小説 | ナノ

ぽちぽち携帯をいじっていると、久作が傍までやって来た。

「よー。」
「やあやあ久作。」
「帰るぞ。」
「ラじゃー」

リュックをしょいこんでお弁当のトートバッグを持ってから友だちに手をふる。と、もう久作はさっさと教室を出ていた。慌てて追いかけてバッグをつかまえた。

「早いっ!」
「ん?ああ悪い。」

いつものことだけど、本当に悪いと思っているのか疑問に思うほどにそっけない返事をする。恐らく思ってはいるけど改める気はないのだろう。

「久作ーピザ〜」
「俺はピザじゃない。」
「ボケはいい。ピザ食べたい。」
「そうか。」

そう言って久作はスタスタ歩いていく。完璧なまでのスルースキルで。そういうことかい、オーケーオーケーわかったよジョージ。

「ねえジョージ、これから駅前のファミリーレストランに行ってふたりでマルゲリータピザを頼んでドリンクバーで喋らない?」
「断る。間食はとらない。あと俺はジョージじゃない。」

間髪入れず断られなすすべなく崩れ落ちる膝。およよと顔を手で覆ってみても、久作の足は迷うことなく家の方角へ向かっている。さすがに久作はわたしのことを知り尽くしているだけあって手強い。それにしても苦学生でもないのに食にストイックな男子学生って絶滅危惧種だと思うんだけれど…

「お願いだよ〜久作にしかできない相談があるんだよ〜この間の合コンでアドレス交換した川西くんって人とメールしてるんだけど話題がワケわかんなくてさあ。だからちょっと二人でピザ食べながら話そうよ〜」

最後のあがきとばかりにグダグタ必死に言葉を並べていたら、久作がやっと立ち止まってわたしを見てきた。思いがけず興味をもってもらえたので、これは逃すものかと説得に身を乗り出す。このまま家に帰るなんて味気なさすぎる。部活の休みの日くらい久作はわたしにつきあったっていいと思うの。


*


そして予定どおり、わたしちはピザを食べている。予定よりは人数が一人増えたことで騒がしくて、ハラハラするけれども。

「ぼくその大きいやつで。」
「おい。お前何枚食べる気だよ。金払わないんだから遠慮しろ。」
「子どもはいっぱい食べろって大人に教わりましたー」

久作が「このガキ…」とでも言いたげな表情で目の前の男の子を見ている。わたしはまあまあ、と目で訴えた。

さて、ことの始まりは1時間前にさかのぼる。
必死の説得が功を制し、なんとか久作から「外食なし」「家で」「ピザを頼む」ことを条件に了解を得た。
理想とは違ったが、一人でテレビを見るよりはずっといいのでわたしは快諾し、ふたりでわたしのアパートに向かったのだ。
軽い足取りで階段を上がると、そこには。わたしの家のポストに紙を詰め込んでいる不審者がいた。そう、お隣に住んでいる小学2年生の男の子、もとい悪ガキサブちゃんである。

「あー!サブちゃん!またイタズラして!」

慌てて差し込まれた紙を抜き取れば、そこにはいつか見た「ブス」の文字。きっとサブちゃんを睨み付けてみるけれど、サブちゃんは私を見ても悪びれる風はなくツンとしている。

「ダメでしょ、ひとのおうちにこんな酷いことしちゃ!ママに怒られるよ!」
「ぼくお前のところにしかやらないもん。ブスのくせにさわぐなよ。」
「サブちゃんのママに言いつけるからね。」
「おまえ、チクるのかよ!きたねえぞ!」

悪ガキさまの対処法がわからずぐぬぬと閉口してしまう。ああ小学生の男の子ってどうしてこんなにやんちゃなのだろう。ため息をついたところで、久作がずい、と前に出てきた。

「年上の人にお前はないだろ。子供だからって甘えるなよ。」
「なんだよ。あんたにカンケーないじゃん。」
「俺はおねーさんのオトモダチだから関係あんの。ほら、子供はさっさと家に帰ってオヤツ食べて宿題でもしてな。」

