小説 | ナノ

ご飯をはやめにすませ、落ち着かない体を連れてシナ先生のもとへ向かうことにした。落ち着かない時に重大なことを済ませてしまおうかと思いたったからだ。我ながら今日の行動力は素晴らしい。明日は自分をうんと甘やかしてあげたい。きっとそれくらい今日は体力を使う日になる。

「失礼します、花岡です。」
「どうぞ。」

迎えてくれた先生の表情はやわらかく、きっと固い私の顔とは正反対だ。整理された先生の部屋は限りなくものが少なくて、会話を邪魔をするようなものは何も無かった。

「先日の答えかしら?」
「はい。先生、私、」

いよいよ何も拒むものはないのだ。はじめから誰も何も拒んでなんていなかったけど。私の殻はわたしが作った脆いもので、それでも最後の抵抗をするように私の体を震わせた。そんななけなしの弱さを持っていたこと、忘れないでいたい。

「卒業したら家を出ます。忍者をめざします。」

シナ先生の表情はぴくりとも動かず微笑んでいる。口元がすこし動いた。「そう。決めたのね。」美しい所作。この人は、先生より先に忍者なのだと改めて当たり前のことに気づく。私のことを「忍者に向いてないとは思わない」と言った先生の言葉は、なんの疑いもなく響いていた。私もこんな風に優しくて、美しい人になれたら。



*



蔵へ向かうとき、タイミングよくタカ丸さんも歩いてくるのが見えた。片手を上げて見せれば、タカ丸さんがあごを引いた。ふたりの距離が近づいてきて、いよいよ繰り出そうと開いた口が何か冷たいものでふさがれる。

「喋らないで」

それはタカ丸さんの手だった。びっくりして見上げたタカ丸さんの顔は、不安定を表情にしたような弱さをあらわにしていて。私はそこで動けなくなった。

「花子ちゃんは本当にうるさい。わずらわしい。イライラする。邪魔しないで。」

脈絡のない言葉がずるずると続くのを、黙って聞いた。タカ丸さんは私をまっすぐに見ていた。私もその目から逃げられるはずはなくて、逃げる気も全くなくて、至近距離で見つめあった。当然そこには甘い雰囲気なんて微塵もない。私の体は緊張からか、小刻みに揺れている。ぶつかる視線の間では、私の弱さとタカ丸さんが抱いているだろう不安と恐怖、ふたつが不安定な関係で垂れ下がっている。つかめそうな何かもすぐそこにある。

「僕の下僕になれないなら、何もしてこないで。干渉しないで巻き込まないで。僕に何かを見出そうとしないで。たしかに僕は花子ちゃんの好きにしてとは言った。けれどそれは僕のいないところにして。僕はどこにも巻き込まれたくないし、僕の意思のないところで生きるのは嫌だ。毎日毎日、干渉に目まいがするのを堪えて生きてるんだ。僕は孤独だよ。僕の自由は孤独ととなりあわせ。でも別にそれでいいし、それがいいんだ。」

一気にしゃべるタカ丸さんの口はゆったりした空気を忘れたように忙しく動いていた。放出される感情の勢いに体が追い付かず、焦りがぼたぼたと流れているようだった。その流れが一度止まったのを見計らい、こちらも口を開く。

「だったら最初から、私を巻き込む必要なかったじゃないですか。一人で鬱蒼としていればよかった。タカ丸さんなら、本性見られたっていくらでもごまかせたはずです。でもあの時どんくさい私をパートナーに選んだのはタカ丸さんでしょう。」

タカ丸さんへの遠慮なんて自分の部屋に置いてきた。もう私はタカ丸さんの下僕ではなくなったのだ。だからこそ今、同じ目線に立ってこの人に言葉を投げられるのは、自惚れでなく私だけだ。だから私がやるんだ。私が一番、タカ丸さんが必死に隠している真ん中の部分に近いところにいるはずだから。

「干渉しないでなんて今更すぎますし矛盾してます。誰かと話したければ話せばいい。嫌だったらそう言えばいい。みんなやってる、簡単なことですよ。勝手に自分で自分の意思を殺して、下を向いているのはタカ丸さんじゃないですか。そんなちっぽけな世界でめまいを起こして辛いって、バカなんですか?」

この人と、私は本音で、話がしたいんだ。

罵倒が来るかと思ったが、タカ丸さんは怯んだように押し黙る。そのまま言い返すスキは与えずに私は続ける。

「タカ丸さんから見れば私は孤独とは無縁で、なんの苦労もなく日々を生きている頭の悪い女かもしれないです。そんな普通の自分に嫌気が差して、ぐだぐだ言うのは、なんて贅沢なことだろうって今は思います。けど、私最近になってやっとわかったことがあります。そういう普通とか、埋もれてよく見えていないものとか、一見わずわらしいものに、知らないところで救われているんですよ。どこかで拒絶しながらも、求めているんですよ。みんなそうだと思います。」

興奮気味だった自分を落ち着けるように一呼吸置く。タカ丸さんは、見慣れない顔で私を見て、変な表情で笑った。

「…こんなに喋る花子ちゃんを見たのははじめてだ。まさか花子ちゃんにバカ呼ばわりされるなんてね。」
「一応、覚悟決めてきましたので。」
「圧倒されたというか呆れたというか、もはや声も出ないよ。」
「私、タカ丸さんとの関係を信じてますから。」
「しつこい女だねえ、キミも。」
「ええ自覚してます。でも私をひっぱり上げてくれたタカ丸さんと、どうしても歩み寄りたいんです。だからひとつ教えてください。」

力の抜けたようなタカ丸さんの顔。あきれながらも私の話に耳を傾けてくれているのがわかる。そうかこの人は、こんな顔もするんだ。

「タカ丸さん、さみしいんじゃないですか。孤独を好みながらも、孤独をどこかでつらく思っているんじゃないですか。教えてください。話してください。聞きたいんです。タカ丸さんの口から。タカ丸さんの言葉が聞きたいです、私。」

言い切ったら何故か涙がたまって、景色がふやけだしていた。今はタカ丸さんの孤独に寄り添っていたい。未来が、私の将来がどんなものであっても。明日がどんな風になっても。それでも今は。
張りつめた空気にため息が降り立つのを感じた。にじんだ光のせいで、タカ丸さんがどんな顔で「わかったよ。」と言ったのかはわからなかった。




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