小説 | ナノ

窓枠の中の桜が、教室を彩る。
目を奪われた僕は、その場で立ち止まった。


「よっ庄左ヱ門。」
きり丸に頭を小突かれ、やっと我に帰る。
「や、」
軽く手をあげ、挨拶を返す。いつも通りの朝だ。そして僕はいつも通りの席に座る。
桜に見とれるなんて、らしくないな。そんなことを考えながら、忍たまの友の表紙に手をかけてひとつ、ページを開く。
――と、そこに一枚の白い紙が挟まっていることに気がついた。


今朝、拾った手紙だ。




そういえば、庭にぽつんと落ちていたものを拾ってここに挟んだのだった。すっかり忘れていた。
その手紙はきっちりと三つ折されており、丁寧な字が透けて見える。

さて、どうしたものか。

拾ったはいいが、何も考えていなかった。とりあえず、持ち主を特定しなければ。
許可なく中身を見てしまうことに後ろめたさを感じつつも、僕はそっと手紙を開いた。






ばらくわさん

夏の匂いのする季節となりましたね。お元気でしょうか。


こちらは何とか、やっておりますが、やはり貴女がいないと寂しくてどうしようもありません。皆、貴女の帰りを心待ちにしております。
帰省の際には文をくだされば幸いです。
では、いつでもお待ちしております。



・ ・
内容は、至極普通のものであった。
しかし宛名はわからないし、差出人に至っては何も書かれていない。
名前がわからないんじゃあ、探すこともできないじゃないか。
おまけに、最初の段落だけが逆さまなのだ。いったいどんな悪ふざけだ。

「庄ちゃん、眉間にシワよってるよ。」
「ああ、伊助。」
「また予習してるんだ。偉いなあ、庄ちゃんは。」

伊助は僕の手元の忍たまの友を見て笑った。僕も笑う。

不可解な手紙は、もう既にめくられたページの下だ。
あまり、人の手紙をおおっぴらにするのはよくないだろうしな。何も気づいていない伊助を前に、自分の冷静さに少し感謝した。


いっそのこと、落ちていた元の場所に戻してしまった方が良いのではないか、という結論に達した僕は、授業終わりに手紙を拾った庭に来た。
庭には、先客がひとり。知らないくのたまだ。
下を向いて何かを探しながら、あっちにふらふら、こっちにふらふら。見ていて危なっかしい。もちろん、こちらに気づく様子は微塵もない。

僕の頭の中で、彼女と手紙の存在がぴったりはまった。


「すみません、」

声をかけると、そのくのたまは大げさに肩をびくつかせ、ゆっくりとこちらを向いた。見たことのないくのたまの子だ。年は同じくらいだろうか。彼女は睨むような視線を僕に投げつけた後に視線を落としたかと思うと、僕の手元を見て目を大きく見開いてみせた。
そして僕が次の言葉を発する前に、僕の手に握られていた手紙を奪い取った。

突然の出来事に僕は、あ、と間抜けな声をだすことしかできなかった。彼女は手紙を奪い取ってなお、僕から視線を逸らさず睨みつけている。

「ああ、この手紙、君のだったんだね。実は今朝、ここで「見たの?」

彼女は僕の声を遮った。
僕は、さして動揺することなく言葉を返す。

「見てないよ。」
「本当に?」
「見てない。」

僕がそう答えても、彼女は僕を睨みつけたまま動かない。
そのうちに心に押し込めていた罪悪感が湧き出てきてしまったようだ。

「嘘、本当は見た。」
「…そう。」
「ごめん。名前だけ確認したかったんだ。」

彼女はそこで、ようやく僕から目を逸らした。

「お願いがあるの。」

一呼吸おいて、彼女が続ける。

「この手紙に書いてあった内容は、すべて忘れてほしい。」

無表情のまま、淡々と彼女は僕に言った。
突然の申し出に、僕は困惑する。

「盗み見しておいてこんなこと言うのも申し訳ないのだけれど、見たものを忘れるのは、すぐには無理だよ。」
「…」
「でも、僕が忘れるまでは絶対に人に言わない。これは約束する。」

今度は嘘じゃない。

「わかった。」

罵られることを覚悟していた僕は彼女が素直に納得したことに驚いた。

「…怒らないの?」
「怒る道理なんてないもの。」

相変わらずの無表情で当然のように彼女は答えた。

「…ありがとう、拾ってくれて。」

ああ、
この子は、やさしくて不器用なのだ。


「僕は、黒木庄左ヱ門。君は?」

僕の言葉を受けて、彼女は首を横にふった。

「苗字だけでも、名前だけでもなんでもいいんだけと…駄目かな。」

僕が食い下がると、彼女は少し逡巡し、小さく「花子…」と呟いた。そのまま、踵を返して行ってしまった。

僕は暫くその場から動けないまま、彼女の後ろ姿を見送った。


初夏の出来事だった。



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