小説 | ナノ

私は酷く困惑していた。
朝、登校してみると、ぬめりで光沢を放った茶色い生き物らしきものが丁度私の下駄箱の場所の手前でのそのそ動いていたのだ。私は暫く固まっていたが、決心してそいつらに近づく。大丈夫、なんとか回避できる。
間違っても踏まぬよう、細心の注意を払って靴の入れ替えをする。

「へっぴり腰。」
「わあ!あぶなっ!」

いきなり腰を叩かれて体がバランスをくずすがなんとか立て直す。セーフ。冷や汗すごい。

「ちょっと!団蔵朝から何すんの。セクハラだよ。」
「セクハラのつもりならもっと可愛い子にするよ。」

その言葉にカチンときて私はふいっと顔をそらす。腹立つ。なんだか物凄く腹が立つ。
この間は家に二人だけだとかなんとかって、思わせぶりなことも言っていたくせに。ああ私だけいろいろ考えちゃって損した。

「あ、ナメクジじゃん。」
「…」
「きっと喜三太のだ。なあ花子、これ届けに行こうぜ。」
「一人で行ってくれば。」
「何拗ねてんだよ。さっきのことで怒ってんのか。」
「別に怒ってない。」

先程の団蔵の言葉で拗ねているなんて思われたくなくて否定だけしておく。でもその声は言っている私でさえ機嫌が悪いとわかるトーンで、今度は感情を隠せない自分に苛々してしまう。

「あ!ナメさんたちいた!」

気まずい空気に割って入ってきた明るい声。
ナメクジ好きというだけで有名な、山村くんだ。

「あ〜良かった。あれ、団蔵と花子ちゃんだ。おはよ〜」

ふにゃりとした笑顔を向けられ、私はなんだか脱力してしまう。

「おはよう山村くん。一回話しただけなのによく名前覚えてたね。」
「僕が忘れるわけないよ。だって、花子ちゃんと僕は友達じゃない。」

うん、そうか。一回話したし友達、でいいのかな。嬉しいけれどなんとなくくすぐったい。

「今度、また一緒にナメさんのお散歩に行こうよ。」
「また?山村くん、勘違いしていない?私山村くんとナメクジさんの散歩した覚えはないよ。」
「ううん。僕は花子ちゃんと一緒にお散歩したよ。」

わたしの目をじっと見て、当然みたいに山村くんが言う。え、だって私たち団蔵経由で知り合って、一回話したきりだよ。

「喜三太。」

ずっと黙っていた団蔵が口を開いた。少し強めの口調で咎めるみたいに山村くんの名前を呼ぶその声は普段聞く団蔵の声と全く違う。

「…またね、花子ちゃん。」
「うん、また。」

ふにゃりとした顔はそのままで、山村くんはナメクジの入った箱を抱えて行ってしまった。私のなかに疑問をいっぱい残して。

「花子。」
「…ん、」
「さっきの話な。」
「え?さっきってナメクジのお散歩?」
「そこじゃない。」
「…セクハラ?」
「そ。…俺が言いたかったのは、大切だから花子にそんな簡単に触れられないってことだよ。」



え、と返すと団蔵はほら、行くぞなんていつもと変わらない調子で私を小突いて歩き出す。
私は早まる心臓を抑えられないまま、赤い耳の団蔵を追いかけた。




←TOP

×