小説 | ナノ

暗闇からのぞく光が眩しい、その思いで意識が覚醒した。あまりの眩しさに落胆して、わたしは表情をその場へ無造作に落とす。
視界の端には所在なげに湯気をたてるお茶とお菓子が入ってきて、今度は顔が歪んでいく。それらが置かれた経緯など想像しようものなら、残りわずかなわたしの体力などたやすくなくなってしまう。だからそれらを視界から消すべく寝返りをうった。脳の奥ではさっきからずっと、ぼおん、ぼおんと鈍い鐘の音がしている。こんなところに一秒たりともいたくないのに、もう眠気は全くない。不思議だ、わたしはどうしてこの間まであんなに馬鹿みたいに眠っていたのだろうか?


突然の訃報を聞いたのは、四日前の朝だ。


先生から告げられる情報をなんとか理解しようとしたわたしの頭は沢山の初めてに翻弄され、ひとしきり悲鳴をあげて、麻痺を起こした。
胸に空いているであろうぽっかりとした穴を想像することもできない。涙が枯れるまで泣くどころか悲しみが認識にまで到達してこない。そんな状態を続けて、眠りこけているうちにとうとう動けなくなった。
一体どうやって、今まで生活していたんだったか、どうやって物事を捉えていたのだったか。そんなごく当たり前のことがすべて流れ出てしまったらしく、いつの間にかわたしは反応のない人形になってしまった。腫物のように扱われ隅に置かれた、ただの物体に。

得体のしれない嫌気にまみれながら枕に顔をうずめていると、外から誰かの気配がした。

「具合はどう?」

意識の狭間で聞こえた扉の音と低い声に、反応こそしなかったが腸は煮えた。あからさまに気配を散らしてのこのこくのたまの部屋に入ってくるあたり、いかにも黒木くんが飄々とやりそうなことである。

「茶も…飲んでないじゃないか。喉は乾かないかい。お菓子はくの一の子が心配して持ってきてくれたんだ。良かったら一口くらいどうかな。なかなか美味しかったよ。僕にくれたものには毒が入ってたけどね。君のはもちろん毒抜きだ。」

返事がないことなど気にもとめず黒木くんはしゃべっている。わたしは少しの身動きも立てまいと意地になって体を石にしていた。呼吸ですら悟られまいと、躍起になっていた。わたしの心配をしているなら、いや、わたしの心配をしている自分に酔いたいのなら、さっさと役目を終えて退散してほしいものだ。こっちは黒木くんの、その偽善に満ちた行動も言葉も鬱陶しくて煩わしくて仕方ないというのに。まったくわたしは一体どうしてこんな人に恋い焦がれていたのだろう?それすらも今では全く思い出せない。ただただ、腹ただしいしいばかりだ。

「花岡さん。」

線が細いようで凛としていた、大好きな黒木くんの声は、絶望したわたしの前でもうただの声でしかなくなってしまった。知ることは恐ろしいことだ。わたしはもう、黒木くんに期待することも羨望することもないのだろう。やるせないようで、それでもほっとしているのは、悲しみの中にあるわたしのなけなしの矜持なのかもしれない。

「顔を見せてはくれないかい?辛いことがあったんだよね。」

ただの声はそう告げて、わたしはぎゅうと体を縮こまらせる。それはただの声であるはずなのに、突然全身の血がめぐりだしたみたいになって、わたしは怖くて泣きそうになる。一生懸命落ち着かせてみるのにしずまらないそれ。わたしは何が恐ろしいのかが理解できなくて一層怖くなった。


「つらいね。 」


もしかしたら恐怖におびえるわたしが黒木くんには見えていたのかもしれない。布と綿の空気を隔て、黒木くんはわたしを包んだようだった。嫌にやさしい手つきに、わたしという石はとうとう鼻をならしてしまった。
腹が立つばかりで、鬱陶しくて、それでもこうして何かに怯えているのは。
知ってる、どうにかして遠ざけたいその存在がいることにわたしが救われているからだ。こうしてワガママを言って彼に甘えられることに、甘えてしまいたいことに気がついてしまえば、もうあとは不甲斐ないばかりで。

「かえって。」

何も知らなかったことも、何もかも知ったような気になって絶望していたことも、記憶にあるのはすべて恥ずかしい過去だ。わたしの口をついて出た甘えを聞いて、黒木くんは何も言わずにわたしを包んでくれた。黒木くんのあたたかさは不思議とより身近になっていて、わたしは鼻を鳴らしながらもぞもぞと首を振った。
こんなにあたたかい人だから。もしかしたら黒木くんは、わたしが今感じているようなすごく辛くてどうしようもないことを、ひとりで乗り越えてきたのかもしれないな。

わたしは布団の先を探り当ておずおず右手を出した。ひんやりと触れた空気のあとに、右手をさらりと掬う体温を感じた。わたしは既にもう泣いていて、はやく黒木くんを確認したくて、光へと這っていく。

「やあ。」

まぶしい白のなかで笑う黒木くんは、わたしの恋い焦がれたその人で、想像通り凛としていて、それでいて繊細で、あたたかい。

「どうして。」
「やっと顔が見れた。」
「黒木くん。」
「おいで。」

のばされた手の対処をためらっているうちに、わたしは懐に体を寄せられる。
どうしてだろう。目を背けたくなるような過去のわたしをどうして黒木くんは受け入れてくれるんだろう。こんなわたしをひとつ褒められるとしたら、黒木くんに惚れ込んでいたことくらいなのに。

「黒木くん。」
「うん。」
「黒木くんわたし、つらいことがあった。」
「うん、僕でよかったら話して。」

そこでやっと、わたしは悲しみに到達できた気がした。そのあまりの辛さに、大声をあげて涙をこぼした。どうしようもなく悲しくて、つらくて、痛い。

でもいつか、つらいことを飲み下せたときは黒木くんに渡すよ。最大限の感謝と、今喉の奥にはりついてる感情。くすぶって、破裂しそうなほどの。

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