小説 | ナノ

まっすぐ届く眼差しが後ろめたく感じて、そのせいかついつい視線がぶれてしまう。不意に右手のシャツの裾が引っ張られた。サブちゃんがわたしを部屋の中へと急かしている。電気をつける暇がなくていまだに薄暗い狭い玄関、ここに見えない何かがあるのだろうか。あの夢の中でみたような、探し求めている、引かれた腕の感覚、
けれど腕の先に子ども特有の甘えと苛立ちを感じて、わたしはふと我にかえった。

「はーやーく!」
「…サブちゃんどうしたの?今日、変じゃない?」

なんて言って、今日変なのはわたしなのにね。
重ならない夢の予感がわたしを少し冷静にしていた。無意識に薄い笑いがこぼれたのは己の情けなさゆえだろう。ただ見ないようにしていただけで、思い当たる節は幾つもあったのに。
壁に手を伸ばして電気をつけた。途端に、夢から覚めたみたいにいつもの部屋になる。サブちゃんは相変わらずわたしをじっと見ていた。その視線は思ったよりも高い、とはいってもわたしよりははるかに下だ。

「変じゃねーよ。花子のほうが変だろ。はやく入ってからあげ。」
「うん。ごめんね。」
「ねえ牛乳ちょーだい。」
「あー今ないや。勝手に水汲んで。」
「ケチ。からあげぜんぶ食べてやろ。」

そう言ってスニーカーを脱いで部屋へと駆けていく後ろ姿を見て、ほぼ確信する。
わたしはゆっくりとサブちゃんのスニーカーを揃えて、「ただいま。」を呟いてから自分の家に入った。ちゃんと、泣き出さなかった。


*


気がつけば、おはよう。とおやすみなさい。川西さんとのメールは一日二往復それだけになった。
毎朝その挨拶メールを開いてずるずると起きることから一日が始まるようになった。歯を磨いて顔を洗う。日々ローテーションになりつつある着替えをすませ、化粧にとりかかるべく下地に手をかける。色が乗せられる肌が今日のわたしへと変貌していくのを、寝ぼけながら他人事のように確認。目元にダークベージュのアイラインをひけば半開きの目がひらく。オレンジのチークをのせるとやっと動くエネルギーがわいてくる。赤いリップを引けば鏡の中のわたしがへたくそに笑う。今日もそうやってはじまりだす。
あれ以来ポストに紙切れは入っていない。




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