小説 | ナノ

「作兵衛くん作兵衛くん」
「おぅどうした花子。」
「なんかね、くのたま長屋の床にも壊れているところがあったみたいなんだ。またあとで、直してもらえる?」
「あー、いいんだけどよ。またくのたま長屋か…」
「あっ、大丈夫!私作兵衛くんの許可取ったし念のためそばにいるから。」
「悪りぃな。助かる。」

そう言って作兵衛くんはくしゃっと笑う。気持ちのいい笑顔だ。私もつられて笑う。



三日前に起きた、体育委員のバレーボール事件が原因で作兵衛くんと知り合った。
七松先輩がアタックしたボールがいくつもくのたま長屋へと飛び込んだのだ。
その一つがちょうど私の部屋を直撃したことがことのはじまりだ。それにより扉と床に大きく穴が空いてしまった私の部屋。呆然としていたところに飛んできたのが、用具委員の富松作兵衛くんだった。
私の部屋を見るなり作兵衛くんは顔を真っ青にして、頭を地面に擦り付けながら20回ほどごめんなさいと許してくださいを繰り返した。

七松先輩のせいなのに代わりに謝る彼が不憫で、怒ってない旨を伝えたところ物凄く有り難がられた。気の毒になったのを覚えている。

そして彼はなれた手つきで私の部屋を修繕してくれたのだ。なかなか酷い崩壊っぷりだったために時間はかかったが、作兵衛くんが修理をしてくれている間、私たちはずっと話していた。

「俺は作兵衛でいいからな。花子。」
「ふふ、わかった。作兵衛くん。」

そんな会話までできるほど。たったその数時間だけで私たちはずいぶん仲良くなった。私はこんなに気の許せる男の子に出会ったのは初めてかもしれない。
それくらい彼は私のなかにすうっと溶け込んでいったのだ。




時間通り、約束の待ち合わせの場所に行くと、まだ作兵衛くんはいなかった。
大きな木の下に寄りかかる。
作兵衛くんは毎日毎日、方向音痴の友達の世話が大変だとげんなり話していたことを思い出す。きっと、友だちを探したりして遅れているんだろう。

上に組んだ手をのばして、ん、と伸びをする。その時木からはらはらと葉っぱが落ちてきた。

「作兵衛くん?」

上を見上げながらそう尋ねる。見覚えのある、三年生を示す忍たまの萌木色の装束。
しかし、そこにいたのは予想していた人物ではなかった。

「悪いけど…僕は作兵衛じゃないよ。」

さらりと垂れる黒髪。
はっと息を飲む。

「…浦風くん、」

浦風くんはすとん、と木から降り立ち、私のすぐ前に立った。
心臓の鼓動は驚きから興奮に変わっていくのが分かる。

真正面で浦風くんを見たのは初めてだ。無表情にこちらをじっと見つめてくる。
その時間はずいぶん長く感じられたが、一瞬だったかもしれない。


「花子さんは、僕の許嫁じゃないの?」


沈黙を破ったその言葉で喉が冷たく凍った気がした。

浦風くんにとって、ただの許婚でしかない私に。他の男と間違えられるなんて屈辱を味わわせて、ごめんなさい。違うんです浦風くん。作兵衛くんは昨日仲良くなった友だちなんです。ほら、作兵衛くん、用具委員だでしょう?私の部屋を直してくれたんです。
ああ、…違うんです。名前で呼んでるのも、他意はないんです。説得力なんて欠片もないですが、本当なんです。
だって、だって私は、あなたが、


心のなかでいくら叫んでも、私のこえはとどかない。

浦風くんの手が私の肩に乗る。
私が思わず体をぴくりと揺らすと、浦風くんがはっとして手を引っ込めた。

「…ごめん。」

ううん。違うよ浦風くん。
謝るのは私の方なんだよ。そんな浦風くんに辛そうな顔させたくないよ。
浦風くんの手がのせられた肩が熱い。

「花子ー」
作兵衛くんの声が聞こえる。浦風くんはなにも言わずに走っていってしまった。

「ごめんな、遅くなって。…今の、藤内か…って!!花子!?どうした?」
「え、」
「なんで泣いてるんだ。」
え、

頬をさわると、指先が濡れる感触があった。ああわたし、泣いているんだ。
「…藤内になんかされたか?」
「…ち違う!!」

思わず勢いよく叫ぶ。はっとして作兵衛くんを見ると目を見開いている。

「ごめん、」
「いや、気にすんな。」

そう言って私に手拭いを出してくれた。
「ほら、泣いてねえで。行くぞ。」

わたしの好きな笑顔。
優しいよ作兵衛くん。あなたの優しさはきっと本当だよ。
私も、決心をつけなければ、

そうして私は一歩踏み出した。




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