小説 | ナノ

※+2歳、中学生パロ



中学に上がった途端に、小学生の頃の自分のことを忘れてしまったかのように皆が変わり始めた気がする。
今まで一緒に通っていた幼馴染みの久作とは、何となく別々に通うようになってしまったし。友達との会話には男の子の話題が出てくることが多くなった。

変わっていく周りの子らを見ると、私は何だか取り残されたような気分になってしまうのだ。
みんな、どうしてそんなに大人になることを急ぐのだろう。

そんなことを人にこぼしてみたところで、ただ子供っぽい子だと思われてあしらわれてしまうに決まっている。だから、私は何も言わない。
ただ、皆の言う"大人"の窮屈さを感じながら毎日を過ごすのだ。



「花子、」

頬杖をつきながらそんなことを考えていたらすぐ横から声がした。
見ると、窓から顔を出した久作が手招きをしている。
私は慌てて廊下に出る。

「なに、久作。」

久作が呼び出すなんて珍しい。学校ではすれ違って挨拶するくらいなのに。
見慣れてきた学ラン姿であるけれど、やはりずっと一緒だった頃とは違う。私はまだ制服の久作を見るのがちょっぴり気恥ずかしい。

「なあ、辞書、貸してくんない?」
「あれ、四郎兵衛くんに借りないの。」

私と四郎兵衛くんは同じクラスで、久作は別のクラスだ。いつもなら私に借りずに四郎兵衛くんに借りるのに。

「いや、今日な、俺も忘れたんだけど三郎次も忘れたんだよ。花子、悪いけど三郎次に貸してやって。」

そう言う久作の横には、気がつかなかったが池田くんがいた。

「わかった、ちょっと待ってて。」

私は池田くんに貸すための辞書を取りに戻る。


池田くん。
彼も、変わってしまったひとりだ。

「はい。池田くん。」
「サンキュ、」

「じゃーな、花子。」

久作がひらひらと手を振る。
こんな些細なことでも私はなんだか嬉しかった。
久作にとって私が、大人になることで忘れられていく存在ではないという事実に。私は安心する。




* * * * *




「ねえねえ、帰りにアイス食べながら帰ろうよ。」
「パス。今日ミーティングなの。」
「え〜…待つからさぁ…」

今日は一人になりたくない気分だ。そう思って友達に提案したが、きっぱり拒否されてしまった。

「だめなの、今日は遅くなるから。それに花子、外見た?土砂降りよ。」
「えっ!?」

廊下の窓に張り付いて空を確認する。白い線が立て続けに降り注いでいるのが見えた。微かに聞こえる音と、水溜まりで跳ねる滴の数が雨の激しさを物語っている。

「ああ、ほんとだ…傘、持ってきてないのに。」
「天気予報見なかったのかよ。」

突然少し低い声が降ってきた。

「うん、見なかった。久作、傘入れてよ。」
「あー…悪い、今日は約束があるんだ。」
「…そっかぁ。」

ふん。どうせダメもとで聞いたもんね。
久作の言葉が本当なのか、それとも相合い傘が、嫌なのか。別にどっちだって良かった。
そう。ほんのちょっとだけ、寂しいだけだ。


「下駄箱で待ってたら、誰か来るんじゃないか?入れてもらえよ。」
「生憎、久作みたいに顔が広くないものでね。」
「じゃあ、下駄箱で雨が止むの待つ。」
「これ、止むの?」
「そこは祈れ。」
「他人事だと思って…」

まあいい。いざとなったら濡れて帰ってやる。そして、風邪を引いたらさりげなく久作のお母さんに言ってやる。そうしよう。
去っていく久作を睨み付けながら私はそんなことを考えた。


傘を持つ友だちは捕まらず、結局下駄箱に来てしまった。雨は弱まっている様子もない。ため息が出る。
しょうがない、走って帰ろう。
そう思いながら自分の靴箱の前まで来ると、誰かが座っていた。

見覚えのある、緑色の髪の毛。
池田くんだ。

かたん、
と私が靴箱をならすと、池田くんがちらりとこちらを見た。

「花岡。」

そのまま呼ばれる。完全に声変わりした池田くんは、私の記憶の中の人物とは別人のようだ。
私は靴を取り出しながら、返事の代わりに池田くんを見た。

「これ、辞書。ありがとう。」
「あ…。」

そうだ、辞書を貸していたのだ。すっかり忘れていた。彼から戻ってきた辞書を受け取る。右手にずしんとした重み。

「明日でも良かったのに、ありがとう。もしかして待ってた?」
「別に。」

別に、の後に続く言葉はなんだろうか。でも何にしろとりあえず彼は待っていてくれたのだ。
私はなんだかむず痒い気持ちになり、沈黙の気まずさも手伝って、さっさと靴を履きにかかった。しかしこんなときに限って、踵がなかなか入らない。

「なあ、…花岡、傘持ってないんだろ。」

やっと踵に足が入ったのと同時だった。池田くんがそんなことを言ったのは。

「うん。なんで知ってるの?」
「久作に聞いた。」

まあそうだろう。他に伝える人なんていない。私は次に池田くんが発するであろう言葉が予想できて、でもそんなことを言う彼が想像できなくて、複雑な気分になる。彼の足元には大きめの黒い傘が転がっている。

「一緒に入ってくか。」
「え……い、いの?」
「ああ。」

池田くんは私の想像できなかった言葉を簡単に言ってのけて、ゆっくりと腰をあげた。





雨は近くで見ると、余計に激しく見えた。
開かれた大きな傘の左側に私は身を寄せる。池田くんとはもう肩の高さが大分違うことに気が付いて、また少し寂しい気持ちになった。


