小説 | ナノ

電車の中がいつもよりすこし空いていたおかげでなんとか座れた。何をするでもなく座席で油断しているとすぐに余計なことを思い出してしまうから、眠気を待つために目を閉じる。心も意志も弱いわたしは基本迷うことなく温い空気に流され意識を失うのだが、今日はちょうどうとうとしてきた辺りで目的地のアナウンスが聞こえてしまった。タイミング最悪。そう、わたしは基本ついてないのだ。
夢と現実の狭間を行き来しながらのろのろ電車を降りると、突如肩に重量を感じた。

「おはよう、花子さんだよね?」

朝から突然名前を呼ばれたことにビビりながら振り向けば、見覚えのある顔があった。わたしは瞬時に記憶をたどる。この間の合コンで向こう側にいた時友くんだ。

「あー時友くん?」
「当たり〜この間はどうも。」

人の良さそうな顔で時友くんが微笑んだから、わたしも軽く頭を下げた。そういえば、時友くんたちの学校の最寄もこの駅だ。そうかそうかと納得して歩き出す。時友くんもそれに合わせてくれた。

「電車で会うのは初めてだね。」
「そうだね。僕はいつももう一本前の電車なんだけど、今日は乗り遅れちゃったからなあ。」
「成る程。」
「左近の不運がうつったかな。」
「成る程。」
「いまの笑うとこだよ。」

緩くてたわいのない話題が続いている。眠気明けでぼんやりとした頭がせっつかれているみたいに、空が明るかった。改札を出れば、余計に日差しは突き刺さる。空が眩しい。

「途中まで一緒していい?」
「もちろん。」

時友くんはさらりとありがとう、と言った。柔らかそうな色素の薄い髪の毛が、さわさわと風で揺れている。木漏れ日の下が絵になりそう、と情景を当てはめながら勝手に思いつく。そういえば合コンでは不運話にばかり気をとられていたから時友くんとは全く初対面もいいところなんだな。そう思うと背筋が少し伸びた。

「あれから左近には会った?」
「会ってないよ。メールはしてるけど。」
「そうなんだ。」
「それも挨拶だけの中身なしメールね。」
「え?それ意味ある?」
「なんだろ…何か義務感みたいなものがあって続いてる…」

そうふざけて眉をひそめ陰鬱さを醸し出してみせると、時友くんが笑顔を深くし首を傾けた。

「やめたくなったらやめていいんだよ?」
「あー…時友くんって割と薄情だね。」
「うーん、そうかもね〜」

よく言われる〜とJKみたいなことを言った時友くんが、自然とゆるりとした空気を連れてくる。きっとその心地よい空気にのせられたんだろう。わたしの口は勝手に開いた。

「唐突だけど変な話していい?」
「どうぞ?」
「実はわたしね、掴みたい大好きな夢があってね?すっごく幸せな夢で…それを今、追いかけてるんだ。」
「ふうん。掴めそう?」

宇宙系女子みたいな話を勢いで語ってみたけど、時友くんは「あーマジかこいつ意識高い系だわ…」とわたしのことをバカにする様子は微塵もなくて、単純に嬉しかった。だから笑顔で首をふれた。

「だめかなって思う。勝手にかけた期待は期待に終わったし、手がかりもない荒唐無稽な話だから。」
「そうかあ。実は僕はね、大切な夢を諦めた人。」
「えっ」
「未来の重荷になる夢を追うのはやめたんだ。だから違うところに進むよ。」
「…そっかあ。」

少なからずショックを受けて、わたしはあからさまに口数を減らしてしまった。
別に慰められたかったわけじゃないけれど、落胆は隠せない。時友さんにはきっとわたしよりも可能性があっただろう夢があって、けどそれを諦めてこうやって前を向いている。わたしはといえば、まだ諦めきれず追いかけていて……わたし、どうして追いかけていられるんだろうか?夢の中の夢があまりにも幸せだから、はやくあの甘い蜜を吸いたくて。あの極上の幸福が欲しくてたまらない、理由としてはそれだけで。
ううん…それだけなんだけど、それだけじゃなくて。諦めるの選択肢がはじめから存在していない、のが正しい。往生際が悪いにもほどがある。それも承知。

「じゃあ僕こっちだから。また飲み会しようね。」
「うん…ねえ、時友くんは夜眠れないことってある?」

時友くんはすがるように飛び出したわたしの言葉の意味をゆっくり確かめるように、丸い目を開けてすぐに細めた。

「ないよ。毎晩ぐっすり。」


*


毎晩ぐっすり。
彼女はそれを聞いてほっとしたように、嬉しそうに笑った。
またね。
うんまたね。

軽やかな挨拶を残して踵を返した彼女の後ろ姿。それが、やはり、くっきり見覚えがあるのだと気がつく。けれど僕はもう彼女と一緒の夢を追いかけない。覚悟はとっくにできている。止まったままだった足をアスファルトから引き剥がす。暑いくらいに暖かい日が、ぼんやりとした情景をまぶたに映そうとしてくる。
花子ちゃんの幸せを願いたい。それは矛盾ではないと思っているつもりだ。いつも隣に並んでいた彼はもうどこにいるのかわからないから。

歩きながら僕は液晶の上で指を滑らせ電話をかける。おはよう、部活お疲れさま。今ね、君の学校の友達、飲み会にいた…そうそう、花子さんに会ったよ。うんうん、眠そうだった。あはは、大丈夫だよ。うん。それだけ、じゃあまた学校終わりにね。




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