小説 | ナノ

火曜日、というのは日曜のお休み気分も既に失せていて、そのくせまだまだ週末にも遠いものであるから私は決まってなんとなく憂鬱になってしまう。
そして今はちょうどその火曜日の、お昼休みだ。まだまだ今日も終わらない。
私はため息をつきながら先ほどの授業で使用したノートを垂直に持ち上げて、挟まった消しくずをトントン、と机の上に落とした。
重力に従ってバラバラ落下する、黒いくず。先程の退屈な授業はそっちのけで、後ろの席に座る想い人の夢前くんの名前を書いては消し書いては消しを繰り返し、最終的に残った産物である。
結局私がさっきの授業で得たものはこのゴミだけということか。そう思うとなんだかとても虚しくなった。

ひとつ息をついてから、机に散乱した消しくずを丁寧に全てつまみあげて手のひらに乗せる。
これだけ捨ててしまってから、お昼を買いに行こう。そう思って立ち上がった。すると立ち上がった拍子に私の椅子の背もたれは後ろの席の机にガタンと音を立ててぶつかった。

「あっ…」

小さく嘆きながら振り返ると、後ろの席の夢前くんとばっちり目が合った。

「っ、ごめん。椅子ぶつけちゃった。」
「全然かまわないよ、そんなこと。」

夢前くんはにっこりと私に微笑む。
その姿を確認してこちらも微笑み返す。そして私はすぐに視線をゴミ箱へと向けた。ごく自然に。
夢前くんに話かけた。話しかけてもらった。嬉しくてたまらず、先ほどの何気ない一瞬の会話を頭の中で忘れないように繰り返して幸せをじんわり感じる。

「花岡さん、」
「へ、ひゃい!」

完全に会話が終了したと思い、気が緩んでいた私は突然夢前くんに呼ばれたことでとんでもなくおかしな声をあげた。
夢前くんはそんな私を見てくすくす笑っている。

(ああ、おかしな子だと思われた。)

あまりの恥ずかしさから今すぐこの場から無人島にまで飛び去ってしまいたくなった。

…いや、無人島はいくらなんでも言い過ぎか。言葉が通じる地域でかつ誰も私を知っている人が存在しないようなところまで、飛んでいってしまいたい。
わけのわからないことをぐるぐる頭の中で考えている間に夢前くんはそれ、と私の手を指差した。

「これ?ただの消しゴムのカスだけど。」
「うん。知ってるよ。」
「あ、夢前くん、もしかしてねりけし集めてるの?」
「ううん違う。高校生にもなってそんな子いないでしょう。」

また夢前くんは笑った。しまった。また意味のわからない女子だという認識を夢前くんに持たせてしまった。

「花岡さんさっき一生懸命何かを書いていたから、何かなあと思って。」


夢前くんが発した何気ない一言。

それに私はひどく動揺してしまう。
だって書いていたのは夢前三治郎という名前であって、その夢前三治郎というのは今私がおしゃべりしているあなたなのだから。
そりゃあ、後ろの夢前くんにこんな恥ずかしいラクガキを見られたら生きていけないことは分かっていたから挙動不審なくらい細心の注意を払って書いていたし、数は沢山書いたけどどれもすぐに消したし。実際夢前くんに見られたわけではないだろうから慌てる必要なんてないのだけど。
それでも一回だけ夢前花子なんてばかみたいに書いてしまったりしたから(思い出すだけで恥ずかしい)何となくやましさも拭いきれないでいるのだ。

この私の手の中の消しくずには、私の夢前くんへの想いが凝縮して詰まっている。
消しくずを持った手をさらに握り締めた。


「ただの、ラクガキだよ。」
「そっか。あまりにも真剣だったから気になったんだよね。」

それだけ、と夢前くんは微笑んだまま言った。
真剣だったのは、間違っていないんだけどね。
夢前くんに心の中で返答しながら曖昧に笑って、私は今度こそゴミ箱に視線を合わせて歩き出す。

ああ、緊張した。
夢前くんと離れたことで、顔の熱は少しずつひいていく。
昼休みで騒がしく動き回るクラスメイトを避けながら、私はようやくゴミ箱の前にたどり着いて立ち止まった。
椅子が引かれる音。ざわめく周り。今この瞬間、私を気にしている人は誰もいないだろう。そこで私はもう一度、夢前くんの姿を確認しようと横目でそっと夢前くんを見た。

夢前くんもこちらを見ていた。また、目が合う。私がそのことに驚愕して目を逸らす前に、夢前くんはにこりと私に微笑んだ。ひこうとしていた熱は一気に再び上昇する。

慌てて視線をゴミ箱に戻して、消しくずを捨てようと手を開くと、緊張したせいか汗でくずが手に張り付いていた。
私はそれをまた、ひとつずつ丁寧につまんで落としてく。

夢前くんへの想いが詰まった消しくずはぽろぽろと下に落ちていった。


良かった、夢前くんの名前を真剣に書いていて。沢山、書いていて。
私はさっき、なんて素敵な授業時間を過ごしたのだろう。


暫くゴミの中を見つめてから、私は込み上げる嬉しさを押し込めながら、夢前くんの前の自分の席に戻る。


ああ今日はなんて素敵な火曜日だろうか。

ハッピーチューズデー

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