小説 | ナノ

卒業の二文字で色めき立つ空気が、いつもの平凡な日常を覆い隠し始めていた。どこか落ち着かない周囲の雰囲気が、美しささえ匂わせる。どうやら既に今日は思い出になる準備にとりかかっているらしい。

「こっちだー!!」

雰囲気に呑まれるがまま感傷にひたっていた。そんなわたしの美しい思い出のはじまりを壊したのは、全速力で走るいつもの方向音痴だった。予想通りすぎたので見ないふりをした。

「おっ花子!」

そうすると大体見つかるのがお約束で左門はこちらに突進してくる。卒業式だからといって例に漏れる気はさらさらないようだ。わたしの目の前でピタリと立ち止まった左門が、砂塵を背景に笑う。

「おはよう。」
「おお!今日はついに卒業式だな!ところでここはどこだ?」
「はい、忍タマはこっちだからね。」

地面で引きずられたせいですっかりほつれた縄の端を持ち、わたしは忍たまのいる方へと歩き出した。難しい卒業試験をくぐり抜けた優秀な卒業生とは言っても、今日とて左門は左門でかわりない。ちらっと後ろをふりか えると、左門はおとなしくわたしについてきていた。ぽかんと口をあけ、目をぐりぐり動かしてあたりを見渡している。いつまでたっても昔のまま落ち着きがない。

「三之助は?」
「さあ。」
「作兵衛は?」
「どうやらはぐれたらしいな。」

うん、君がね。
おなじみの会話を繰り返すほど日常に浸りたいわけではないので、喉まででかかったその言葉は腹に押し込めておく。左門はぐるんと首を一回転させて感嘆の声をあげた。

「人が、大勢いるな!」
「卒業式だからね。」

見慣れた人影がたくさん見えた。人影の向こうに三之助と、三之助に怒っている作兵衛を見つけて気持ちが自然と緩む。
しかし見渡す限りのいつも通りを無意識に探してしまっていることに気がついて、なんともいえない気持ちになった。異様にくすぶった気持ちを、引き締めるように左手が何かに掴まれる。あたたかい左門の手だった。

「今日は、皆がやさしい顔をしているな。」
「…うん。」

そうしてらしからぬことを言われれば、戸惑いを隠せなくなる。左門がそんなことを口にするなど露ほどにも思わなかったから、
不意に訪れた沈黙で、寂しさが生まれていく。恐怖も染み出てきてしまう。


一番大事なものが傍に見えなくなる予感が、実感に変わってしまう。


少し前から感じていた予感を振り払って、鈍感なふりを通して左門の横を歩いてきた。これまで通り、わたしは真っ直ぐな左門の決断を止めなかったし、左門は慎重なわたしの決断を左門なりに我慢強く待ってくれた。おそらくわたしたちは、お互いのその瞬間の顔が好きだったのだ。でもすべて、今日までのこと。

今目の前で左門はにい、と笑い、わたしにその大好きな顔を向ける。
わたしはじっと左門を見据え、そっと繋がった手を離す。こみあげるものを無視して深々と頭を下げた。

「?なにか決めたのか?」
「大切なことです。」
「なんだそれ?」
「大切なことだから、むやみに人には言いません。」
「そうか。僕も決めたぞ。花子が長生きするように願うこと。僕の横に帰ってくることを願うこと!」

驚いて見上げた先の優しい顔に、不覚にも涙が滲む。
じゃあやっぱり。もしわたしが死んでしまうようなときは、あなたが気にやまなくてすむよう最大限の努力をするよ。…しなくちゃね。

「花子は、戻ってきたいか?ここに。」
「左門。わたしたちは、ここを卒業するんだから。」

だから、そんな後ろ向きな話はよそうよ。わたしは別れをこらえるように、少しだけむきになって言った。ここに帰ってくるなんて、そんな簡単にできることじゃなくなるんだよ。
それなのにキョトンとなにも知らないような無垢な顔をして、左門はわたしを見る。だから余計苛立って涙がたまった。

「僕がしてるのは可能性の話じゃない。希望と理想と、夢の話だ。夢はいいぞ。それもたくさんあるといい。そうだ、僕が考えてやろうか、そうすれば花子も帰ってきたくなるだろう。僕が決めてやる!」

どん、と胸板に拳をあてた左門のあまりの凛々しさにわたしは一瞬臆してしまう。その太い眉毛の下にたたずむ真っ直ぐな瞳に、釘付けにされてしまう。

「まず、僕は立派な忍者になる。ある時近くを通りがかってふらりと母校に寄るんだ。するとそこでバッタリ花子と会うんだな。やあやあと話は盛り上がる。そうして僕は、お前に生きていてくれてありがとうを言う。どうだ?」

釘付けにされたままのわたしは、通りすぎる左門の言葉だけを体に染み込ませていた。子供時代を過ぎてしまった自分には、あまりにも透明すぎる夢のはなしだ。その現実感のなさが、わたしの愚かさを浮き彫りにしていく。
もしかしたらわたしは卒業することを、本当にしてしまいたかっただけなのだろうか。と言うよりは、既に未来に敗けてしまいたかったのかもしれない。わたしの存在と、わたしが大切にしたきもの全てをこの場所に置いたままにして。

「すごく、すごくいい夢だよ。」
「そうだろう!」

段々と空気が澄んでいく学園が、わたしの日常から乖離していく。否応なしに突きつけられる。左門のとなりの日常からわたしは前へと進まねばならないこと。いまだそれに躊躇する辺りは、どうも情けない。
情けないが、それでもここが好きなのだ。

生き生きとした左門のこの表情と手のあたたかさ、もらったきれいな夢を胸に、きっとわたしは生きるだろう。綺麗すぎる夢を見て、未来を掴もうと足掻くだろう。

「だから花子、一緒に生きよう!」
「ありがとう。」

左門、ここで次に会うときはわたしが今日決めたことを教えてあげるから。
絶対絶対笑いとばしてね。

決意を秘めて、もういちど左門に向き合う。左門は相変わらず自信たっぷりの、わたしが大好きな表情で笑っていた。

「卒業おめでとう左門。」


(忍たま卒業企画さま企画提出作品)
いつか夢でね

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