小説 | ナノ

「テストを、返却する。」

神妙な顔つきの土井先生の一言で教室が騒然となった。
順番に名前を呼ばれ、答案をもらった奴から苦笑いになっていく。それに伴って、土井先生の顔は沈んでいく。
ぼんやり観察していたら、突然団蔵が僕の後ろから首を出してきた。

「うひゃー。庄左ヱ門、相変わらず凄いな。」
「どれどれ…おお、本当だ。僕らの点数の4倍はある。」

団蔵の隣で虎若が感心したように言う。

「すごいなあ。」


みんなの言葉に込められた尊敬の気持ちに安心している僕がいるなんて、誰も気がついていないだろう。この教室に、妬みを含んだ目で僕を見てくる奴はいない。
だから、僕は安心してここにいられる。

「お前らもな、もう少し、がんばろうな。」
「「「「はーい。」」」」

気持ちいい程の笑顔。
僕は、焦燥感の欠片も感じない彼らが嫌味とかではなく羨ましいと思う。

所詮はないものねだりであって、僕らはそれをわかっていながら求めるのだろうけれど。


「あーあ、テストとか返してくれなくてもいいのに。乱太郎、しんべヱ、遊ぼうぜ。」
「きり丸、ごめん。私は保健委員の仕事があるからその後でもいい?」
「おう。そんなすぐ終わるのか?」
「くのたまの花岡さんに包帯を届けるだけだからすぐだよ。」

横でなされた会話に予想外の人物が出てきた。

「乱太郎、」

思わず、声をかける。乱太郎が少し首を傾けてこちらを見た。

「庄左ヱ門、どうしたの?」
「僕も、ついていっていい?くのたま長屋。」

僕のその発言に乱太郎は驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔で頷いてくれた。








「庄左ヱ門、花岡さんを知っているんだね。」
「うん、この間、少し話したから。」
「そっか、僕はいつも届けに行くんだけれど、話すのが苦手そうだからしっかり話したことないんだ。でも毎度毎度、丁寧にお礼を言ってくれるんだよ。」

無表情にお礼を言う花子ちゃんの顔はすぐに想像できた。
僕は、乱太郎に気づかれないよう、ひとり小さく笑う。





シナ先生に許可を貰って、僕達は花子ちゃんの部屋までやってきた。
「花岡さん、保健委員の猪名寺乱太郎です。」
「はい、」

するすると開いた扉から白い手が覗き、次いで無表情の花子ちゃんの顔が出てきた。
彼女は僕を見て、少し驚いたような顔をして、すぐに乱太郎に視線を戻す。

「いつもいつも、来て頂いてありがとうございます。」
「いえいえ。僕らの仕事ですから。これ、包帯です。」
「いただきます。」

やり慣れたやりとりなのだろう。流れるように受け渡しは終了した。

「それでは失礼します。庄左ヱ門、行こう。」
「乱太郎、先に行ってて。すぐに戻るよ。」

後ろから、彼女の視線を感じた。
乱太郎が笑顔で答える。

「わかった。じゃあ先に行くね。」

後姿を見送って、僕は振り返る。複雑な表情の彼女がこちらを見ていた。

「なに。」

その少し棘のある声を跳ね返すような笑顔で僕は言う。

「話に来た。」
「黒木くんと話すことなんて、なにもないよ。」
「この間のことで、気を許してくれるかと思ったんだけどなあ。」
「…」
「花子ちゃんが嫌じゃないなら、話そうよ。」




「…人のいない場所が、いい。」


少しの沈黙の後、小さく聞こえた言葉に僕はほっとする。
なんだ、冷静に振舞ってはいるけれど、結局僕は臆病なんだな。







「乱太郎がさ、花子ちゃんの所に行くっていうから、驚いたよ。」

選んだ場所は、木の陰だ。周りからは丁度死角になっていて分かりづらい。

「…猪名寺くんには毎度お世話になってるの。」
「いい人でしょう、乱太郎。」
「うん、私なんかに、優しくしてくれる。」

独り言みたいな呟きと一緒に彼女は頷いた。



「なんで、そんなに自分を卑下するかなあ。」

どうしても納得がいかない。僕はよくわからないけれど、自分を過小評価する彼女に苛々していた。

「花子ちゃんは何に怯えているの。」



「世界かな。」



僕が投げつけた言葉に彼女は真面目に返してきた。

「私には何もかもが怖いよ。」


なんの思いも汲み取れない彼女の表情。僕は、その言葉に何も返す言葉が見つからない。


「黒木くんは、怖くない?」
「怖くなくは、ない。でも、期待のほうが大きいから、そんなに怖くないよ。」
「そっか。」

花子ちゃんの横顔が茜色に染まる。もう日が暮れる。



「私もそうなりたいな。」

彼女の口から出た言葉は生ぬるい風とともに消えた。

「なれるよ。」

僕は力強く言った。
なんの根拠もなかったが、悲しそうな花子ちゃんに、どうしてもわかってもらいたかった。

「黒木くんなら、信じてもいいかも。」

それだけ口にして、花子ちゃんは初めて少し微笑んでみせた。




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