小説 | ナノ

「なんか、今日の左近先輩物凄く機嫌悪くない?」
「伏木蔵、しいっ!聞こえちゃうよ。」
「すごいスリル…」

もうばっちり聞こえてる。
はぁ、大袈裟にため息をつくと、後ろの二人が黙ったのがわかった。
今保健委員は三人だけだ。


「乱太郎、伏木蔵。トイレットペーパーの補充をまかせていいか。」
「あ、はい。」
「はーい。」

二人は僕の顔色をうかがいながら保健室を出ていった。
少しホッとする。今はどうしても苛々してしまうからあまり人といたくない。

ちらり、と横を見る。
富松先輩は相変わらず胡座をかいて座っていた。寝ている花子の方を向いて。



事の始まりはくのたまと忍たまの合同実習で、花子と富松先輩がずぶ濡れになって帰ってきたことからだ。
雨がひどく降っていたのはほんの一時だったから、びしょびしょの二人を見たときは驚愕した。

「濡れちゃった。」と笑っていう花子に、何やってんだバカ、と喉まででかかったが富松先輩も濡れていたために僕はその言葉を飲み込まざるをえなかった。代わりに手拭いを仏頂面で花子に押し付けた。

結局、その晩に花子は熱を出したのだ。


富松先輩はずっと保健室で花子のそばにいる。正直僕は気まずいので出ていってもらいたかったが、そんなことも言えずばたばたとその横を駆け回って作業しているのだ。




「川西。」

ずっと黙っていた富松先輩に突然呼ばれ、何事かと振り向けば「俺のせいだ、悪い。」と富松先輩が頭を下げてきた。

なんで僕にそれを言うんですか。
確かに、僕は富松先輩がいながら、という気持ちが少なからずあった。
けれども、一番悪いのは勝手に雨の中へ走っていった花子らしいし、第一、僕はあいつの保護者じゃない。

「先輩のせいじゃないですから。」

僕は無難な言葉を言って作業を再開した。富松先輩には僕が怒っているように見えたかもしれない。

でも僕は責任を感じて、もしくは花子が心配で、ずっと保健室を離れない富松先輩をちょっと認めていた。
僕が一番腹を立てていたのは、この場に三郎次がいないことだ。

花子のことやらなんやらで、実習が終わってから僕は三郎次に会っていない。でも、四郎兵衛はさっき花子の見舞いに来てくれたし、三郎次だって花子が寝込んでることくらい知っているはずだ。
なのに、どうしてあいつは花子の所に来てくれないんだよ。見舞いくらい来たっていいじゃないか。
ああ苛々する。

花子をちらりと見る。寝顔は少し苦しそうだ、が食欲は全く落ちていなかったし、まあ大丈夫だろう。
花子が元気になって、「左近ごめんね。」なんて言おうものなら全くだ、と返してやる。どうしてそんなに危なっかしく生きるんだと、罵ってやる。


「川西、」

富松先輩にまた呼ばれて、僕は現実に引き戻される。

「何ですか。」
「…おめぇは、何で花岡と仲良くしようと思ったんだ?」

突然予想外の質問を投げかけられ、僕は戸惑う。
富松先輩の表情は真剣そのもので、真面目に答えねばならないことだけは分かった。

「特別仲良くしたいと思ったわけじゃないです。でもなんというか、花子に…気を許して接して欲しかったから、ですかね。」
「…そうか。」

自分で言ってて鳥肌が立ちそうだ。何で僕がこんなことを言わなきゃいけないのだ。


「…俺さ、花岡のことかわいいと思ってさ。くるくる笑うし、楽しいし、こんな子と恋仲だったらって思った。実習中にあわよくば、なんて考えてた。怒るなよ、川西。」

富松先輩はひとり語り始めた。
僕は、やっぱりな、という気持ちで静かに先輩の話に耳を傾ける。

「でも、池田が。池田とは店で会ったんだけど、花岡に何か突っかかったみたいで、そっからあからさまに花岡が落ち込んでんだよ。でも無理に普通に振舞おうとしてんの。
俺な、そん時に俺はこいつに本気で惚れてるって気づいたんだ。どうしたら花岡が笑ってくれるかとか、花岡が喜んでくれるかばっかり考えてたよ。」

富松先輩の視線は相変わらず花子に向けられている。その顔は悲しいくらい穏やかだ。

「花岡が一番嬉しそうにするのはきっと俺の横じゃあないんだよな、って考えたら花岡に想いなんか伝えられなかった。滑稽だろ、大切すぎて手出せねえの。」

そして、富松先輩は僕に目を合わせる。

「一番でなくてもいい。俺も花岡にとって気を許せる存在になろうと思う。だから俺は花岡を取ったりしねえよ。川西、安心してくれ。」
「…僕は、あいつの保護者でもなんでもないです。」
「おんなじようなもんだろ。あと、ひとつ。いいか。」
「はい。」

「池田に、俺の分も怒っといてくれな。」

富松先輩の穏やかな顔から怒りが滲み出ているのがわかった。僕は一瞬怯む。

「先輩は…なんか格好いい、ですね。」
「なんだよ。いきなり。まあ、言われて悪い気はしねえな。」

この人は敵に回したくないな。そう思った。三郎次は自業自得だが。





「左近せんぱーい。終わりましたあ。」

暫くすると一年生が帰ってきた。それを合図に富松先輩はよっと腰をあげる。

「後は保健委員さんに任せるて俺は行くかな。」
「任せてください!からあげのお姉さんは僕達が責任もって看病します!」
「頼もしいな。それじゃまた来るよ。」

それだけ言って、富松先輩は去っていく。
僕の苛々はいつの間にか静まっていた。



――なあ、お前は人に恵まれているよ。

眠る花子の額にそっと手を当てる。手から花子に今の僕の思いが伝わるように。
どうやら、だいぶ熱は下がったようだ。

そして夜は更けていく。





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