小説 | ナノ

10分程、遅れそうです。先に入って待っていてください。


案内された予約席に着いてから久作からの簡素なメールを読み返す。文字を目で追いながら無意識に吐き出した息が何を表すものなのかは考えないようにして。携帯をバッグにしまい込んだ。
ちらちらとテーブルの上ではキャンドルが揺れている。

幸せの絶頂期、か。

幾度ももらったお祝いの言葉に、ほんの少しではあるけど、違和感を感じずにはいられないなんて…本当にどうかしてる。どうやら私が久作との結婚に戸惑っているのはどうしても事実であるようで。また無意識に溜め息が出てしまいそうになる。
もっと自分を盛り上げなきゃ。そう焦っているところに今日、その久作から食事のお誘いをもらった。なんてタイミングが悪いんだろう。今の状態で会えば、不安定な気持ちを見透かされてしまいそうだ。
踏みとどまる要素なんかどこにもないし、実際私も望んでいるはずのことなのだ。久作はきっと私を幸せにしてくれて、最期まで一緒に隣を歩いてくれる。
…でもそれでも、なんだかはわからないけど、でも確実にこれでなにかが終わってしまう。そんな感覚が拭えない。



*


「やっぱり間違ってなかったって思います。」
「え?何がですか?」
「俺が花岡さんを好きになったことが、ですよ。」

記憶の中の久作が私に話しかける。四回目のデートの帰りの車内。それまでどうってことない話をしていた久作がいきなり真面目にそんなことを言うから、ぼうっとしていた意識が突然鮮明になったんだ。

「花岡さんも、やっぱり間違ってなかったって思うはずです。」
「…え、と。」
「っと、あれ…違いますかね?」
「いや!能勢さんとなら、そうなると思います…!」
「良かった。」

久作の一言一言に心を乱されて、車が停車したことに気がつかないくらい自分をコントロールすることができなくなっていて。低い声で名前を呼ばれ、こわごわ首を回せば見つめられた。弾けてしまいそうなほど。

「花岡、花子さん、俺の彼女になってくれますか。」


*



伏せていた顔をあげて、薄暗い空間を見つめ直す。恋の熱に振り回されたあの時が懐かしい。それから久作と一緒に笑ったこと、泣いたこと、怒ったこと、沢山覚えている。
思い出の温かさに浸りながら、相変わらずゆらゆらとテーブルの上で揺れる炎を見て確かめてみる。落ち着いた今だからわかる、ここ、に確実にあるものを。
もう手にできないものはどうしても美しく映ってしまうものだとして。それでも今わたしは、これから手にいれるものを手放す気なんてさらさらないのだ。
―つまりは、この不安も、幸せの憂鬱でしかないんでしょう。

導き出した答えは悩んだわりにすこぶる単純で、思わず鼻から息が漏れてしまった。
うん、どうしたってやっぱり、今しかないみたい。



とん、と肩に重みを感じて振り返ると同時に、「おまたせ」と低い声がした。

「久作、」
「時間通りに仕事終わる予定だったんだけど、色々と後輩のフォローがあって。ごめん。」

向かいに腰掛ける久作が私を見つめて笑う。それに対してもう胸がはじけそうなほどに熱くなったりはしないし、自分もちゃんとコントロールできるようになった。
今は、おそらくただとても幸福なのだ。

「メニュー見る?」
「ねえ久作、」
「ん、どうした?」
「私幸せになるね。」
「…うん俺も。」

久作は何も聞かないしそれ以上何も言わない。これまでも幾度となく感じてきた穏やかな時間がまた流れ出す。

ねえ、疑ったりして、ごめんなさい。

これからも、こうやってきっとずっと流れていく。

みどり色の憂鬱

title by DLR


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