小説 | ナノ

窓を叩く雨音で目が覚めた。頭が重い。
これだから雨の日は嫌いだ。水音がわたしの静けさの邪魔をする。重苦しい空間に深みを添えようとするうえ、思考にまで雑音を加えるから質が悪い。


気だるい全身を連れて二階から下へ降りていくと、台所には数馬がいた。「おはよ花子ちゃん。」そう言って電気ケトル片手に簡単に笑顔を振りまく姿を見ると、さっきまでの嫌な気分がぶり返す。返事をする気にはなれず、わざと聞こえていないふりでその場を通り過ぎることにした。

「紅茶、飲む?」

なのに数馬は何も気にせず声をかけてくる。至近距離で問われた疑問には返すしかなく、できるだけ素っ気ない調子で「うん。」とうなずいた。

「雨降っちゃったね。」
「そうだね。」
「おばさんはもう出かけていったよ。今日は少し遅くなるから先に食べてって。」
「…知ってる、昨日聞いたから。」
「そっか、それならいいんだ。あ、これ花子ちゃんの分のオムレツだよ。」

それも、見ればわかるよ。
数馬といると余計に気分が悪くなる気がして、スリッパを床に叩きつけながら洗面所に向かった。こんなふうに感情を扱えず物に当り散らしているわたしの姿は、世間から見れば年相応で生温い視線の対象になるんだろうか。馬鹿みたい。くだらない。年相応なんて本当、くだらない。
適当に寝癖を整えてリビングへ戻れば、数馬は何も知らないような顔をしてわたしへ笑いかけてきた。わたしの気持ちはまた沈みだす。無言でついたテーブル上にはレタスとトマト。それから綺麗な楕円のオムレツ。その横で、数馬が淹れてくれた紅茶が湯気を立てている。

従兄弟の数馬がうちに来てから、もう二ヶ月経った。
三反田家の引っ越しに付いていかなかった数馬が、高校に通うためにわたしの家に居候する。その話が上がった当初は大反対した。同い年で異性の従兄弟が同じ家で暮らすなんていう状況は、わたしにとって耐えられない屈辱だったからだ。当然わたしが大反対したところでそれは誰にも受け入れられず、今となっては、ただ数馬に嫌な思いをさせただけの主張となったけれども。

「今日、僕委員会があるから夕御飯作れないと思うんだ。だから、」
「いいよ。わたし用意するから。」
「ありがとう。」
「べつに。」
「…あのさ花子ちゃん。」
「…なに。」
「えっと、花子ちゃんは僕が出ていかない限り、前みたいに接してはくれないのかな。」

かちゃかちゃと金属と陶器が触れあう冷たい音が響くなかで、ぼそりと落とされた灰色のシミはわたしの頭に冷たく広がってさらに重量を増やす。
別に数馬ともともと仲が悪かったわけじゃない。ただ物理的な距離が突然近くなって、見えるものが多くなったから必然的に感じるものも増えた。そうしたらそれまで普通だったはずなのに、言葉の力加減がわからなくなった。数馬との距離感がどんどん掴めなくなった。

「高校生になったのに前みたいに話すこと自体がもう無理な話、とは思わないんだ。」
「前みたいに、というか。花子ちゃんには自分の家で自然体でいてもらいたいから。」
「数馬がいる限りそれは無理。」
「そっか。」

その受け答えで伝わる居心地の悪さは、まるで今日の朝を思わせる。
数馬がいる限りそれは無理。
だって数馬の存在でわたしの気持ちは簡単に揺すぶられてしまうし、自分のふるまいに余計にイライラしてしまう。数馬のおっちょこちょいが過ぎて迷惑は被るし、その責任すべてを背負いこんで笑う気丈な姿勢を見る度せつなさに襲われる。その瞬間にわたしは、ワガママで壁を作ったみじめな女子高生になる。

「ほんと数馬は雨みたいにじめじめしているよね。」
「晴れ男が憧れなんだけど…それに否定はできないなあ。」
「でもそのままでいいんじゃない。ジメジメとしながら誰かの運ぶ晴れでも待ってれば。」
「うん、きっとそれくらいが僕にはいいんだよね。」

ああ、また伝える言葉を間違えた。それに気がついて強ばったわたしの顔をほぐすように数馬は笑った。いや、数馬の笑顔は本当にほぐすのだ、凝り固まった無知なわたしを。

鬱陶しい雨は未だに止まない。けれどわたしはきっと、数馬がこの家を出ていく時になれば大反対をするんだ。わたしの世界を侵すこの水の粒は、雨上がりの葉にたまる雫になって、くやしいほどきれいに輝くから。
おそらくそれだからわたしはこんなに切ない気持ちになる。その美しさを知らなければ苦しくなかった。こんな切ない感情知らなければ胸を痛めることもなかった。…けれどその尊さを知る自分だけは、誇らしいと思ってる。

「…わたし朝はコーヒーの方が好きなんだけど。」
「あれ、そうだったの?」
「まーでも紅茶も、たまにはいいね。」
「うん。ありがとう花子ちゃん。」
「…なんで。」
「僕がそう思ったから。」

なにそれ。ぜったいに変。そんなんじゃ数馬はわたしのワガママに食いつくされるのに。なのに、なのにどうして数馬は、わたしと向き合うのを避けないんだろう。
擦れる食器の冷たい音に乗って、暴かれていく愚かさの渦がわたしをさらに深く落とし込んでしまえばいい。そう思う一方、どこかでわたしは引き上げてもらうことを望んでいる。数馬がすべてゆるすように笑ってわたしの手をひいてくれるんじゃないかっていう、重たい泥みたいな期待を捨てられないでいるんだ。

所詮いつかで破錠する生温い日々だと、世間なら笑うんだろう。未来のわたしだってきっと笑う。それでもこのわずかな永遠だけはみじめなまま数馬を想っていたいなんていう、これはくだらない不格好な恋の話。雨音はまだ、ずっと止まない。


(RKRN書き出し縛り企画さま 提出作品)
雨にわがまま

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