガチャンと扉の閉まる音がその場に響く。


「…花子。」
「虎ちゃん。ごめん、迷惑かけて。」
「いいよ。さ、上がって。」

虎ちゃんの家に来るのは久しぶりだ。虎ちゃんは私が団蔵と同じくらいに仲が良くなった友達で、入学当初は三人でよく遊んでいた。最近、虎ちゃんと話していなかったなあ。
虎ちゃんのお母さんに挨拶をして、私は虎ちゃんの部屋にあがった。

「花子、どこまで聞いたの。」
「ん…私と、虎ちゃんとかが昔友達で、団蔵は私にその時のことを思い出して欲しくて、友達に紹介してくれてたこと。それから…その、団蔵と私が恋人だったって。」
「うん、そっか。兵太夫ぜんぶ言ったんだね。花子辛かったでしょう。」
「辛くないって、言えばうそになる、ね。たぶん私、今は団蔵に会えないよ。…でも、笹山くんには感謝してるの。」

屋上で崩れた私を支えて、口を歪めながらそばに居てくれた笹山くん。
いちばん、辛いことを私に言ってくれたのも彼だ。やっぱり笹山くんは優しくなくなんてない。


「そっか。ごめんな、花子。もっと早く言っておくべきだった。」
「謝らないで、虎ちゃん。」
「でもな、花子、俺は花子が昔友達だったからっていうそれだけの理由で今仲良くしているわけじゃない。きっかけは、昔のことであっても。今花子と仲良くしているのは今の花子といたいからだ。それは分かって欲しい。」
「うん。ありがとう。」

虎ちゃんの言葉が純粋にうれしかった。
たぶん、私はその言葉が、いちばん欲しかったんだろう。

その時、携帯電話のバイブ音が部屋に響いた。
私は自分の携帯電話のディスプレイをちらりと確認する。

―加藤団蔵


やっぱり、だ。

「出ないの。」
「うん。」
「俺は、団蔵も同じだと思うよ。今の花子とあいつもいたいはずだよ。」
「違うよ。虎ちゃん。」
「花子…」
「団蔵が見ているのは今の私じゃないよ。」

友達を紹介してくれた時の、なんとなく期待した目。今にして思えば、わかる。団蔵はいつだって昔の私を呼び戻そうと必死だったんだ。

私は震える携帯電話を見続けた。
今日の夕方あたりから、ずっと携帯電話は震え続けている。団蔵からの着信はこれで何件になっただろう。きっと、保健室を走って飛び出してしまったから乱太郎くんが言ったのだろうな。今度会ったら乱太郎くんに謝らないと。

そのうちに携帯電話の震えがぴたりと止まった。止まってしまえばよく分からない寂寥感に襲われる。―矛盾しているなあ。


「どうするの、これから。」
「わからない。どうしたらいいんだろうね。」

答えの出ない会話が宙をさまよう。どう進むべきなんだろうか私は。


「…虎ちゃん、昔の私はどんな風だった?」

気がつけば私は、そんなことを口走っていた。

「どうって、今の花子に似てるよ。性格も。」
「そっか。変わらないもんなんだね。」
「そうだね。みんな、変わっていないよ。あの時と。」
「ねえ、その昔って前世ってこと?」
「うーん。たぶんね。」
「想像できないや。」
「僕ら、忍者の学校に通っていたんだよ。」
「そんな昔なの?ますます想像できないよ。
「だろうなあ。」
「…ね、私と団蔵は…どんな感じだったの?」
「…聞いて辛くない?」
「だいじょうぶ。話して。」
「いっつも夫婦漫才みたいなことやってた。兵太夫とかにからかわれてたよ。」

笹山くん。
ちくりと心が痛くなる。

「タケノコ狩りにふたりで行ったときなんて、ふたり楽しくなっちゃったらしくて採りすぎてさ。きり丸に物凄く感謝されてたっけ。」

タケノコをあげた時の、きり丸くんの複雑そうな顔が浮かんだ。

「団蔵の恋人だっていうんで僕らとはみんな仲が良かったよ。」
「そっか。」
「辛かったら、言ってね。」
「ううん、平気。もっと、教えてよ。」

まるで、違う人間の物語を聞いているみたいだった。
その人物が、昔の私だなんて。
未だに信じられない。受け入れられない。

「昔の花子はね、ひとつ上に一目惚れした大好きな先輩がいたんだ。その花子を何とか振り向かそうって団蔵が頑張って、ついに付き合ったんだったなあ。」
「へえ、団蔵もやるじゃん。」

少し、気分が悪かった。それは私じゃないのに私で、
その昔の私は団蔵にひどく好かれていたんだ。今でも忘れられないくらい。

ブー、とまたバイブ音がした。
私は急いで電源ボタンを押して、電源を切った。




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