小説 | ナノ

おはようでもおやすみでもなく、「こんにちは」と送ってみる。すぐに「いきなりビックリした。」と返事が来た。川西さんの反応は面白い。
特に意味はないことを伝えれば、ふーん、と返される。わたしはそれに目を通し、少し考えて三反田さんの現在について話題をふってみた。聞くと相変わらずだそうで、途端に切なくなる。今度は自宅のキッチンでボヤ騒ぎを起こしたらしい。水の次は火か…一難去ってまた一難とは、すさまじい運のなさである。絶対三反田さんは何か憑いてる。
スタンプを選んでいると、ノートの端切れが隣から運ばれてきた。「授業まじめにノートとれ」怒りの滲んだような文章はどうやら久作からのようだ。ちらりと視線を向けるとこちらを凄んでいたから、慌ててボールペンを握った。


*


「言っておくがノートは見せないからな。毎度寝てる上ラインまで打ってるんだから余裕なんだろ?」
「ごめんなさいごめんなさい。つくづく自分の不真面目さに呆れます…久作さんわたしを見捨てないでください。」

歩く久作の周りを必死にチョロチョロしていると、久作は癇癪を起こして「うるさい離れろ!」と怒鳴りぎみになった。わたしの肩がわざとらしく大きく揺れた。無論、わざとではない。本当に怖い。

「あ…!いや悪い。今のは本心じゃない。」
「ううん、わたしがごめん。」

慌てた久作が少し早口で言うから、申し訳ないような可笑しいようで苦い笑いで頷いた。すると微妙に嫌な沈黙ができてしまって、久作はばつが悪そうに勿体ぶって歩いている。
けれどわたしは、そこに不思議な既視感を覚えた。同時に、この空間にも何かがあったことに気がついてしまった。おそらく、わたしと久作は二人で完成ではなかったのだ。
わたしのことを精悍な顔つきでまっすぐに見つめる瞳。どこか見下した腹の立つ物言い。眠れぬ隣に寄り添う影。誰かと誰かの間にある空間。みんなそこにはきっと、きっとわたしの夢見る幸福がいたんだよ。

「隣の城戸さん、だっけ?の家の生意気なガキんちょさ…」

おもむろに久作が切り出してきた。気まずさを切り換えるわざとらしさなど承知なようで、言い方に迷いもない。

「昌文くん?」
「ああそのマサブミ。まだ来てんの?」
「んー最近はあんまり。唐揚げたかられてたんだけど、飽きちゃったみたい。ちょっと寂しいな。」
「子どもなんてそんなもんだ。」

そうかも。子どものうちの、目まぐるしく記憶される新しい現実のほんのいっときなんだから、当たり前かもな。
でも今のわたしは、どうしても子どもから足を抜け出していて。久作と帰り道を行く七日にいっぺんの日がどんどん重量を増すのが恐ろしい。

「ねえ久作はわたしにふりまわされているよね。」

わたしは悲しくもないのに嬉しくもないのに何故だか感極まっていて涙をこぼしてしまいそうだった。城戸さんちのサブちゃんも、川西くんも、結局わたしに振り回されているんだ。だから、だからわたしの存在するかも怪しい夢なんて粉々に破り捨てて、さっさと塗り替えてしまえばいい。
けれどいつも意味をもつ言葉は、わたしが叫ぶほどただの言葉にしかなり得ずにその場に落ちるだけだ。行動できなくても思うだけましだなんて嘘。意味の枠を出てそれが実にならなければ一緒なのに。

「違う。俺が、俺と左近と三郎次がお前を振り回しているんだ。」

久作の表情が崩れた。わたしは目を開いて涙を落とした。久作のその顔を焼き付けるために。そして夢で聞いた名前を反芻するために目を閉じた。
時友くんやっぱりわたしはまだ夢を捨てられないよ。




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