小説 | ナノ

体がだるいと思っていたら頭もぼうっとしてきた。まずい、と考えた時にはすでに遅かったらしい。


気がついたら自室で寝かされていた。部屋には同室の子がいた気配はあるものの、誰もいない。
ああ、倒れたのか。皆には迷惑をかけてしまったなぁ。
まだぼんやりとした頭で考える。

あれから、私は浦風くんを避け続けた。浦風くんと会って目を合わせることが、怖い。真実を知るのが怖い。
私の勝手な期待をずっと持っていたい。
そんなわがままが、私の足を動かして、浦風くんから遠ざかった。

それでも思考だけは止められず、あの日のことを思い返しては悩んで。同室の友人に何度も心配された。
大丈夫、なんて言って。私の嘘つき。ばか。強がり。結局、大丈夫じゃないくせに。

自己嫌悪の感情がむくむくと膨れ上がる。気分が悪い。


寝てしまおう、と寝返りをうつと、天井から音が聞こえた。




「…誰?」


この軋みは、人だ。
上半身を起こして身構える。



「…俺だよ。富松だ。」

聞こえてきたのは、聞き慣れた声だった。



「作兵衛…くん?」

「おう。」


その声と同時に顔を見せ、すとん、と私の目の前に降り立った。


「倒れたって、聞いたもんだから。…大丈夫か?」

「うん、大分良くなったよ。わざわざ天井から来てくれてありがとう。」

「嘘つけ。おめぇそんな青白い顔して。大丈夫じゃねぇだろ。」

さらりとついた嘘は簡単に見破られた。

「…作兵衛くんは、すごいなぁ。」

本気の優しさに、わたしは弱い。特に、今みたいに体も心も弱っているときは。
だめ、泣きそう。

「…作兵衛くんって、本当の優しさを持ってるよね。わたしは、作兵衛くんみたいな優しいひとになりたい。」

そう言うと、作兵衛くんはどこか照れ臭そうにした。

「…優しさに、本当も嘘もねぇよ。相手が優しいと感じられたのなら、それは優しさなんだ。俺は、おめぇが、ものすごく優しい奴だって思ってる。それじゃあ、駄目なのか。」

予想外の言葉に、驚きを隠せない。そんな風に、作兵衛くんが私を見てくれてるなんて。じわりと嬉しさが滲み出す。だめ、だめだって。


「花子は、自分に厳しすぎると俺は思うよ。…なあ、なんかあったんだろ。俺じゃ相談相手にはなれねぇか。」


私に目線をあわせて、作兵衛くんはそう言った。
そんなこと言われたら、
そんなに優しくされたら、


作兵衛くんの顔が次第にぼやけ、私は顔を隠すように下を向いた。重力に耐えきれず、雫がぽたりと垂れる。

「…ふ、」


すべて、溢れてしまうよ。






全てを聞いた作兵衛くんは、わたしの頭に手をおいた。
「言ってくれてありがとな。辛かっただろ。」

「だめ、優しくされると、また涙、でる、からっ」

涙声でうまく喋れない。

「おーおー、泣け泣け。ついでに藤内のバカヤローって、叫んで泣いちまえ。」

「それは、むり、」

「なんで。」

「だって、浦風くん、は、ばかじゃ、ないもの、」

「お前どんだけ惚れてんだよ…いーや。馬鹿だね。無理やり接吻して、許婚悩ませて、泣かせて。まあ、おめぇも馬鹿だけどな。」

「うぅ…わかって、るよ!」

「いや、わかってねぇ。花子、そんなに藤内が好きなら叫んでこいよ。藤内、泣いて喜ぶぞ。」

「なに言ってんの?そんなわけないじゃない。私、浦風くんに迷惑かけたくないの。」

「鈍いんだよおめぇは。」

「だから、違うの!期待なんてしたって無駄だってわかるものっ!」

「だってさ。藤内。」


もう一度、天井から音がした。人影が見える。

まさか、


まさかまさか




「…作兵衛、いつから気づいてた。」


天井から現れたのは、今一番会いたいけど、会いたくない人。
今のわたしの顔はさっき以上に青白いに違いない。
どうして、


「おめーがここに来たときからわかったよ。自分の話が出てて、焦ったろ?気配隠しきれてなかったぜ。」

そんな会話も耳に入らず、私の頭のなかは「どうしよう」という言葉ばかりが往来する。


浦風くんに、わたしの気持ちがばれてしまった。

「花子、」

作兵衛くんの言葉にどきりと肩を揺らす。


「俺に感謝しろよ。」



何が感謝なの作兵衛くん。
