小説 | ナノ

「なあ、…まだ奥にいくのか?」
「行くよもちろん。行かなきゃつまらないもの。」

バッサリ言いきれば、左近はいかにも嫌そうにためいきを吐いた。眉間に深いシワをつくり、青白い顔で視線を墓石の間にさまよわせているくらいだから本当に嫌なのだろう。眼前に広がる真っ暗闇の墓地にはまだ線香の香りが漂っていて、静けさに雰囲気を添えている。わたしはわざとらしくいじわるな顔をした。

「左近、こわいの?」
「この奥、行きたくないし、行かないほうがいい気がする。嫌な感じがするんだ。」

左近の指さす暗闇の奥は何も見えず、確かに怖そうではある。でもあいにくわたしには地球上に怖いものなんてほとんど存在しないのだ。

「だいじょうぶだよ。」
「何を根拠にその言葉が出てくるんだよ。」

「だって左近が犠牲になってくれそうだし。」
「いやいやそういう問題じゃない。ふざけんな。」
「わたしまだ帰りたくないもの。」
「もう真夜中だし僕は怖い。ほらはやく帰ろう。」
「もんどうむよう。」

左近の訴えをことごとく無視して、進行方向へおもいきり繋がれた左手をひっぱった。けれどその手はわたしの力でぴくりともしないほど、重くて冷たくて。わたしはその場につんのめって転びそうになる。左近の行動にむっとして、文句を言うべく振り返れば彼の真っ黒な双眼にばっちり捕えられた。

「さっきから怖いんだって言っているだろ。だから行かない。花子を危険な目にあわせられないから。」

左近の声は冷たくてちっともふるえていなくて、でもなんともいえない悲しい響きだった。その冷たさにわたしの喉の方がふるえだしてしまうくらいだ。異様なおそろしさが喉を刺激して、わたしの声をふさごうとする。おもわず右手で喉元を抑えた。

「い、いくじなし!!わたしのことくらい左近がまもってくれるでしょ!わたしのぶんも、不運になってくれるでしょ!」

わたしの手につながれた左近のつめたい手は、いつの間にかもう軽くなっている。ぶらんぶらん、頼りなく上下するわたしたちの繋がりに目線を落とした左近が、踵を返してわたしを元の道へ連れていこうとする。違う、わたしが行きたいのはそっちじゃない!左近、わたしは左近に会いにきたんだ。

「 あっち、戻ろう。はやく帰らないと。」
「帰るって、どこに帰るのっ!」
「そりゃー花子の帰るところだろ。」
「じゃあ、左近も、いっしょに帰ろう。」

冷たい手の感触が強くなる。もうその問いの答えはわかっていて、まぶたから涙がこぼれた。答えがわからないくらい馬鹿じゃないけど、馬鹿にならずにはいられない。無茶なことを言ったわたしに、呆れたような左近の笑顔がまぶたの裏にこびりついて別れの言葉を紡いだ。その直後。わたしの右手にはなにもなくなった。



そうしてリンリンと虫の泣く暗い街灯の続く道を、わたしは泣きながら一人で帰る。
左近がいなくなった日に、わたしの怖いものは左近がぜんぶもっていった。だから暗闇より幽霊より、わたしは空を切る右手のひらのほうが、ずっと怖いのだ。
線香の匂いは遠ざかっていく。今年のお盆も、もう終わりなのだ。

わたしのいちばんこわいもの



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