小説 | ナノ

世の中にはわからないことばかりだ。
例えば団蔵と虎若のように、洗っていない衣服を溜め込める気持ちは僕にはわからない。庄ちゃんがいつも冷静でいられる理由もわからない。
そして、最も理解できないのは――



「伊助ちゃん!」

いきなり名前を呼ばれてぎょっとする。

「あ…花子先輩。」
「ふふ、嬉しいなあ。伊助ちゃんはちゃんと私を名前で呼んでくれるね。団蔵くんたちと違って。」
「そっちの方が、僕はしっくりくるんです。…三郎次先輩ですか?」
「うん。まだ来てないみたいだね。」

花子先輩が僕のいる倉庫をぐるっと見回した。

「…三郎次先輩は、少し遅れると、久々知先輩から聞きましたよ。ま、僕以外の火薬委員の先輩はみんな遅れるらしいんですけれど。」
「えっ?そうなの?じゃあ、伊助ちゃん一人で大変じゃない。私、今暇だし手伝うよ。」
「いや、悪いですから…」
「良いじゃない。私にも先輩らしいこと、やらせてよ〜。」

にこり、と花子先輩がそういうもんだから僕は頷いてしまう。いつもそうだ。花子先輩には毎度手伝ってもらって申し訳ないなと思う。
それでも僕は花子先輩ともっとお喋りしたいものだから、申し訳ないと言いつつも実は嬉しいのだけれど。

僕はくるくる笑う花子先輩が好きだ。それは恋とかではないけれど、先輩が来ると陽が出たかのように暖かくなる気がするから、心地よいのだと思う。まるで冬の太陽みたいだ。

「じゃあ、私はこっちの火薬の確認をするね。」
「ありがとうございます。助かります。」
「いえいえ。三郎次待つのも退屈だから。」


そう、僕の最も理解できない事柄。
それは、花子先輩が何故、三郎次先輩と恋仲であるのかということだ。


先程も言ったように、僕は花子先輩が好きだ。大好きだ。

しかし、三郎次先輩はというと、いつも僕に意地悪だし、なにかと突っかかってくるしで若干、いや大分苦手である。


三郎次先輩が花子先輩を脅しでもしなければ恋仲なんて関係にはならないはずだ、というのが僕の見解である。
まったく世の中不可解なことだらけだ。


ぼんやりとその事実を知った日のことを回想する。


花子先輩のことは団蔵とかから聞いてはいたし、よく僕らは組と遊んでくれるから、前々から好感を持っていた。花子先輩がある時期から火薬室をよく訪れるようになったことには大して疑問も持たなかった。むしろ僕はなにも知らずには組のみんなに自慢していたくらいだ。
三郎次先輩も前より幾分突っかかってこなくなったことも重なって、その時の僕は気分がよかった。



「最近、三郎次くん機嫌がいいね〜」

火薬委員みんながその事に気がついていたらしく、タカ丸さんがふふっと僕に笑いかけた。

「そうですね。僕も嬉しいです。どんな心境の変化でしょうね。」
「そりゃあ、やっぱり恋人ができたからじゃないかなぁ。」

タカ丸さんのほわん、と効果音がつきそうな声で告げられた事実に僕は一瞬硬直した。

「…えっ!?こ、恋人?さぶろーじ先輩にっ?」
「うん、伊助くん気がつかなかった?花子ちゃん。最近よく来るでしょ?」



なっ
ななななな


微笑ましいよねぇ、なんて言うタカ丸さんの声が遠くに聞こえて、
その日は一日僕が三郎次先輩にたてついて言い争いになったっけ。




「足りないものは、ないかな。伊助くん、こっちは終わり。」
「僕の方もこれで、終わりです。」
「ふう〜やっぱり二人でやると、早いね!頑張ったら、なんだかお腹がすいてきたなぁ。伊助ちゃん、お饅頭食べない?」

