小説 | ナノ

久しぶりに、あの夢を見た。
わたしは近くに感じる幸せの温もりを掴もうとするのだけれど、なかなか掴めない。すぐそこにあるのに、どうして。そう躍起になっているうちに、わたしはいつの間にか後ろに回されていた大好きな温かさに気がつく。

振り向くところで目が覚めた。

眩しい朝の日差しを受けながら、まるで少女漫画だなと冷静に夢の記憶を見つめる。しかもいざ夢から覚めると、幸福の記憶以外がどんどん頭から抜け落ちていってしまう。結局最後に残ったのはあたたかさのみだった。
そこでため息を吐かなかったのは、待ち合わせ時刻が30分前に迫っていたからである。どうやら目覚ましをかけ間違えたようだ。こんなところまで少女漫画に従順である必要はないと思う。

あわてて最低限の身支度を済ませ、食パンをくわえるのは悩んだあげくやめ、部屋を飛び出した。すると隣の部屋の扉が同時に開く。ちょうど城戸さんちのおばさんとサブちゃんも出掛けるところだったようだ。目が合ったおばさんがわたしを見て目を細める。

「あら花子ちゃん、おはようございます。」
「城戸さん、おはようございます!あれ〜サブちゃんおしゃれして、今日はお出かけかな?」
「イトコと動物園!」

嬉しそうに威張るサブちゃんの頭をぐりぐり撫でているうちに携帯がメッセージを受信した。おそらく久作だろう。無視しよう。そう決めたのを見透かしたように、今度は聞きなれた着信音が鳴り響く。身の危険を察知し、恐る恐る電話にでた。

「も、もしも「遅い。」

耳元から怒気を含んだ声がした。

「すみません。言い訳は言いません。寝坊しました。」
「だろうな。」
「もう二人でいるの?」
「ああ。川西といるから。できるだけ早くしろよ。じゃ。」

それだけ言って電話を切られる。まあこれくらいなら、いつもの怒号がないだけましだ。

「おこられてやんのーへへーん。」
「こらっ、お姉さんに失礼なこと言わないの!」
「...いいんですよ城戸さん。わたしとサブちゃん仲良しなんで。それにわたし心の広さには定評もあるので。何も問題ありません。とりあえずサブちゃんには頭ぐりぐりの刑しますね。」
「うわっ!こっちくるな!」

マズイと思ったのか急いで階段をかけ下りるサブちゃんの後を追って、わたしもかけ下りる。子供のやることに本気になって大人げない?いやいや、わたしはただサブちゃんと遊んでるだけですよ?

「大人しく捕まりなさい!」
「うわああああ!」

走るスピードをあげると、サブちゃんが奇声とも言える声をあげた。わたしが不審者と思われないかとても心配になる。やっと階段を下り終わったところで、サブちゃんが近くの車の前にいた男性に抱きついた。

「兄ちゃんたすけて!!」

ちょっと待ってサブちゃんその言い方だとわたし本当に不審者と疑われかねないからね。状況から察するにサブちゃんの言ってたイトコなのであろうその男の人に、わたしは言い訳を頭にめぐらせて近づいた。
そこで見た既視感は向こうも同じだったのかもしれない。

視線が留まる。出そうとした言葉が、瞬時に飲み込まれて失われていく。初めて会った。いや、とても久しぶりに会った。ちがう、わたしは既に今日彼と会ったばかりじゃないか。
言葉が見つからず呆然としたわたしに、目の前の彼が先に表情を崩す。そしてわたしの知ってる通りに笑ってみせた。

「はよ、花子。」

うん、さぶろうじ。
やっとのことで名前を呟き、ただただ涙を流すわたしを夢にみた温もりが包みこんだ。遠い昔に嗅いだ匂いがしたような気がして、懐かしい髪色が視界を横切った。ずっと夢で見るだけだった。ここは間違いなく探していた居場所。陳腐な表現で言えば、奇跡だ。

「...びっくりした、突然現れるから。」

記憶に沈んでいた低い声が、わたしの全身を揺らす。
やっと、これでやっとわたしは完全に夢から覚めるんだろう。けど、まさか望んだ夢の終わりがこんなに早くくるなんて思わなかったな。

イトコの兄ちゃんと肩を抱き、脱力したわたしを見て、サブちゃんが逃げていたことも忘れ心配そうに見上げてきた。それに気がついて、わたしは泣き笑い顔でぐりぐりと小さな頭をなで回した。
そうか、きっと莫大な規模の運を、わたしはこの日のために貯めてきたのだ。

「もしかして待ってた?」
「待ってた。みんなと一緒に待ってた。まちくたびれたよ。」

背中に回された手は熱かった。ぽろぽろとこぼれる涙が彼のシャツを濡らしていく。恥ずかし気などいまだけはどうでも良かった。鳴り響く着信音も、今は、どうでも……どうでも良くも、ないか。
音に反応した三郎次がわたしをゆっくり離して、電話を指して笑う。わたしは泣き笑いで、通話ボタンをタップする。

「も、もしも「おい、何やってんだ。」
「へへ、へ。久作。」
「笑ってる暇があるなら走って来いよ!...てお前なに、泣いてんの?」
「うん。」
「どうした?」
「夢を叶えたよ。今から行きます。」

久作の言葉を待たずに通話を終わらせる。わたしは頬に貼り付いた涙をぬぐって、いまだ慌てているサブちゃんと状況をのみこめていない城戸さんの方を向いた。

「すみません、お騒がせしました。じゃあサブちゃん、お兄ちゃんと動物園行ってらっしゃい。」

少し意外そうな顔の三郎次に「また、ゆっくり。」小声で声をかける。笑ったのを確認して、わたしは駆けだした。わたしにはオシャレな友達がいて真面目な幼なじみもいて、一応合コンなんかにも精を出しているそのへんの女子大生で。ひとり暮らしのアパートは親の援助もあって少し広めで、隣の部屋には城戸さん家族が住んでいて、城戸さんちのやんちゃ息子はサブちゃんという。そんなサブちゃんの従兄弟は、わたしと同年代の男の子だった。ただのそんな世間話なんだ。わたしの夢は。
ドクドク鳴る体をひっぱりファミレスに向かって全速力で走る。こんな世間話をみんなと共有したいよ。突如繋がった大きな幸せが、はじけて飛んでしまわないように。ゆっくり。少しずつ。

fin.


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