小説 | ナノ

何もかも、わかっていたような気がしていた。
彼女の一番の理解者は僕だと、自負していた。

だからこそ今、僕は何もかも、よくわからなくなってしまった。




「乱太郎、今日もくのたま長屋に付いていっていい?」

花子ちゃんと夜空を見上げた次の日。
いつものように僕が乱太郎に聞くと、乱太郎は、少し驚いて、物凄く悲しそうな顔をしたのだ。
いつもなら快く、もちろんと了承してくれる乱太郎の意外な反応に僕はうろたえる。

「庄左ヱ門、…もう行く必要はないじゃない。花岡さんは…いなくなっちゃったんだから。」


僕には、乱太郎の言葉の意味がすぐに理解できなかった。

花子ちゃんがいなくなった?

「何言ってるの、乱太郎。」

僕の声はもしかしたら、震えていたかもしれない。
だって、昨日の夜まで、僕らは一緒にいたんだよ。一緒に世界を見たんだよ。
そんな質の悪い冗談はやめてよ。

「庄左ヱ門、もしかして…花岡さんから、聞いてないの。花岡さんが昨日までで学園をやめたこと。」


ひやっと全身が凍る。
うそだ。
うそだ。
花子ちゃん、嘘なんでしょう?


僕は何も言わずに教室を飛び出した。後ろで声がしたかもしれない。でもそれどころじゃなかった。


黒木くんが生きるなら、私も生きてみるよ――

彼女の昨日の言葉が、僕の頭でぐるぐる回る。






シナ先生は、僕を見てごめんなさい。と言った。
僕の中でいろんな感情が行く場を失ってしまったように渦を巻き、何を考えることもできなかった。ただそこに呆然として立ちつくすことしか。

花子ちゃんは本当にここにもういない。
そして、もう戻ってくることもない。

「あの子は、…とても可哀想な子だったわ。自分の村から、親から…迫害されていたみたい、私も詳しくは知らないけれど。
お金が足りないので、ここにはもう居られません、とあの子は言いにきた。なんとか、居られるようにしようと思ったのだけれど…出ます、て。頑なに譲らなかった。」

シナ先生が拳をきゅ、と握った。
彼女の話は一度も聞いたことがなかった。聞いてはいけないことのような気はしていたが、まさか、そんな状況だったなんて。

「庄左ヱ門くんには、言わないでくださいと言われていました。」
「…な、んで。」
「あなたには、余計なことを知られたくなかったのかしらね、」
「…」
「酷い、と思うかしら。でも、彼女の最後のわがまま…辛いと思うけど許してあげて。」


悲しそうに、シナ先生は僕に微笑んだ。
そう言われてしまったら、許すしかない。
いや、花子ちゃんを許さないとか許すとか、そういう問題なんかじゃない。
僕は自分の不甲斐なさが憎らしくてしょうがないんだ。



彼女は何を思って、あの晩に僕と会ったのだろう。
ぼうっと、縁側から庭を見る。

ここで、彼女に昨日、声をかけられた。
ここで、隠れておしゃべりした。
ここで、彼女と初めて会った。
ここで、彼女の手紙を、


「おや、病葉じゃのう。」

庭から聞こえた学園長先生の呟きが僕の頭を駆け抜ける。
病、葉、

「学園長せんせー。なんですか、それ。」

のんびり尋ねるしんべヱと、それに続くきり丸、乱太郎。4人が僕の視界に入ってきた。
学園長先生は人差し指を立てて、上空を指差す。

「ほれ、ここの木にひとつだけ。枯れて色が変わっている葉があるじゃろう。他の葉は青々としているのに。」
「ほんとだ。」
「あー。」
「こういうのを病葉というんじゃ。勉強になったじゃろ。」
「わくらば、かあ。」
「わくらば、なんて変な名前。」

笑い声が通り過ぎていく。
僕はひとつの事実に気が付いて、勢いよく立ち上がった。
花子ちゃん、
ごめん

全速力で駆ける僕をすれ違う人が皆振り返る。
廊下を抜けて庭を抜けて、
僕は昨日侵入したくのたま長屋へ。音なんて気にせずにそのまま駆けていく。
見られても止まる気なんてさらさらなかったが、幸い誰にも見つかることなく僕は花子ちゃんの部屋に来た。

部屋は見事に空っぽだった。
昨日の出来事が夢みたいに思える。

僕はその部屋に唯一残っていたくずかごに近づき、手を入れて全て取り出した。
中から出てきたのは、ばらばらに、明らかに人為的に引き裂かれた紙。
この文字には見覚えがある。

「あった、」

僕は、ばらばらの「手紙」をひとつずつ、ひとつずつ、つなぎ合わせて完成させていく。
見覚えのある文面が姿を現した。

それを見て、
僕はどうしようもなくやるせない感情に襲われた。


あの時、この手紙を最初に読んだとき。僕は、内容は普通だけれど、変な手紙だと思ったものだ。差出人不明の手紙。ばらくわさん。

違った。
内容は、ちっとも普通なんかじゃなかった。

僕は今、あの時と手紙を逆さまにしている。
この手紙は、本来こう読むべきだったのだ。



この手紙はきっと、彼女の家族、だった人から送られたもの。
そして彼女の異名は逆さまに読む、ばらくわ。「わくらば」つまり病葉。
一つだけ、異なる色をして他から弾かれた枯葉。

手紙の最初の一段落目だけが、本当のことば。

そこから先の逆さまの言葉は、すべて…本当とは逆のことば。


お前がいなくてみんな清々してる
連絡してくるな
二度と帰ってくるな



…腹が立つ。
つまらない遊びに乗せて、この差出人は彼女を地獄の底へ突き落としたのだ。
彼女がどんな思いでこの手紙を見ていたか。
想像するだけで僕は胸が苦しくなる。

花子ちゃん、ごめん。
手紙、また見ちゃったよ。
もちろん、誰にも言わないけれど
多分、忘れられないよ。


僕は潤む視界で繋げた手紙をもう一度崩して引きちぎり、もとのかごに戻した。






一気に僕の世界ががらりと変わった、
こんな日でもまた闇は世界を包む。
花子ちゃんと向き合って口づけて世界を見上げたあの時からもう、一日が経ってしまった。
こんな風に、きっとこれからも月日は流れていく。


ねえ、僕は君に、本当に欲しい言葉をあげられてたかな。
僕は、あれで間違ってなかったかな。
弱気な考えばかり浮かんでは、ふわり、宵に消えていく。


でも、
彼女が美しいと言った世界は消えない。
ずっと消えないで、僕と、どこかにいる花子ちゃんを繋ぐ。

僕らはこの美しい世界で繋がっている。今も、どこかで。



――左様ならば、

君と、この世界を歩くさ。


僕の長い夏が終わろうとしていた。

fin.
後書き


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