小説 | ナノ

逃げる猫と追いかける彼。それがわたしと笹山くんの出会いだった。

前々から学園の周辺に猫が住みついていることは知っていた。お使いの帰りに歩いている猫を偶然見つけたのがはじまりだ。野良のくせに大人しくて可愛かったので、こっそり家から送ってもらうお菓子の残りをあげ始めてはや一ヶ月。今日もいつものように、その猫が食べられそうなものををみつくろい、きっちり出門表にサインして門を出た。
そこで冒頭の光景に出会う。

「おい!待て!」

猫に人の言葉はわかるはずもないのにご丁寧に猫に呼びかけながら、ものすごい勢いで猫を追いかける忍たまがいた。あれは一年生の、からくり好きで有名な笹山兵太夫くんである。彼の噂はよく聞くので、地味なくの一のたまご略して地味たまのわたしですら彼を知っている。
対して猫はというと遠目でわかるほど怯えていた。毛を逆立てて泣き叫びそうな顔をしており、いつものふてぶてしい面持ちはどこへやら、である。いまいち状況がわからずぽかんと間抜け面をしていると、突然わたしと猫の目が合った。そしてわたしに気がつくや否や、全速力でわたしに向かってくるではないか。いつも素っ気ないフリしてしぶしぶお菓子を食らうくせにこういう所があるから猫は憎めない。そして猫は素早くわたしの後ろに身を隠した。
そこで笹山くんは恐らくはじめてわたしの姿に気がついたのだろう、怪訝そうな顔をした。目鼻立ちの整った顔に歪んだ表情は彼の悪名高い噂とバッチリ合っている。

「…誰?」
「ですよね!」

当然モブ位置のわたしなど笹山くんが存じ上げているわけがなかった。野良猫に餌をやっていた、地味たまAまたの名を花子といいます、という趣旨のことを簡単に説明すると、彼が更にシワを深くした。何故か自己紹介しただけで逆鱗に触れた。

「あの猫、なんでお前は懐かれて僕は逃げられるんだよ。」
「さ、さあ…」

えへへ猫社会にも笹山くんの悪行が広まってるんじゃないですかね〜〜などと言ったら隠し持ったカラクリで瞬殺されかねないとわかっていたので間違ってもそんなことは口にせず大人しく苦笑いした。笹山くんそろそろ猫に興味なくして去ってくれないかな…そう思いながら視線をすこし落とす。すると、彼の手元には紙にくるまれたニンジンがあった。この人ニンジンで猫を餌付けしようとしたの…?しかもコレ今日のお昼に定食で出たニンジンだよ…絶対この人おばちゃんの目を盗んで自分の嫌いなニンジンを包んだ挙句証拠隠滅のために猫を利用しようとしているよ…悪いヤツや…真っ黒やこの人…

「お、おばちゃんの料理を残した挙句、猫にニンジンを押しつけるんですか…?」

精一杯の正義感をふりかざし怒りをこめて喚いた声は、しかし頼りなく震えた。しかも足ガックガク。わたしは生まれたばかりの子鹿か。けど犬よりどっちかっていうと猫好きのわたしとしては、この猫ちゃんを守ってあげなきゃいけない気がするんだよ…ってアレ?わたしの後ろに泣きそうな顔で逃げてきた猫ちゃん見当たらないんだけど…なんかわたしが持ってきたお菓子の包み紙しか転がってないんだけど…?アレレー?

「へえ…いい度胸だね。僕にそんな暴言を吐くなんてすごいよね。」

あれ?目の前でとっても綺麗な笑顔を向ける笹山くんがいる。もうなんか禍々しいオーラが尋常じゃない笹山くんがいる。常識的に考えてもう人じゃない。なんかもう本能的にひれ伏すしかないと判断したわたしは、猫のことなどすっかり忘れて地面にしゃがみこんでいた。

「すみませんでした…出過ぎた真似をしました。笹山さまに向かってヒドイことを口走ってしまって…お詫びの言葉もありません…」
「いいんだよ、別に僕は。何を言っても花子さんの自由だしさ。ただし僕が仕返しに何するのも自由ってことだから、わかってるよね。まあ花子さんがさあ、僕のカラクリの手伝いをする下僕になりたいっていうなら処遇も考えるけど。」
「あ、あああの、お手伝いでしたら、ぜひやらせていただきたいなーって思うんですが〜」
「ふーん、そう?やりたいっていうなら、仕方ないなあ。手伝わせてあげるよ。」

僕って優しいから。そう言う笹山くんの笑顔は、よくある悪人面とは程遠く、見とれてしまうほどきれいだ。もう少し悪人のようにゲスっぽく振る舞ってくれたら次から次へと文句が湧いてきそうなのに、不遜なことを軽々しく口にする隙すら与えてくれない。美しすぎて恐ろしい。わたしは気を落ち着かせるためにゆっくり息を吐いた。

「猫好きだったんですか?」
「別に?ただ暇つぶしが欲しかっただけ。手に入れたからもういいけどね。」

そう言う笹山くんも、やっぱり美しかった。そうか笹山くんの美しさは悪行に支えられてできているのか。わたしみたいな地味たまが笹山くんの美しさの核に触れられるなんてこと、普通はできない貴重なことなんだよな。そんな風に現状をねじ曲げて正当化してしまえる力が笹山くんの笑顔にはある。

「学園戻んないの?もう日暮れるけど。」
「あっす、すみません!」
「どんくさ。」

ため息をつきながら、けれどわたしのために門を開けてくれる笹山くんの指先をみた。男の子だけど細くて、綺麗な手だ。

「お前明日から、食堂ではできるだけ僕の隣に座ってよ。」

含み笑いをした笹山くんが目を細める。笹山くんがわたしにみせてくれる美しさが恐ろしくて体が誇張ではなく震えた。尋常じゃないほど心臓がバクバク鳴っているのは恐怖であって欲しい、と思う。

(RKRN書き出し縛り企画さま提出作品)
にんじん嫌いな笹山くんの下僕

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