さらっと冷たく言い放って、久作はわたしを目で促す。ほっとしながらサブちゃんに手を振って部屋に入った。久作もすぐそのあとに続く。

「あんなおチビちゃんに構われてんの?」
「んーまあ。」
「構わないで無視しとけよ。子供だからって甘えさせることないぜ。ガキは何するかわかんないしな。」
「そーそー。勝手に部屋にはいったりするしね。気をつけないと。」

第三者の声にふたりで振り向けば、後ろ手にドアを閉めたサブちゃんがニコニコしながらわたしたちを見ていた。

「お邪魔します。オカーサンはまだ家に帰っておらず心細いので、こちらにオヤツいただきにきました。」

仰々しく頭を下げる姿に、久作ですら顔をひきつらせていたのだから、わたしにはどうすることもできなかった。この時点でもはや久作に相談するという目的はどこかに消え失せ、冒頭に戻るのである。


「サブちゃん。お母さんは何時に帰ってくるの?」
「さあ。」
「お母さん心配するから、連絡しなきゃダメだよ。」
「うるさいなあ。わかってるよ。」

世話をやくとムッとしたようにそっぽを向いた。扱いに難しいお年頃だ。
特にわたしはサブちゃんに嫌われているらしく、憎まれ口と心の折れるラブレターばかりもらっている。サブちゃんは基本的に礼儀正しくて頭のいいの子だと近所でも評判だから、これは知らないうちになにかをやらかして相当嫌われてしまったといっていいだろう。
一体何をやらかしたやら、そう思いながら、空になったサブちゃんの紙コップにジュースを注ぐ。

「…ジュースいらないから、ぼくもコーヒー!」
「え?これ苦いよ?」
「いいの!!」

少し迷って、カップに半分くらい暖かいコーヒーを注いであげると一口飲んだサブちゃんがものすごく不味そうな顔をした。だと思った。
でもそんな姿は子どもらしくてかわいい。彼のプライドのために黙ってわたしは自分のコーヒーにミルクと砂糖を追加した。

「久作、いる?」
「あー、うん。牛乳だけ。」
「サブちゃんは?」
「…ぼくも牛乳だけ…」
「はいどうぞ。」

牛乳で薄まったコーヒーをちびちび舐めるように飲む姿も、ものすごくかわいい。うん。ずっとそのままならわたしも接しやすくて嬉しいんだけどね。
そう思いながらおとなしくなったサブちゃんを見ていると、サブちゃんがおもむろに「ねえおにーさん。」とつぶやいた。久作は自分にふられると思っていなかったのか、少し目を丸くしている。

「ん?俺か?」
「こいつとつきあってんの?どこまでいったの?」

サブちゃんの右手の人差し指が、ぴんとわたしまでまっすぐ伸びている。向けられた爪の先をまじまじと見ながら意味の咀嚼をする。声変わりの始まったサブちゃんの声が、少しかすれたせいでいつもより囁いて聞こえた。
その発想は、想定外だった。

「付き合っているはずがないな。予定も全くない。」

対して久作はなんの迷いもなく言い切った。うん、その言葉は想定内だね。わたし久作のことだいたい知ってるから!でも、わかっててもやっぱり少し切ない…

「ふーん。」

それっきり興味なさそうにサブちゃんはコーヒーをすすりだした。久作も特に気にした風もなくスプーンを回している。

「久作、わたしの心に深い傷が。」
「そりゃ大変だかわいそうに。ほらピザ食うか。」
「久作って本気なのか冗談なのかわからないこと言うよね。」
「基本冗談だよ。」

それも本当かどうか怪しいけど、この流れをこれまで何度も経験してきたわたしだからわかることはある。久作のことは理解しているようで、理解していないことばかりだということ。わたしが一番わかっているのはつまりそれだ。

「おい花子。」

聞き慣れない声で名前を呼ばれて、突然目が覚めたように変な感じがした。聞き慣れた自分の名前に、こちらを真っ直ぐに見つめるつぶらな黒目に、ひとすじ射し込んでくるふとした違和感。それは嘘みたいだけど、夢の中で聞いたわたしの名前のようだった。




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