小説 | ナノ

古めかしい喫茶店には似合わないほどの人が溢れている。つまり今日は大盛況。つまり年にあるかないかの超のつく忙しさだ。目を回しながらフルーツを切っていると藤内があわてて駆け込んできた。

「悪い、テーブル間違えて持ってった。オレンジジュースもう一個急ぎでいい?」
「いいよ。珍しいね藤内のミス。なんか安心するな」
「こっちは落ち込むよ。忙しいとダメだな。数馬は調子いいじゃん。今日ミスなしだろ?」
「たまには幸運な日もないとね…はいどーぞ。」
「サンキュー…ま、良かったな。」

笑みを置いて、藤内がはや歩きでテーブルへ向かう。縦結びがゆらゆら遠ざかる。穏やかな音楽に、珍しく騒がしい店内。

「宝物は、きっとずっと宝物だと思う。でもいまは、数馬くんが大事で、わたしの大切な人だから」

ひとことずつ言葉を選んで、彼女は僕に伝えてくれた。その言葉を僕は、繰り返している。噛み締めている。卑屈で不運で臆病な僕も、不安になるくらい彼女が大切で、大好きだ。そして、彼。彼の持つ不器用な優しさが、やっぱり僕は大好きだ。

「数馬ーまたコーヒーとケーキ2つずつ」
「はーい、あ、藤内」
「なに?」
「エプロン縦結びだよ」
「えっ」
「初めて僕と仕事した日からずっとだけど」
「はっ?なんで今更?!」

すこし前髪を乱した彼が焦って結び目を直していて、僕は知らずと笑みがこぼれだして。
こんな日々もいつかの僕の宝物だ。

fin.



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