私は、今はじめてあなたを優しくないと思ったよ。


それだけ言い残して、作兵衛くんは部屋を出ていく。作兵衛くんのばか。くのたまに見つかって、吊るされちゃえ。





「…花子、さん。」


何秒間かの沈黙が浦風くんの声で破られた。私は彼の方を向けず、視界に萌木色を入れるのが精一杯。
いやだいやだいやだ。今すぐ逃げ出してしまいたい。

「いやっ…何も、言わないで…」

「花子さん。お願いです。こちらを向いてくれませんか。」

その口調は酷く優しかったが、なんだか子供みたいな泣き言をぴしゃりと咎められた気分になった。

「花子さん。」

三回目の浦風くんの声で、観念した私はおそるおそる顔をあげる。
今までで一番近くで見る浦風くんがいた。

相変わらず大きな目と、整った顔立ちと掴めない表情に動揺する。お願い、静まって。


「…こうやって、ゆっくり二人で話すのは初めて、ですね。よく考えたら、可笑しいですよね。僕らは一緒になるはずなのに。」

浦風くんは、この間の接吻のことも、私の気持ちにも何も触れずに話を始めた。
私は、何も返せない。

「ねぇ、花子さん。僕と貴女は、きっともっと二人で話すべきでしたね。」

浦風くんが私に笑いかけてくれている今の状況が、馬鹿だと思いながらも嬉しくて嬉しくて。


「まずは…僕、やっぱり花子さんに謝ります。いきなり、その、接吻して本当にごめんなさい。」

「あ、いえ、」

「…そのせいで、貴女を苦しめてしまったことも。」

浦風くんが悲痛な顔をする。
そんなに、優しくなくていいんだよ浦風くん。むしろ、突き放してくれた方が嬉しいよ。
難しいな、優しさってなんだろう。優しさって綺麗なもののはずなのに。優しい人に、私もなりたいはずなのに。こんなに優しさが辛いなんて。


「…優しさ、なんて結構です。」

突然の私の言葉に、浦風くんは目を開く。

「聞いていた、でしょう。私の気持ち。突き放すなら、突き放してください。謝罪だとか、同情だとか、そんな優しさは…酷です。」

気持ちを投げつけたことへの後悔は思っていたよりもなかった。むしろ軽くなったくらいだ。それだけ自分で思いを抑制していたのだと、他人事のように考える。

そるでもぴりぴりとした痛みは依然として胸の辺りでくすぶる。


「違うよ。」

「違いません。浦風くんが優しさだと思っても、それはこちらにとって罵倒みたいなものなんです。」

「いや、そういうことではなくて…参ったな。」


もうここまできたら、どうにでもなれ
。浦風くんに何を言われたってもういい。それで諦められるのならもうけものだ。



ふわりと、
かぎなれない匂いが香った。
背中に、温もり。視界に自分のものではない、腕。

「僕は、花子さんが好きなんです。まだ、伝わりませんか。」


自分に都合のいいような展開になぜか恐ろしくなった。

「浦風くん、」

「はい。」

「が、私を、好き?」

「…はい。」

「なんで…?」

「え?なんで、と言われても。花子さんは僕が好きなんでしょう?それと同じです。」

「ほ、ほほほんとに?じゃあ、浦風くんの許嫁で、いていいの?私は。」

「いていいも、何も。いてくれなければ、僕は嫌ですよ。」

浦風くんの口からでる、甘すぎる言葉にくらくらする。
浦風くんの髪と体温を感じて、浦風くんの胸の鼓動を感じて。溶け合えるかもしれない、なんていう非現実的なことを考えた。


「…ああ、きちんと、告白の流れを考えてきたのに。花子さんが優しさなんて結構です、なんて言うから…焦ってわけもわからず言ってしまいました。」

「だって、絶対に許嫁解消されると思ったんだもの。ごめんなさい。」

「そんなわけ、ないでしょう…。許嫁を解消されることをずっと恐れていたのは僕も同じです…。」


二人でそれだけ言うと、不思議と笑いが漏れた。


「いつから、ですか?」

「…花子さんこそ。」


浦風くんが、照れ笑いをする。
私が幸せのなかで笑う。


ここから。
たくさんたくさんお話をしましょう。

あなたとの関係を
やり直しましょう。




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