僕は、いつの間にか3年生になっていた。あの滝夜叉丸先輩が最高学年になったということだから、時間がたつのは早いと感じる。
3年の期間は着実に僕を成長させているらしい。それは剣術の腕はもちろん、考え方も。
「喜三太。ここにあった俺の上着、知らないか。」
「あっ、ごめん金吾。ナメクジさんが金吾の上着の上に這っちゃって。洗っちゃったの。すぐ使う?」
「いや、あるならいいんだ。別に、洗わなくても良かったのに。」
「はにゃ〜。僕のせいだからね。そのくらいやるよ。」
一年生の頃だったら、そんなこと言わなかっただろうに。喜三太のナメクジ愛は相変わらずだが、それでも行動が変わった気がする。
今となっちゃ僕もナメクジの跡なんて全く気にしないのだけれども。
変わっていくことは、なんとなく寂しいことだ。それは、誰もが感じるのだろう。それでも、同じところで僕らはとどまるわけにはいかない。
最近、花岡先輩に会っていない。
2日に一回は会っていたのに、最近先輩がぱったりと姿を見せなくなった。偶然だと思ったが、さすがに二週間姿を見ないと心配になる。
それでも僕は先輩と約束して会っていた訳じゃない。それだからこんなとき、何処に行けば先輩に会えるのかわからない。
困った僕は考えたあげく、保健室にへと向かうことにした。
「失礼、します。」
「はーい、」
静かに保健室に入ると、目当ての人物がいた。
「川西先輩…」
「ああ、金吾か。どっか怪我したか。」
「いえ、聞きたいことがあって。」
そう僕が言うと、川西先輩は作業をやめてこちらに体を向けた。
「花岡のことか。」
川西先輩の口から先輩の名前が出て、思わず動揺する。
ああ、川西先輩は、知ってるのだ。
「はい。お願いします、教えてください。最近、花岡先輩が…見えないので。…何かあったんですか。」
真っ直ぐ先輩の目を見る。川西先輩はふっと目をそらし、一呼吸おいて口を開いた。
「…花岡の弟が亡くなったんだ。」
じりじりと太陽が照りつける。陽炎が地面を揺らす。
詳しいことはよくわからないが、花岡先輩の弟は、戦に巻き込まれたらしい。先輩はその関係で一週間程家に帰り、今は学園に戻ってきているそうだ。
「こんなときでも、あいつは誰かに泣きつかないんだよ。」
最後の川西先輩の言葉が頭にこびりついている。
花岡先輩、
きっと今、一人で溢れそうな感情と戦っているんでしょう。
やはり、僕は頼れませんか。
僕の足はいつのまにかくのたま長屋へと向かっていた。目に入った桃色のくのたまに声をかける。
「あの、言付けを、お願いできますか。」
「…はい、何ですか。」
「四年の花岡花子先輩に。皆本金吾が、会いたいですと言っていたと…伝えてください。」
くのたまは訝しげな視線を向けていたが、頷いて長屋へと入っていった。僕はふう、と一息をつく。我ながら思いきったことをしたなと思う。後悔はないけれど。
帰ろう思いと踵を返すと、「待って!」という声が聞こえた。振り向くと、先程のくのたまだった。
「花岡先輩に、あなたを連れてくるように、言われました。了解はとってあります。…来てください。」
「…はい。」
まさかすぐ会えるとは思っていなかった。やっと、会える。嬉しさと期待と、不安が入り交じる。
失礼します、と言って部屋に入ると、布団から上半身を起こした花岡先輩と、その傍らに山本シナ先生がいた。
久しぶりに見た先輩は、少し痩せたようだった。それでも、こんなときでも先輩は笑顔で、「金吾くん、久しぶり。」と言った。その声はやはり力ない。
「私は席をはずします。…金吾くん、花岡さんをお願いね。」
シナ先生の言葉に頷く。部屋に花岡先輩とふたり残される。
「いやー、体調崩しちゃったよ。何か悪いものでも、食べたかなぁ。…なんか、弱ると寂しくて。話し相手に…なってくれる?」
花岡先輩。
僕を選んでくれて、嬉しいです。本当嬉しいんです。
でも、違うんです。
僕が望んでいるのは、先輩の望んでいるものと、違うんです。
僕が、変化を望まないならば
先輩に変化を突きつけないならば
僕は、
代わり
になれたでしょう。
でも、ごめんなさい。僕は自分勝手なのです。
「すみません。川西先輩から…弟さんが、亡くなったと聞きました。」
先輩の顔が、みるみる青くなる。
「僕が、無理矢理聞きました。川西先輩は、悪くありません。」
先輩の口が震え、目に涙が溜まっていく。ごめんなさい、ごめんなさい先輩。
でも、僕は、先輩がただただ好きな、皆本金吾なんです。
「僕は、花岡先輩の弟さんにはなれません。」
先輩の瞳から涙がこぼれた。
それを合図に、嗚咽が漏れ、花岡先輩は僕の膝の上で泣いた。今まで溜めてた思いを全て吐き出してしまうくらい大声で、泣いた。
ついに僕は、先輩に自分の思いをぶつけて、しまった。それはそれは、僕が先輩に向けているすべての思いからすれば微々たるものだったけれど。
一歩を、踏み出してしまった。
きっと、僕と花岡先輩の関係はこれまでと同じには決してならないのだ。
今の僕は、泣き崩れる先輩にたやすく触れることもできない。
「もっと僕を、皆本金吾として、頼ってはくれませんか。僕は…貴女の力になりたい。」
泣き続ける花岡先輩に届いているかはわからないが、必死に思いを言葉にする。
本当に僕はひどいやつだ。僕のエゴで、苦しんでいる先輩に追い討ちをかけるようなことをした。
せめて、今先輩の辛さを半分でもわかってあげられたらいいのに。
そう思いながら僕は何もできないまま、拳を強く握った。
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