私と池田くんの関係はなんだか微妙だ。
もともと池田くんは久作の昔からの友達である。そして小学校の頃から久作とべったりだった私は池田くんにちょっかいばかり出されていた。

ばか花子、だとか花子はぶす、だとか。
そんな言葉は私を罵る彼の常套文句。言われるたびに私は傷ついて、久作に泣きついた。
久作も池田くんが友達だったもんだからどっちつかずの態度で、私をなだめてたっけ。
今思えば久作は大変だっただろう。

そんな口の悪い意地悪な池田くんは、小学校の終わりくらいからなんとなく変わってきて、私は泣かされることが少なくなった。あの時はずいぶんほっとした気がする。
中学校に上がった今となっては、池田くんが私に話しかけること自体がなくなったと言っていい。
偉そうに名前で呼んでいた私を花岡と呼ぶようになったのはいつからだったか。
彼も大人になったのだ、といえばそれまでなのだろうけれど。池田くんのその変わりようが私にはなんだかよく分からなくて、加えて昔の池田くんの印象が残っているものだから、話すことがなくなっても池田くんへの苦手意識はまだ消えない。



「傘忘れるとか、花岡バカだろ。台風が近づいているってニュース聞かなかったか。」
「いや、毎日の占いは、かかさず見ているんだけどね。」

ぽつりぽつりと交わされる言葉。
ああ、居心地が悪い。どうせなら、前みたいに遠慮なく罵ってくれたほうが格段にいい。
池田くんの発した「バカ」の言葉には気遣いだとか遠慮みたいなものが纏わりついていて、私は寂しさを通り越して悲しくなった。矛盾してる、からかわれるのがあんなに嫌だったのに。

「なあ、その辞書、貸せよ。」
「へ、あ。」

ぼうっとしながら握っていた辞書はまた、池田くんの手に移された。

「重いだろ。」

しばらくぽかん、とした後に私は急に顔が上気していくのを感じた。なに。これ。

「池田くん、変わったね。」

あまりにも衝撃的だったのか、私の口から本音が滑り落ちるように出た。
池田くんは視線を一瞬こちらに向けたかと思うとすぐに戻し、ぶすっとした表情になった。
ああ、この表情。懐かしい。


「…何笑ってんだよ。」
「いや、その表情昔みたい、だから。」

少しぶっきらぼうになった池田くんは、昔のままだった。安心からか私の頬は初めて緩む。


「なあ、…怒ってるか。昔のこと。」

突然池田くんが真面目に聞いてきた。
緩んでいた私の頬は一瞬で引き締まる。


「ううん。」
「…ほんとかよ。」
「うん。」

それは本当だった。私は苦手意識こそあるが、池田くんに対して怒りとか恨みとかそんな感情は抱いていない。
昔ならあったのかもしれない。だけれども、不思議なくらい今の私は腹が立っていないのだ。
結構、知らないうちに私も大人になっているのかもしれないな、と思った。


「俺はお前が嫌いだったわけじゃないんだよ。ただ、なんつーか、その素直になれないっていうか。ガキだったっつーか…」
「うん。」
「それに俺は、優しいやつじゃないから、さ…こんな風に傘に入れてやるとか、滅多にしないわけ。」
「そう、なんだ。」

池田くんは何を言いたいのだろう。核心を突いてこない彼の言葉が私たちのまわりでふよふよ漂う。

「なあ、意味わかるか?」
「うーん…」
「…わからねえのかよ。」

その時いきなり池田くんは立ち止まった。私もそれに合わせて立ち止まる。傘に当たる雨音がはっきりと私の耳に届きだした。
池田くんが初めてしっかり私に目を合わせてきて、私の心臓は大きく拍動しだす。


「俺はな、ずっとお前が好きだったんだよ。」



池田くんの低い声が耳にこびりついた。
私たちの横を通り過ぎる車が水とタイヤを擦り合わせて通り過ぎていく。

何も言葉を発しない私から目を逸らし、彼はまた歩き出した。私もそれに続いて歩き出す。心臓はちっとも、鎮まらない。



私の家の前で、彼は辞書をよこした。二回目の受け渡しだ。
私はぼうっとしたままそれを受け取った。

「ボケッとしすぎだろ。」
「うぇ、ご、ごめ…」
「俺の、せいだけどさ。」

だって、世界が一変してしまったんだもの。なんてい言い訳は通用するだろうか。
子供のまま、もう少しぬるま湯に浸かっているつもりだった。でもそんなわけにはいかなくなってしまったんだ。急がなくてもいいけど、でも少しずつ絶対、私は大人にならなければいけない。そのことを今日しっかりと理解してしまった。

「花岡は俺のこと苦手なんだろ。…色々無理しなくていい。」

それだけ言って、池田くんが立ち去ろうとした。私は咄嗟に彼の制服の裾を掴む。

「あ、あのね、」

池田くんは大きな目を開いてこちらを見た。池田くんは、よく見るととっても格好良いのだな、とその時ばかみたいに考えた。

「私、できるだけ早く大人になる。そうしたらもう一回、私の話、聞いて。」

たどたどしく繋げた言葉。なんて稚拙な表現だろう。こんな私でも池田くんみたいに大人になれるだろうか。

「ああ。」

目を細めて池田くんが笑った。じゃあな、と言い残し彼は走り出す。
降りしきる雨の中に彼が消えても。私はなかなか動けず、びしょぬれになった辞書の重みを感じていた。


(色々と確信犯な久作)

すぐに追いつくね

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