小説 | ナノ

浦風藤内の名前を出すと、彼女は特に表情を変えずに少し視線を下げて笑った。

「ああ、浦風くん!この間お店にいたよね。久しぶりに会って驚いたよ!あのね、地元で学校一緒だったの。あんま話したことはないんだけどね。」

語られた関係性は藤内が言っていた通りだった。おそらくその通りなのだろう。ただの知り合い。彼女と彼はそれだけなんだ。

「そっか。なんとなく雰囲気が知ってる感じだったから気になったんだよね。」
「数馬くんと同じバイト先なんて、偶然だな。」

うん。いくらか固さのやわらいだ彼女に返事をする。そして、迷う前に次の言葉を繋いだ。

「花子ちゃん、僕はね、きみがだいすきだよ」

目を開いた彼女の黒目に、熱のこもった目をした僕はちゃんと映っているだろうか。本当に、だいすきなんだよ。
だからね、

「僕は、たぶんわかるんだと思う。大事なものがあったこと。ほんとうは、わかっちゃいけなかったのかもしれないし、追及しちゃいけないのかもしれない。他人の大事なものを引っ張りだす権利は僕にあるはずないけど。それでも僕は、やっぱり臆病だったよ。ずうっと見ないふりをするほど強くなれそうになかったよ。お願い。教えて。花子ちゃんのなかの藤内を。」

彼女のまっすぐな目が、僕の目に合わさった。僕のだいすきな、彼女の顔だ。すう、と体から毒が抜けていくような気がした。



すこしずつ語られる浦風藤内は、光をまとって眩しくて、でも僕の好きな真面目さを持っていた。

「浦風くんは、かたさとやわらかさを、いいバランスで持っている人だったよ。遠くでみているだけ、だったけどね」

彼女は、浦風くんに思いを馳せるように人差し指の先をグラスにあてた。

諦めたような悲しい笑顔で、ごめんなさい、と謝った彼女の口からぽつり、またひとつ、浦風くんが顔を出す。僕のなかのごてごてとしたわだかまりは、嘘のようにもうほとんどなくなっていた。僕と彼女の間の空気が透明感を取り戻していく。
僕も彼女のように視線を下げ、浦風くんに思いを馳せてみた。

臆することなく、委員会で反対意見を出していた浦風くん。
遊びのお誘いは、ほぼ予習のために断っていた浦風くん。
不器用にみえて、それでも不思議と、人付き合いはうまかった浦風くん。

「なんだか」
「ん?」
「今とあまり変わらないな」
「そう?」
「うん。愛すべき真面目さだよ」
「ふふ。あのね、数馬くん。わたし、浦風くんに一度フラれたの。」
「えっ」

クスクス笑って、恥ずかしそうに彼女は、記憶からたからものを引き出す。どこか嬉しそうに、懐かしむように。

「馬鹿だったんだわたし。浦風くんが大好きで、予習でいいのでわたしと付き合ってくださいって言ったの。笑っちゃうでしょ?」
「それで藤内は?」
「突然だったからビックリしてたけど。すこし考えてね、俺はそういうのは予習しないし、花岡さんもそんなふうに言っちゃだめなんだって、早口で言って、ごめんって走っていっちゃった。よく覚えてるよ。あとからわたしすごく反省したもの。酷いこと言っちゃったって。」
「それは…確かに…酷いねーうぶな男子の心は傷ついたかもね」
「あーもう!わかってるから言わないで!思い出すだけで恥ずかしい…!とにかく、これが真相です。」

顔を赤くして下を向く彼女の耳に触れる。ぴくんと反応した頭に、両手をのせて、滑らせる。

「好きだった。」
「うん。わかるよ」
「…わかるの?」
「僕も、藤内が好きだからね。」

そうなんだ。それならわかっちゃうかもね。彼女がまた笑った。

ケーキを2つずつ食べて店を出た。それだけでいいの?と聞くと、今日はいいのだと笑った。中毒者さんの言うことはよくわからないけれど、そんな日もあるらしい。




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