にこにこしながら花子先輩が僕に笑いかける。断る理由なんて、もちろんない。


「はい、食べたいです!」
「良かった、じゃあお茶入れるね。そっちの縁側行こう?」





慣れた手つきで花子先輩がお茶をいれると、お茶の香りがふわっと漂った。
座ってそれを眺めていた僕は、失礼を承知で、ずっと持ってきた疑問を口にした。


「…あの、花子先輩。」
「ん?」
「失礼なことをお聞きしますが…どうして、三郎次先輩と、その、恋仲になろうと思ったのか…聞いてもいいですか。」

自分で言ってからとてつもなく恥ずかしいことを聞いていることに気がついた。何聞いてるんだろう。
花子先輩はきょとん、とした顔をして、すぐにいつもの笑顔になった。


「三郎次、いっつもちょっかいかけるものね。」
「いえ、別に、そういうわけでは…」
「なんでだと思う?」

まさかそう返されるとは思っていなかった。花子先輩の煎れてくれたお茶を見ながら、僕は必死に三郎次先輩の良いところを探す。

探す。

…探す。

……


「…顔、とか…」
「ぶぶっ…!!」

やっと捻り出したその言葉に花子先輩はお腹を抱えて笑い出した。
三郎次先輩を侮辱しようと思ったわけではないのだが、なんせ思い付かなかったのだ。

「あ!あと真面目でしたね!そういえば!」

思いついたように、いや実際その時思いついたのだが、僕が言うと花子先輩は「だめっ…限界…お腹いたい…」と言いながらうずくまって笑った。


「ふ、三郎次に後で、苛めないように言っとくからね。」
「だめですから!余計に言われますよぉ…」


やっと笑いが収まった先輩は「そうだなぁ、」と目を細めて愛しいものを見るような目付きになった。花子先輩の普段見せない表情にどきりとする。



「私はね、一番優しい人っていうのは、他人のために自分のエネルギーを使ってくれるひとだと思うんだ。」

花子先輩の視線は床に落とされた。今、先輩の目には三郎次先輩が映っているに違いない。
僕は何故だか焦って、少し音をたててお茶をすすった。

「三郎次は、それができるひとだよ。私ができないことをやってしまう彼の、そういうところに惹かれたのかな。」

それだけ言い切ると、花子先輩はこちらに微笑んだ。

「…なんて、ね。もちろん、顔も好きだけど。」

取って付けたようなその冗談が照れ隠しなことくらい、僕にだってわかる。


「…そうですかねぇ。僕は三郎次先輩が優しいとは思いません。」

むきになって出た言葉が止められず出てしまった。今そんなことを先輩に言ったところでお門違いなのに。
花子先輩はそれには答えず、お饅頭食べよう、と微笑んだ。




* * * * * * * * *



「あれ、…伊助だけか。」

火薬庫の前に座っていると三郎次先輩が小走りでやってきた。

「はい。先輩たちはまだみたいです。でも今日の確認はもうやってしまったので大丈夫ですよ。」
「ああ、そうか…花子が、来たのか。」

三郎次先輩が僕の手に握られたお饅頭を見て呟いた。

「はい、三郎次先輩を待ちながら仕事を手伝って戴いたのですが、用事があったみたいなので先に帰られました。」


淡々と事実を伝える。

「なんか…お前怒ってないか?言いたいことがあるなら言えよ。」

「いえ、別に。ただ、花子先輩は三郎次先輩にもったいないなと思いまして。」

喧嘩を吹っ掛けたのに、三郎次先輩は少し沈黙したあとに「そうだな。」と呟いた。僕はあまりにも予想外な発言に顔をあげる。

「お前、驚きすぎだろ。」

「いや、絶対に怒ると思っていたので。」

「じゃあ言うなよ。」

仏頂面の三郎次先輩はいつも通りだ。


「勿体ないのは分かってるよ。優しさだとか、俺にないものばっかりあいつは持ってるし。ま、誰にもやらねぇけど。」

何でもないふうに僕に言った三郎次先輩は、僕がぽかん、とその言葉を咀嚼している間にお饅頭をつまみ上げた。

「もーらい。」
「あっ!」

声をあげたときには時既に遅し。
僕のお饅頭は三郎次先輩の口のなか。

ああ、お似合いかも、なんて一瞬でも思った少し前の僕を殴ってやりたい。


「三郎次先輩…」
「んー」
「僕、さっき三郎次先輩の良いところを初めて見ましたけど勘違いだったみたいです。」
「伊助、最近よく突っかかるな。」

それだけ三郎次先輩に告げると、なんだかすっきりした。ふと、今度は花子先輩のお茶をゆっくり飲みたいなと思った。

優しさで惹きあう

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